第一章 第三節 第四話・後
「――いいよ。貴女の提案、飲もう」
まさかの発言に、真っ先に反応を示したのは俺ではなく、あの男だった。
「待ってくれ。その堂島という男が警察官だという保証は?」
当然だ。今の話の中に、堂島さんが刑事だという話題はなかった。現状はっきりとしているのは、瀬津の知人乃至友人が、数時間前彼女のスマホに連絡を入れていたという事実だけ。それだけのことで取引に応じるなど、性急に過ぎるというものだろう。
だが、俺には何となく分かった。恐らく周防は、堂島さんが警察官だと知っている。
「間違いないよ。この人は警察官。それも多分、今は刑事だ」
堂島さんが交番勤務だった頃、それはもう熱心に地域のパトロールを行っていた。警察とは無縁だった俺も顔くらいは覚える程度にはよく見かけていたし、俺が死んだとき、真っ先に駆けつけてきたのもやはり彼だった。一時期とはいえあの街で暮らしていた周防も、何かしらの形で堂島さんを見かけていた公算は高いといっていいだろう。刑事になっている可能性まで考慮しているということは、それどころか明確な接点があったということも充分に考えられる。
「昔お世話になったことがあるから、よく覚えてる」
やはりか。
世話になったといっても、どうせ何かに困っていたところに彼が手を差し伸べてきた程度のことなのだろう。堂島さんにとっては何でもないことでも、彼女にとっては記憶に残るほどの出来事だったというだけのことだ。
「……うん、あの人なら、あり得ると思う」
「君がそういうなら……」
本当に納得したのかはともかく、男はあっさり引き下がった。
「約束は守って。もし破ったら」
「勿論守りますとも」
瀬津のことだから本当に誰にも言わないのだろうが、そう思うのはそれなりに瀬津の人となりを知る俺だからだ。
この二人はどうか。瀬津のことなんて知っているわけはないし、信ずるに足る何かがあるとも思えない。それなのに、ただの口約束を守るなんてどうしたら思えるのだろうか。
「ただ、多少家の中を調べさせていただくことにはなるかと思いますが」
「それは別にいい」
何かよからぬ考えがあるのでは。そんな疑念とは裏腹に、周防はいとも容易く鎖を外し、バンドを切った。
「ありがとうございます」
手首をさすりながらフラフラと立ち上がり全身で伸びをした瀬津は、
「ところで、もし超常的な何かにお悩みでしたら、是非とも事務所にお越しください。きっとお力になれますよ」
……どういうわけか、藪から棒に営業を始めた。
バタバタというほどでもなく、かといってダラダラというわけでもない。必要最低限を手早くまとめ始めた彼等を、瀬津はただ静かに観察していた。本当に止めるつもりはないようで、持ち物を返してもらってからは周防にも男にも話しかけようとする素振りすら見せない。
精々、解放された直後に「ところで、お手洗いはどちらに?」と聞いたくらいだ。
このまま行かせていいのか。そう問おうにも、会話の内容を聞かれる可能性を考えると下手に口を開くこともできない。まあ、彼等にとっては瀬津の独り言に聞こえるだろうが、どちらにせよ聞き咎められるのは面倒だ。
結局、デイバッグ一つに収まる程度の荷物を持って立ち去るのを、最後まで黙って見送った。
「さて」
軽バンが見えなくなると、ようやく瀬津が口を開いた。
「仕事を始めようじゃないか」
「つっても、事情聞くべき相手はもういないぞ?」
河内からの依頼は要約すれば『自分を助けてほしい』というもの。ならば、何らかの関与が疑われる周防とあの男から、多少強引にでも話を引き出すべきだったと思うのだが。男のほうはともかく、周防は全くの無関係というわけではないだろうし。
いくら犯人であるという証拠が限定的とはいえ、逃したのは悪手だったのでは。
「今はあの子を休めるのが先決だよ。見るからに死に体だったじゃないか」
「昼間はあふれる生命力とか言ってなかったか?」
まああれは皮肉のようなものだったが。確かにあの様子では、下手に圧をかけて疲れさせて倒れられても困るか。
「で、どこから手をつける?」
出発時の装いからして、ほとんどの荷物は置いたままのようだ。ひっくり返せば何かしら出てきてもおかしくない。直接触れられないとしても、物理的制約をほとんど受けないこの体は、家探しにはもってこいといえる。
「そうだね、恭司君には差し当たって……」
そういって、瀬津が指差した先は――
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