第三節.そして誰も・二

第一章 第三節 第一話・前

「参ったね、これは」


 鎖で足を繋がれ、両手も結束バンドを手錠代わりに縛られながらも、瀬津の調子は何一つ変わらない。言葉とは裏腹に薄ら笑いを浮かべたままの彼女にはまったくもって頭が下がる。


 あの廃神社からそう遠くない場所、周りが自然に還りつつある中で唯一人の手が行き届いた平屋の一室に連れ込まれてかれこれ一時間。スタンガンを散々食らって朦朧としていた瀬津の頭もようやく回り始めたらしく、自分の状態と部屋の様相を舐め回すように見渡してからの第一声がそれだった。


「言ってる場合か」


 二面ある窓はカーテンに遮られて、そのままでは外の様子は窺えない。分かるのは、まだ陽光がそれなりに降り注いでいることくらいだ。瀬津の位置からはどうしたって手は届きそうになく、鎖が邪魔でそれ以上近づくことも叶わない。鎖の先は、クロゼットのハンガーパイプに続いていた。家具らしい家具はなく、小さな座卓が立てかけられているくらいだ。


 このくらいなら、例えば堂島さんなら力ずくでどうにでもできそうではあるが……


「私一人じゃどうしようもないんだから仕方ないじゃないか」


 運動らしい運動すらしない瀬津に筋力を求めるのも酷というものだ。第一、下手に暴れて音を立てれば彼女達がおっとり刀で駆けつけてくるのが目に見えている。もし俺が手伝えたとしても、どうしようもないだろう。


 そもそも、俺が手伝える状況ということは、つまり俺が存命である必要があるわけで。となれば俺も同じように囚われていたことは間違いあるまい。物や人に干渉できるような力があるわけでもないし――などと考えていると、部屋の扉がすっと開け放たれた。


「何をブツブツ言っているんだ?」


 現れたのは、堂島さんほどではないにせよそこそこ大柄の男だった。手には、何かがぎっしりと詰まったビニル袋が下げられている。


 正体は分からないが、少なくとも周防みずはの協力者なのは確実だ。周防によって無力化された瀬津を軽バンに押し込みここまで運んだのは、この男なのだから。体格以外にはこれといって特徴はなく、強いて挙げるとすれば、周防ほどではないにせよ、訝しげに歪んだ目に疲れが現れていることくらいか。


 あと分かっているのは、恐らく周防とはそれなりに親交があるであろうこと。周防のことを『みずはちゃん』と呼んでいたし、周防がそれを厭う様子もなかった。


「ただの独り言ですよ。ああ、参ったなあ、とね」


 こんな状況に置かれても、瀬津の嘘っぽい微笑は健在だった。普通なら虚勢と取られても仕方のない中、そこに気を張った様子は全くなく、世間話のような軽やかさがあるだけだった。


「にしては大きな声だったようだけど?」


 むしろこの男のほうが、無理に声を作って威嚇しているのではないか。そう思って改めて見てみると、少しでも自分を大きく見せようと肩肘を張っているようにすら感じられた。


「そうでしたか、これは失礼」


「誰かに連絡してたわけじゃないだろうな?」


 殊更語気を強めたのは、瀬津の危機感の欠如によるものか、それとも別の感情か。スマホは彼らに奪われ、財布も、事務所や車の鍵も――何もかも瀬津の手元にはないのに、どうやって連絡を取るというのだろうか。


 まあ、実際にここに俺がいるので、会話していたという点については事実なのだが。幸いにも彼には、そして周防にも俺が見えていないらしい。


「気になるようでしたら、もう一度、今度は身包み剥がして調べられますか?」


「……いや、いい」


 とうとう、男は目を逸らしてしまった。これではいよいよ、どちらがどちらを捕らえたのか分からない。鎖という直接的なものがなければ、間違いなくこの場の支配権は瀬津にあった。


「で、何をしていたんだ? 瀬津探偵事務所の、瀬津涼香さん」


 盗られた物の中には瀬津の名刺もあった。だから、一息ついて向き直った男の口からその名が出てきても驚きはない。だが、目的を問いただすというのはどういうことだ。


 周防は、明らかにこちらのことを知っている様子だった。でなければ警告もなくスタンガンなど使わないだろうし、「邪魔するな」という言葉の意味が分からなくなる。もしかして手当たり次第に襲って因縁をつけていたのか? 確かにあんなところに何の理由もなく現れる人間なんてほぼいないだろうが、


「廃墟巡りが趣味でしてね。暇でしたので」


 瀬津の明らかな嘘はともかく、そういう人間がいることも確かなのだ、誰彼構わず襲いかかるというのは、リスクとして許容していいのか。


 男の眉尻が、一瞬だが揺れた。やはりというべきか、瀬津が完全に無関係な人間だという想定はなかったようだ。

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