第一章 第二節 第二話・前

『――警察では、男性の身元の確認を急ぐとともに、転落した経緯を調べています』


 あの人影は、男だったらしい。事務机の上、ディスプレイの向こう側では、淡々と言い終えた女性アナウンサーがもう次の話題を始めていた。


 ニュースでは池のどの辺りから見つかったかは言及していなかった。池に誰か落ちたと通報があったこと、捜索した結果心肺停止状態の男性が見つかったこと、その後死亡が確認されたこと。それが伝えられた全てであり、どれもすでに知っていることか、想像の範疇を出ないものばかり。結局、堂島さんの質問の意図は不明のままだ。


 瀬津がいれば、もしかしたらこれだけしかない情報からでも何かしらすくい上げられたのだろうか。彼が立ち去ってすぐに寝直すと言ってかれこれ三時間ほど。事務所の隣にある瀬津の部屋からは、物音一つ聞こえてこない。


 曰く、彼女はきっちり七時間は寝ないと、体が持たないらしい。といっても、七時間をまとめて取らなくてもいいようで、今日のように中途半端に起こされたときには、どこかで帳尻を合わせるのが常だ。


 俺が瀬津に通報させたのが二時半頃。そこから諸々を済ませて帰ってきたのが四時前。すぐさま寝に戻った瀬津は、今度は五時半過ぎにやって来た堂島さんによって再び起こされた。思えば公務として訪ねるには非常識な時間帯だったが、それはとりあえず置いておこう。


 その彼は六時には帰り、今俺の前にあるパソコンは、九時台のローカルニュースを垂れ流している。そろそろ起きてくる頃合いだとは思うのだが……


 と思っていると、隣の部屋へと続く扉がゆっくりと開いた。


「……半裸で出てくるな。客が来たらどうするんだ」


 ブラウスのボタンは全て外れ、肩も露わになるほどにはだけっぱなし。スラックスのベルトはだらしなくぶら下がるだけで、ファスナーも全開。まだ完全には起きていないのか、瀬津の足取りには覇気がないというか、フラフラとしていて頼りなく、歩を進める度に今にもスラックスがずり落ちそうで、それを隠そうとする素振りすらない。下着なんて、当然のように丸見えだ。


「まだ営業時間外だから大丈夫さ」


 いやそれはそうだがそういうことではなく。まあ、ここは事務所であると同時に瀬津の自宅でもあるのだし、応接間も、土足で上がれるとはいえダイニングキッチンとしての役割も持っているのだから、他人の俺がどうこう言うべきことではないのだろうが。


「それに、シャワー浴びたら着替えるんだから、別にいいだろう?」


 などと言いながら、瀬津はさっさとコーヒーの準備を始めていた。といっても、カップを取り出して、ウォーターサーバー一体型のコーヒーメーカーにカプセルをセットするだけの手軽なものなので、次の瞬間にはカップの中からは湯気が立ち上っていた。


 それはそうと。


「またそのままで寝たのかよ」


「ああ何度も無理に起こされちゃ、色々と面倒になるものさ。いくら分割睡眠ができるといってもね」


 まるでいつもはそうではないと言いたげだが、何かと言い訳をつけては着の身着のまま寝床についているのは誰だ。俺が起こしたときだって、そのままだったではないか。違う点があるとすれば、あのときはまだ、服が肌を隠すという用途を果たしていたということくらいだ。


 ――いい加減諦めるべきだろうか。この自堕落っぷりにいちいち何か物言うのは。正直、俺が何を言ったところで瀬津が改める未来が一切想像できない。


「それで、何か情報は出たのかな」


 案の定、そんな俺の些細な葛藤など気づく気配もない。そんなことよりもあの池で何があったかのほうが、瀬津にとっては重要らしい。コーヒーを一口啜った彼女に結局呆れながら、


「見つかったのは男。それ以外は分からん」


 努めて簡潔に答えた。もしかすると、多少は不貞腐れた言い方に聞こえたかもしれない。とはいえ、そんなことを瀬津が気にすることは、やはりなかった。


「ふぅん」


 それどころか聞いた途端に興味をなくしたようで、残りを一気に呷るなり、大口を開けてあくびを漏らしていた。いや気持ちは分かるが、報道で知れる情報なんて所詮そんなものだろう。


 どんな状況で見つかったのか、どうしても知りたければ、やはり堂島さんに聞くしかない。あの人がそう簡単に口を割るとも思えないし、俺としては別に知らなくてもいいとは思うのだが。


「風呂入ってくるよ」


 そう言い残して、出てきた部屋とは反対側の扉に、さっさと消えていった。


 やれやれ……一息ついてパソコンに再び目を戻す。いつの間にか番組の内容は、事件や事故の報道から最近のトレンドを伝える時間になっていた。何やら今流行りらしいバーチャルアイドルやら何やらの特集をやっているようで、丁度その中の一人にフォーカスしたところだった。

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