第一章 第二節 第三話・後
「たぶん、上野先生だと思います。担任だった」
「亡くなっていらっしゃるのですか?」
「はい。四年前、やっぱり八月三十一日に、交通事故で」
同窓会があった年のことか。そのときに送られてきたのは、『首の骨を折って』――交通死亡事故ならば、状況次第では首の骨が折れてもおかしくはあるまい。
六年連続して、ことごとくが八月の末日に知り合いが命を落としたのであれば、最早偶々と片付けることはできまい。また今回も誰かが犠牲となったのではと考えるのは無理からぬことだろうし、そんなときに連絡がつかない相手がいれば、尚更というものだろう。
それにしても、やはりその口調は、まるで単なる事実を並べ立てている機械のようだ。知人や友人が、相次いで死んでいるのだ。俺だったら、などと考えていると。
「意味が分かるようになって、もしかしたら次は、次はって、毎年毎年怯えて過ごして……最近じゃ外に出るのも怖いんです! メッセージに書いてますよね、『二人になった』って……じゃあ、来年か再来年はわたしの番ってことじゃないですか! そんなのいや!」
彼女がここに来た直後に見せたようなむき出しの感情。ただ死にたくないという、人としてある種当たり前の願いが、今再び濁流となって押し寄せた。
ここまで続いたのだ、残り二人に何も起きないとは考えづらい。これが人の仕業にせよ人以外の仕業にせよ、河内に残された時間は長くても二年、最短でも一年。まだ充分に余裕はあるが、六年もの間じわじわと忍び寄る死の気配に晒されていたことを考えれば、気をやっていないだけマシというもの。解決するなら早いに越したことはないだろう。
だが、問題はある。息を切らせる彼女には申し訳ないが、それがある限り、俺や瀬津が手を出すことはない。
「それで……何故、当方に?」
取り立てて声を荒らげたわけでもなく、ただいつもどおりの穏やかな声に、しかし事務所は水を打ったようだった。
「ここまでのお話から、当方ではなく警察を頼るべき案件かと存じますが」
その言葉を聞いた瞬間、それまで瀬津の顔をまともに見ようともしていなかった河内が、バネ仕掛けのように首を跳ね上げた。
「助けて、くれないんですか……?」
目は口ほどに、とはいうが、今の彼女の心情を一言でまとめるなら、信じられない、といったところだろうか。見開いた目は細かく揺れ、焦点が定まらないのがはっきりと見て取れる。
「まだ肝心なことを伺っておりませんので、ご依頼をお受けするか否か決めかねている、ということでございます」
現状で詳らかにされた内容では、瀬津が首肯するに足る要素が一切ない。
七年連続で、かつての学友や担任が死を遂げ、それを告げる文章が送られてくる――そこだけを切り取れば、その送信者が何らかの形でそれぞれの死に関わっていると見るのが妥当だ。どう考えても警察の領分だろう。もしくは普通の探偵か。
とにかく、瀬津を引っ張り出したいなら、彼女の話には超常的なものが足りない。ほんの僅かでもそういうものがあれば、瀬津は喜んで依頼に飛びつくのだろうが。
「だって、こんな」
「毎年一人ずつ、決まって八月三十一日にお知り合いの方が亡くなっている――なるほど、確かに奇妙であるといえましょう」
「だったら」
「ですが、それだけです。それだけならば、やろうと思えば誰にでもできます」
やはり瀬津の結論もそれだった。
「見立て殺人といいまして、何かしらになぞらえて人死を演出するというのは、ミステリー小説の定番といっても過言ではありません」
「だけど」
「はい、現実に起きていることです。しかしながら、小説の出来事が現実には起きないと、誰が言えましょうか」
いよいよ河内は絶望の色を濃くしたようだった。収まりかけていた慄きが、奥底からくる凍えを誤魔化そうとしてか再び激しくなった。
少し考えれば、見立て殺人が現実で起こる確率なんて、あまりにも低いと分かりそうなものだ。あれはフィクションの題材としては、古典的ながら魅力的なテーマだとは思うが、かかる手間やそれに伴うリスクを考慮すれば、余程の何かがない限りは起こり得まい。
第一、一連のこれを見立て殺人と呼んでいいのかという疑問もある。似たような文言を使った事例、というか小説には覚えがあるが、状況や内容がかなり違う。あちらにはちゃんと元ネタがあったが、こちらについては果たしてどうなのか。
……だが、そんなことを考える余裕なんてないのだろう、両手でテーブルを強か叩きつけ立ち上がった彼女は――
「そんなの、どうでもいい!」
そういう理屈を一切抜きに、ただ病的に叫んだ。
「もうすぐ死ぬって言われてんのよこっちは! なのに小説がどうとかなんとか殺人だとか……何だっていいから、助けてよ!」
恐怖は怒りに上書きされ、河内の目に初めて生気が宿った。射殺すような視線を突き立てられた瀬津を伺い見れば、
「当方の専門はあくまでも心霊、怪異、あるいはそれに類する存在や現象でございます。それらの介在する余地が見いだせない限りは、ご依頼をお受けしかねます」
わずかに目を細めただけ。その濁流は、彼女にしてみればそよ風のようなものだった。
ただ一人、堂島さんという例外を除けば、他人の情動に引きずられず、常に泰然自若。きっと、目の前に自分を殺そうとする何者かが現れたとしても、瀬津ならば「そうかそうかそれは難儀なことだ」などと呑気に茶でも飲んでいるに違いない。
「ほんの些細なことでも構いません。河内さんご自身、あるいはこれまで亡くなられた方が、例えば霊的なものを見た、といったことはございませんでしたか?」
つまり相手が悪かった。他の誰かなら、あるいはなだめるために訴えを聞き入れていたかもしれないが、瀬津が相手ではどれだけ駄々をこねても何も出来上がりはしないのだ。河内の表情にはいまだ怒りが見て取れたが、それは激情に駆られたというよりも、振り上げた拳の下ろしどころがないだけのようだった。
――しばしの沈黙の後。
「……一つだけ、あります」
ふらふらと席に戻った河内の口が、先程までの威勢は消え失せ、むしろそれで体力を使い果たしたかのように力なく、何処か不貞腐れたようにそう答えた。
「わたしが見たってわけじゃ、ないですけど」
「構いませんよ。お話しください」
やっと本題に入ってくれた。そんな声が聞こえるようだ。大して崩れてもいない居住まいをわざわざ正し、そっと茶を一口運んだ。
「夏菜が、えっと、同窓会でメッセージ受け取ってた一人なんですけど、連絡があったんです。犯人が分かったって。すごく、怯えてました」
先程も名前が挙がっていた一人だ。どうやら犯人を突き止めても、死は免れなかったらしい。
「誰って聞いたら……相模だっていうんです。わたし、何馬鹿なこと言ってんのって言ったんです」
そこだけ聞いた限りでは、その話におかしなところなど何もない。
相模という名前は、河内が見せてきたメッセージの中にも出ていた。他でもない河内が、UNOに対して問うた一文の中に。要はその相模が、これまでの七人の死を間近で目撃してメッセージを送っていたか、あるいは相模自身が、七人を死に追いやったかのどちらか。そう考えるのが現実的だ。
しかし、まあ。そういうことではないのだろう。
「でも夏菜は、間違いないって。そんなわけないって言っても、聞こえてないみたいで」
俺の思考を遮るように続けた河内の声は、きっとその夏菜とやらが連絡してきたときと同じような色。彼女は、明らかに明言を躊躇っていた。
「いい加減にしてって怒鳴ったら、夏菜がこう言ったんです。『だって、今目の前にいるんだ』って。そんなの、あり得るわけ、ないのに」
河内にとって、そして恐らく夏菜にとっても、相模はいるはずがない人間なのだ。だから河内は繰り返し否定し、夏菜は眼前の光景に戦いた。
瀬津を見る。彼女はすでに、手を顎にやり、瞑目していた。こうなれば、後の展開はほぼ決まったようなもの。俺も俺で、できることを考えておかなければ。
そんな俺達の様子など、河内は知る由もなく。ようやく意を決したか、一度息を呑んで、彼女はついに、その言葉を口にした。
「だって、相模は死んでるんです――わたし達が高二の頃、八年前に」
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