第一章 第二節 第三話・前

「これを、見てください」


 二杯分のジャスミンティーの効果か、それとも瀬津の、あまり行儀のよろしくない行動によるものか、先程までの狼狽は、ひとまずは落ち着いたようだ。


 そういって俯いたままの彼女がテーブルに置いたのはスマホだった。あまり飾り気はなく、シャンパンゴールドの本体にはカバーも付けられていない。


 画面にはメッセージアプリのトーク画面が開かれていた。何が書かれているのだろうと後ろから覗き込んでいると、不意に瀬津が画面を一番上まで一気にスクロールさせた。






『一人が落っこちて八人になった』




 ――誰?――




『一人が眠って七人になった』




 ――だから誰だって――


 ――何なの。ねえ、返事くらいしたら?――




『一人が首の骨を折って六人になった』




 ――気持ち悪いんだけど――




『一人がくたばって五人になった』




 ――あんた、相模なの?――


 ――もうやめてよ、こんなの――




『一人が落っこちて四人になった』




 ――お願い、やめて――


 ――私が何したっていうのよ――




『一人が酔いつぶれて三人になった』




 ――ごめんなさい、もう許して――




『一人が水に落ちて二人になった』






「知らない相手から、メッセージが届いたんです」


 見れば相手のアイコンはデフォルトのまま。名前は『UNO』と表示されているが、最初の反応を見るに知り合いの中に心当たりはなさそうだ。


「返しても返事もなくて……既読すら、つかないんです」


 確かに河内のメッセージには既読の文字は表示されていない。一度も顧みることもなく、本当にただ一方的に送り続けている。最初の問いにも、最後の詫びにも、答えようとする気配すらなかった。


「一年に一回、それも決まって八月三十一日ですね」


 ……まったく、何の因果か。


 未明だったり夕方だったりと、時間はバラバラだ。しかし瀬津の言うとおり、その全てがその日付に送られている。毎年、たった一行だけ。


 最初の日付は今から丁度六年前。全部で七回、メッセージが来ているということは――


「そして、今日届いたのが『水に落ちて二人になった』と」


 時間は午前三時前。それは丁度、瀬津と共に件の池で状況を見守っていた頃と合致している。


 池に飛び込んだ男と、水に落ちたというメッセージ。これだけなら、ただの偶然として片付けることもできるが……


「……丹波先輩です。今朝、池から男性が見つかったって、ニュースで言ってましたよね? あれは、先輩のことで間違いないです」


 確認した限りでは、報道ではその男性の素性までは明らかにされていなかった。実は判明していて意図的に隠されたのか、本当にまだ分かっていないのかはともかく、今確定しているのは、男が池に落ちて死んだということだけだ。


 なのに彼女は、それ以外あり得ないと言わんばかりに断定的だった。そのことに、当然瀬津も疑問を覚えたようで、表情は変わらないまま小首をかしげた。


「何故、そう思われるのですか?」


 俺達が知らない情報を握っているのだろうか。例えばその丹波という人間の遺書を持っているとか。俺が見た状況も、自殺と考えるのが自然だったし、その辺りが自然だろう。ただそれなら、訪ねるべきは瀬津ではなく警察だとは思うのだが。


 ……いや、もしそうだとすると、彼女の錯乱や訴えに説明がつけられない。ただ知人が自殺しただけで、自分が殺されるとは普通は考えない。ならばやはり、簡単には説明がつかない事情があると見るのが妥当か。


「四年前、同窓会があったんです」


 すると河内は、そんなことを言い始めた。


「二十歳になって、集まってお酒飲もうって。わたしの高校のクラス、みんな進学してたから、じゃあ夏休みに帰省して集まろうかって。八月の、確か十五日くらいでした。でも、結局あんまり集まらなくて。みんなノリ悪いなって」


 説明に慣れていないのだろうか、どうにも要領を得ない。しかも下を向いたままボソボソと言うものだから、なおのこと聞き取りづらく、集中していないと頭に入ってきそうにない。俺が瀬津の立場だったら、いいから要点を言えと痺れを切らしそうだ。


 その瀬津は、見事というかなんというか、貼り付けた微笑を小動ともさせない。ただ黙ったまま、河内の拙い話に耳を傾けていた。


「よくつるんでたやつの一人も来てなくて、なんであいつ来てないのって聞いたら……死んだって」


 一緒にいたというだけで、その人物とはあまり仲良くはなかったのだろうか。死から時間が経っているとはいえ、そう思わせるくらいには河内の口調はまるで他人事で、先程まで死にたくないと怯えていた人間と同一人物とは思えないほどに淡々としていた。よくいえば冷静、悪くいえば冷淡、といったところか。まさかと思うが瀬津のやつ、茶に何か仕込んだのではないだろうな。


「前の年の八月に死んだって聞いて。けど、そのときには気づかなかったんです。だけどそのあと、他にもう一人、委員長がそれより一年前に、やっぱり八月に死んでるって聞いて……」


 二人の人間が別の年の同じ月に死ぬ。それだけなら、どちらも知り合いだという点を加味しても、まだ偶然の範疇内だ。だが問題は、


「聞いてみたら、委員長は住んでたマンションの部屋から落ちて、もう一人は寝てる内に、って……そうしたら、誰かが言ったんです。『メッセージどおりだ』って……」


 メッセージを見返してみると、同窓会があったという四年前に受け取ったのは『首の骨を折って六人になった』というもの。その前年は『眠って』で、更にその前、一番最初は『落っこちて』――なるほど、確かに符合している。


「これを受け取っていたのは、貴女だけではなかったと?」


「わたし含めて、四人に届いてました。あと、その中に丹波先輩と付き合ってる子がいたんですけど、先輩にも来てたみたいで」


 つまり合計で五人。対して、その後に続いたメッセージは五件。もし、UNOなる人物が、何かしらの意図で誰かの死を伝えているのだとしたら。


 ……あの水死体の身元は、まだ公表されていない。だが、河内がそれを丹波なる人物と断言していることと、自分もこのままでは殺されるなんて言っていることを鑑みると、その意図の一端は、見えてくるような気がする。


「それで、他のお三方は、今は?」


 瀬津のその、やや唐突な問いは、本当に問いだろうか。瀬津はただ、確認するためだけに口を開いたように思えた。


「……死にました、みんな。別々の年の、八月三十一日に。夏菜も、麻衣も、風花も……どうして死んだのかは、分からないけど、きっと――」


 何故死んだかまでは、すでに彼女の中では重要なことではないのだろう。


 毎年同じ日に誰かが死んで、それを告げるメッセージが届く。そして、その犠牲者の内、最低でも三人が同じものを受け取っていたとなれば、次は自分だと考えても不思議はない。なるほど、殺される、か。


「で、今朝、ニュースで知って、先輩に連絡したんですけど……返事が、ないんです」


「お話は、大凡理解いたしました。ちなみに、もうお一方、お知り合いで亡くなった方はいらっしゃいましたか?」


 疑問があるとすればそこだ。数の上ではどちらも五ではあるが、その一人、河内は生きたまま目の前にいる。


 期待するわけではないし、ないならそれに越したことはないが、もし、一切例外のない死の宣告だとするならば、必ず誰かあと一人、死んでいなければならない。

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