第一章 第三節 第三話

 当然だが、俺は地縛霊ではない。一番近いとすれば瀬津に取り憑いた背後霊だが、彼女と離れられないわけではない。現に、以前藤堂と再会したときも俺一人だった。


 そういう浮遊霊的な要素は何かと便利なもので、神社のような結界で覆われた場所でない限り、一度行ったことがある場所なら、そこに強く根付くもの、例えば正確な名前などを知ってさえいれば文字どおりすぐに飛んでいける。俺との縁が強ければ、その人物のそばにだってあっという間だ。瀬津の指示を渋々了承した次の瞬間には、俺の目の前には無名堂――書肆藤堂があった。


 運が悪いことに外出しているらしく、今日の店番は藤堂ではなかった。いや、カウンターに座して分厚いハードカバーをめくっている様子の彼女もまた藤堂姓ではあるのだが、用事があるのは彼女の妹のほうだ。俺が会いたいほうの藤堂が帰ってきたのは、日が西に差し掛かり、夜が見え始めた頃だった。


 事情を説明すると、藤堂の自室に通された。スマホを取り出した藤堂に堂島さんの番号を伝えかけてもらうと、すぐに堂島さんの応答があった。最初こそ訝しんでいた堂島さんだったが、俺や瀬津の名前が出たことで信用してくれたようだ。


「瀬津さんがちょっと面倒なことに巻き込まれたそうで、それで力をお借りしたい、ということみたいです」


『話は分かった。場所は、テーブルの上の地図の場所でいいのか?』


 ……ん? 話が早いのは助かるが、そのあたりのことはまだ説明していないぞ? というかテーブルの上?


「堂島さん、もしかして今瀬津の事務所ですか?」


『多分聞かれてると思うから答えるが、涼香に繋がらないこと藤崎先輩に相談して鍵を貸してもらったんだ』


 なるほど。


「そうです。そこの近くに瀬津の車があるんで、そこまで来てくれと」


「その場所に瀬津さんの車があるそうです。なのでそこまで来てほしいとのことで」


 なんというか、分かっていたことだが面倒くさい。


「あと、十分以内に来なかったら、近くに民家があるんでそっちに来いとも言ってました」


「十分経っても瀬津さんが現れなかったら、近くの民家に来てほしいそうです」


 瀬津から預かった伝言は、大まかにまとめるとそんな感じだった。


 監禁については、意図的に伏せた。俺の意思ではなく、瀬津の指示だ。どうにも、堂島さんの手は借りたいが事態を警察沙汰にしたいわけではないらしい。集合場所に車、つまり廃神社前を指定してきたということは、脱出する算段があるのだろう。手段については全く見当がつかないが。


『……それで御影君。俺はどの立場で動けばいいんだ?』


 それを聞かれると困る。


 間違いなくあれは警察沙汰だが、当の被害者がそれを隠そうとしている以上警察官として動いてもらうわけにはいかない。だが、そうでないなら多忙の身であろう堂島さんを県外まで呼び出す理由がない。


 どうしたものか。というか、そんなことを聞いてくるということは、堂島さん、何か勘付いていないか?


 ……よし。すまん瀬津。


「実は、瀬津のやつ監禁されてまして」


「は!?」


 まあそうなるよな。


『どうした……?』


「す、すみません。えっと、瀬津さん、監禁されてるそうで」


『何でそれを先に言わないんだ!』


 突然の怒号に、藤堂の肩が震えた。


 ああ、もう本当に面倒くさい。一々藤堂を介さないとまともに会話できないこの状況もだが、何より瀬津と堂島さんの間に立つという現状そのものが。


「本人が言うなって言ったんですよ。俺に怒鳴らないでください」


「瀬津さんが、言うな、とのことで」


 藤堂に動揺が尾を引いた様子はない。流石に正対していたら違っていただろうが、客商売をやっている以上、もしかするとこういう電話越しの大声には慣れているのだろうか。


 少しの間を置いて、スピーカーの向こうからはこれ以上ないほど盛大なため息が聞こえた。


『……すまない、驚かせてしまって』


「いやまあ、仕方ないよなぁ」


「私は大丈夫です。御影も、気にしてないみたいですし」


 むしろ堂島さんには同情を禁じえないというか、その心情は分かるというか。


『警察としては動くなってことか……とりあえず了解した。できるだけ急いで向かうと伝えてくれ』


 そう残して、堂島さんはすぐに通話を切った。


 正直に言えば、少し意外だった。付き合い自体は長いのだろうが、今まで瀬津と堂島さんの間に友好的な雰囲気を見たことがなかった。それが、監禁の一言で声を荒らげ、厄介な頼みをあっさりと引き受けてくれるとは。


 刑事としての正義感だろうか、それとも、あれだけ険悪であっても友人だからだろうか。


 何にしてもとりあえず、これで目的は達成か。結局堂島さんにはバレてしまったが、まあ仕方がない。

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