第一章 第三節 第四話・前

「そんな話を信じろと?」


 藤堂に礼を言って戻ってくると、あの男の小馬鹿にしたような声が聞こえてきた。

 瀬津は変わらず縛られたままで、しかしそれ以外はいつもどおりの外面だけは穏やかな笑みを浮かべ、それを見下ろす男を苛立たせているらしかった。


「信じるかどうかはさておき、いずれにせよこのままでは、貴方方は犯罪者として逮捕されるのは確実でしょう。幸か不幸か、当方には警察官の友人もおりますれば」


 嫌な言い方だし何が起きているのかはさっぱりだが、そのとおりだ。


 あと二時間か、遅くとも三時間もすれば堂島さんがやってくる。そのときにこの状況を見て何もしないなど天地がひっくり返ってもあり得ない。普通ならそれでいいはずなんだが――


「貴方方は当方を開放してここを離れる。その代わり、当方は貴方方のことを口外しないし、囚われたということも当然黙秘する。単純な取引だとは思いませんか?」


「貴女の友達に警察官がいるという証拠もなければ、僕らのことを誰にも言わない保証もない」


 俺が彼の立場でも同じ疑いを抱く。というか、それが正常な反応だろう。この状況でそんなことを言われても、誰が飲むというのだろうか。


 よく見れば、瀬津の首筋に僅かだが汗が浮いている。もしかすると平然としているように見えるだけで、それなり以上に気を張っているのかもしれない。


 ふと、瀬津が瞼の僅かな隙間から横目でこちらを見ているのに気づいた。少しだけ顎を引いているのは、男に気取られないよう目元を隠しているかのようだ。


 ――まあ、そういうことだろう。


「すぐ行くってよ。多分あと二、三時間後」


 告げると、そのまま流れるように、すぐ男へ視線を戻した。


「では仕方がありません。じきに彼が来ると思いますが、恨まないでくださいね?」


 またしても神経を無駄に逆撫でするような声色に頭を抱えそうになる。そんなことを繰り返していては、そのうち本当に殺されてしまうのではないか……実際、男の目つきは先程から鋭くなる一方だ。


 無駄だと思うが、一応注意しておくべきか? そう考えた瞬間。


「その警察官って、堂島勤さん?」


 そんなか細い声が聞こえ、痩せ細った少女が扉の前、壁により掛かるようにして立っていた。


「みずはちゃん、もう起きて大丈夫なのか?」


 瀬津と言い合っていた人間と同じとは思えない柔らかい声とともに、険相も何処かへと消え去り、剣呑とした空気がかき消えた。


 彼女は一つ小さく頷くと、やや頼りない足取りで近づいてくる。その手にはスタンガン――ではなく、見覚えのあるスマホ。その本来の持ち主は、すっと彼女に目線を移すと、


「はじめまして、周防みずはさん」


 一層の人懐っこい笑みを装っていた。


 周防はそれに返事することなく億劫そうに瀬津を見返すだけで、その心中に何がうごめいているのかまるで見えてこない。ただその目には、少なくとも廃神社で見せたような鋭さはなく、敵意は失せているようではあるが……


「どうなの?」


 ゆらりと突きつけられたのは瀬津のスマホ。ロックは解除されていないが、画面上には着信の通知と発信者――堂島さんの名前が表示されていた。


「ええ、そのとおりです。やはり連絡してきていましたか」


 本当に予見していたのかは怪しいところだが、結果的には、虚勢でしかなかったはずの瀬津の言葉が、一部とはいえ補強されたのは確かだ。


「どうにも彼は過保護といいますか。返事するのが遅れたり通話に出なかったりすると、すぐに居場所を突き止めて追いかけてくるのですよ」


 ……何やらストーカーじみたとんでもない風評被害が堂島さんを襲っているような気がするのだが。


 スマホを掴んだまま手をだらりと下げた周防は、今度は思案げに逆側の手を顎にやった。今の、ほとんど与太話のようなものを吟味しているのだろうか。


 そして――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る