第一章 第三節 第一話・後

「まあ、嘘ですけど」


 ……こいつは、どうしてそう極端なんだ。大体、今この男を挑発して何かされたらどうするつもりだ。抵抗できるような技術なんて持ち合わせていないくせに。


 案の定、男は不快げに目を細めて舌を打ち鳴らした。それの何が面白かったのか、ついに瀬津は潜めるような笑い声を上げ、


「ここ数年の内に起きた不審死について調べておりまして。もしかして何かご存知ではありませんか?」


 白々しくもそう問い返した。


「さあね」


 男も投げやりに返事をして、一層顔を歪めながらひどく面倒くさそうなため息を漏らしただけだ。


 実際、瀬津の相手は面倒だ。常日頃からということはないが、たまに起こす気まぐれには俺もよく困らされる。同情するわけではないが、男の心情は嫌でも理解できた。


「毎年、決まって八月三十一日に誰かが死ぬという事件なのですが」


「それのどこが不審なんだ。人間なんて、毎日何処かで死んでるだろ」


 そのとおりだ。瀬津のあまりにも不足な説明の中には、何一つ不審がるところはなく、男が何か知っていようがいまいが、ただのこじつけに過ぎない。


「では、その方々に何かしら繋がりがあり、しかも、明らかに何かになぞらえた死を迎えているといったらどうでしょう?」


 途端に、また男が眉をひくつかせた。


「……仮に何か知っていたとして、貴女に言う義理があるとでも?」


 そう言ってしゃがんだ男は、手にした袋を瀬津の前に置き、中身を取り出した。惣菜パンやおにぎりといった日持ちしそうにないものがいくつかと缶詰、ペットボトルの水が何本か。


「悪いけど、貴女には当面ここにいてもらうことになった」


 そして最後に出てきたのは、白地に青字で簡易トイレと描かれたダンボールの箱。簡易トイレというか、非常用の携帯トイレだろう。文字どおりここ、この部屋から瀬津を出すつもりはないらしい。


「ああ、それは無理でしょうね。すぐに助けが来るでしょうから」


 いや、だからなんでそうすぐに挑発するようなことを。大体何を根拠に……堂島さんか? そりゃ、「また話を聞きに来るかも」とは言っていたが……


「そう思いたければ好きにすればいい」


 今度こそ、虚勢と受け取ったに違いない。それ以上何か言うこともなく、男は部屋を後にした。


 実際俺も、こればかりはただの強がりだと感じた。そう思わせない程にいつもどおり過ぎてどこか薄ら寒さがあったが、世界はそう都合よくはできていない。場合によっては数日はこのままという可能性のほうが高いだろう。


 いや、生かされるだけまだいい。最悪のケースは今や目の前にまで迫っている――そう考えると、やはり瀬津の言動はあからさまな悪手だった。


「どうすんだよ。このままじゃ最悪殺されるぞ」


 ドアに向けていた目線を移すと、縛られた手を器用に使っておにぎりの包装を剥がす瀬津の姿があった。そのまま、小声で律儀に「いただきます」とつぶやくと、ゆっくり一口ずつ食べ始めた。


「ん……大丈夫さ。彼等に、私は殺せないよ」


 それこそ危機感の欠如というものではないだろうか。しっかりと咀嚼しながらほとんど口に運んだ後にようやく返ってきたのは、先程よりも更に声量を抑えた、そんな楽観だった。


「殺すつもりなら、もうとっくにやっているさ。わざわざ連れ出して監禁するよりも、あの場に埋めてしまったほうが手っ取り早いだろう?」


「それは、まあそうだが」


 それきり、瀬津はおにぎりを食むのに戻ってしまった。


 確かに瀬津の言うとおりではある。だが、少なからずあの男を挑発した今となっては、その理屈が果たしてどこまで通用するものか。


「様子を見てくる」


 何かあっても何かできるわけではないが、事態がどう転ぶか、瀬津の目の代わりくらいはやっておこう。こういうとき、幽霊というのは何とも都合がいい。


 が、


「いや、いいよ」


 扉をすり抜けようとしたその瞬間そう聞こえて振り返ると、瀬津の手がパンに伸びるところだった。


「それよりも今の内に、色々と整理しておこうじゃないか」


 ……本当に、呑気という他ないというか、何というか。

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