第一章 第三節 第二話・前
結局瀬津は、男が持ってきたものの大半を平らげてしまった。残っているのは缶詰と水だけで、消費期限が近いものは何一つ残っていない。といっても、パンとおにぎりが二つずつだけではあったが。
「ごちそうさまでした――さて」
時間にして十五分程度だろうか。一番大きい袋の中に他の包装を押し込んで口を結び水を一口飲むと、
「あの女性が周防みずはなのは、確定ということでいいのかな?」
「特徴も一致してるし、みずはって呼ばれてたからな」
よく聞くわけではないが、かといってさして珍しいこともない名前だ、それだけなら同名の別人の可能性もないわけではない。しかし、口元のほくろ、険しい目つきはやはり周防みずはのそれであり、ならば本人であると考えていいだろう。
「それで、彼女があの神社で恨みを募らせていたのは間違いない、そういうんだね?」
食事している間に、俺が神社で見聞きしたことは全て話した。当然、俺が聞いた怨嗟の念が、あの女の声と一致しているということも。
「何をされたらあんだけ他人を憎めるんだろうな」
俺が気になっているのはそこだ。
人間、生きていれば恨みの一つや二つは抱くことがあるだろう。だが、殺したいと思うほどともなるとどうにも想像できない。それも五人、いや、河内を加えれば六人、場合によってはまだ見ぬ一人を含めた七人もの人間にそれほどの敵意を持つなど、どういう状況なのだろうか。
「憎しみの源流なんて人それぞれさ。君が何でもないと感じることであっても、それが他人も同じだとは限らないよ」
それは、まあそうなんだろうが。
「私としてはそれよりも、彼女の有り余る生命力に興味があるね」
「……どういうことだ?」
そう言われても、よく分からない。有り余るどころか、俺の目には半死半生でミイラになりかけているようにしか見えなかったのだが。
「呪いっていうのはね、言うは易し行うは難しの典型なんだ。誰かを呪いたいと思ってもその願いが叶うのは稀だし、まして呪い殺すなど、生半にできることじゃあない」
そう、あまり見たことのない炯々とした眼光を、扉の奥を見透かすように向けていた。
「人を呪いで傷つけたいと思うなら、自らもその傷を負う覚悟を。ならば呪殺を願うならば、自らの命を天秤にかけなければ割に合わない」
「人を呪わば穴二つ、か」
だから、安易に呪いなど願ってはならない。多少説教じみたその言葉の真意を字面どおりに受け取るなら、確かに誰かを呪殺するなら自身の命をかけなければならない。
「だからこそ丑の刻参りなんじゃないのか? 自分だけじゃどうにもならないから神頼みって、普通によくある話だろ」
合格祈願、恋愛成就、無病息災。それらにご利益のある神社なんてそこら中にある。母親の実家の神社の場合、五穀豊穣や心願成就だったか。縁切りや災禍も、方向性こそ違えどそれらと同列なのだし、丑の刻参りもその一種であるといえる。
「そりゃ、人形を用いた呪術自体はかなり古くからあるけど、丑の刻参りの歴史は高々三百年あるかないか。その起源にあるのはただのお伽噺だし、手順についても一定しないんだ」
高々とはいうが、俺には充分な時間のように思えるのだが。それだけの歴史があれば、正式な手順が散逸してしまっていても不思議はないのではなかろうか。
「神道系の呪術ともされるけど、私は民間で形を変えながら伝わってきたものだと思っている。だから実際には、正しい手順なんてものはなく、呪いとしての効力は他の儀式とは比べるべくもないんじゃないかと考えているんだよ」
「だけどよ、実際に人は死んでるじゃないか」
藁人形の数と死者の数は一致しているのだ。ならやはり、何かしらの力はあると考えるべきではないのか。
「それが丑の刻参りのせいだと断定できたわけじゃあないだろう?」
……それは。
「彼女が誰かを呪ったのは確かだろうね。君の証言がそれを裏付ける。だが、それが依頼人の言う被害者達なのかどうかは、まだ保留としておきたいところだね」
そうは言うが、周防が誰を呪ったかなんてどうやってはっきりさせるというのか。
「とにかくだ。仮に彼女が全ての犯人だというのなら、作法も知らずに、ただ己の怨念だけで事を成したということになる。それは果たして常識的だろうか、ということさ」
そもそも呪術というものからして常識から逸脱していると思うのだが。それは置いておくとして、瀬津のいいたいことは分かった。要するに、
「五人を呪い殺したなら五回死んでないとおかしいってことか」
「まあ、大凡は」
だが現実に彼女は生きている。やつれ果ててボロボロであっても、その命に燃え尽きる兆候は見られなかった。
「仮に、丑の刻参りが『本物』だとしたらどうだ?」
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