第一章 第五節 第三話・後



 ……委ねてみても、いいのだろうか。


「……俺が乗り移ってる間、お前はどうなる?」


「あのときと同じなら、外の様子は見えるはず。さっきも見えてたし。大丈夫、何かあったらすぐに言うから」


 そう微笑んでみせた藤堂には、虚勢も誤魔化しも何もなかった。少なくとも、俺が感じ取れるような強がりは微塵もなく、ただ純粋に、俺を信頼しているように見えた。


「……分かった」


 正直、不安しかない。だが藤堂がそこまでいうのなら、試してみるだけ試してみてもいいだろう。いつまでもああだこうだと平行線を辿り続けていては、待っている堂島さんに申し訳ないし、何より瀬津のこともある。頑固者の説得に時間をかけるよりは、俺が折れたほうが早い。


 などと言い訳を並べ立てた上で――さて、どうすれば藤堂に憑依できるのか。周防と対峙した瞬間に何があったのか、はっきりと分かっているわけではないのだ。再現しようにも、こればかりはどうしようも――


「大丈夫。私が、御影を受け入れる」


 などと言ってのけた藤堂は、どういうわけか自信に満ち溢れていた。


「私が何度憑依されてきたと思ってるの?」


「誇って言うようなことか?」


 いや、誇ったわけではないとは思うが。というかそんなに経験があるのか。


 苦笑いする俺に、藤堂が両手を伸ばしてくる。やがて、頬にそっと触れるような仕草をした、その瞬間。


 何かに背中を押されたかのように、俺の体は藤堂に吸い寄せられ、次に気がついたときには、生身の重さがのしかかってきていた。


「……藤堂、いるか?」


 出した声は藤堂のもの。出した意思は俺のもの。どうやら、あまりにもあっさりと、憑依は成功したらしい。


『うん、いるよ』


 頭の中に彼女の声が広がった。いや、単に言葉というべきかも知れない。声という、耳で聞く音の波形とはまた違った――強いていうなら、小説の登場人物の台詞を脳が勝手にアフレコしているような。


 本当にこれは藤堂が言ったことなのだろうか。ただの俺の妄想なのではないか。そんな疑念がよぎり、


『なわけないでしょ。大丈夫、本当に、私はここにいるから』


 ……心の中を読まれるのか。これは、思考も気をつけなければ。


「――堂島さん、お待たせしました」


 一層の慎重さで立ち上がり、肉体の動きを確かめる。違和感はわずかにあるが、これは俺が男で藤堂が女だからだろう。動作自体には、支障はないようだった。


「もしかして、御影君か?」


 人格が御影恭司というものにすり替わっているだけで、声も見た目も藤堂のままなのに、堂島さんの目敏さは目を見張るものがある。


「よく分かりましたね」


「なんとなくな。雰囲気というか……大丈夫なのか?」


 そう聞かれても分からないとしか答えようがないが、馬鹿正直にそう答えようものなら引き止められかねない。


「ヤバそうだったら言います」


 肯定でも否定でもない返しに堂島さんの眉間にまたシワが寄る。だがそれは一瞬のことで、小さなため息の変わりに諸々を飲み込んだようだった。


「分かった……行くか」


 そう言って再び階下を目指そうとする堂島さん。その行く手を、前に歩み出て制した。


「俺が先に行きます」


 当然堂島さんの顔は、もう今日だけで何度見たか分からない険しさを帯びた。だが、こればかりはどうしようもない。


「堂島さんじゃ、霊が見えない」


「それはそうだが……」


 探しているのは瀬津だが、あの扉の先に何かしら厄介が潜んでいるのはほぼ確定だろう。俺の感覚と藤堂の反応が、これ以上ないほどにそう訴えている。


「殴ってどうにかできる相手なら堂島さんのほうが向いてますけど、こっから先、多分物理で解決できる問題じゃないと思います」


 それにまあ、藤堂も存外力が強い。多少のことなら堂島さんの力を頼らなくても問題にはならないだろう。


「ライトも俺が持ちますから、堂島さんは俺――藤堂の体に何かあったときに、引きずってでも連れ帰ってください」


 今、堂島さんに最も期待しているのはそこに尽きる。


 この先何が待ち構えているのか分からない以上、万難とまではいかないまでもできる限りの対策は講じておきたい。


「絶対に無理はするなよ?」


「分かってますよ。俺一人の体じゃないんですから」


 言い方には語弊があるが、こんな状況で誤解する堂島さんではないだろう。


 あと気をつけておくこととすれば、藤堂の精神状態か。合意の上とはいえ憑依している以上、何が起こってもおかしくはない。


「藤堂も、何かあったら絶対に隠すなよ?」


『分かった』


 ――さて、行くか。

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