第二節.そして誰も・一
第一章 第二節 序
この街は、眠る。
眠らない街が都会の条件だとするならば、この街は間違いなく田舎に分類される。かといって、自然が豊かで広大かといわれるとそれもまた違う。都市部にはそれなりの高層ビルが立ち並んでいるし、そういった人工物と天然物のどちらが多いかと問われれば、間違いなく前者と断言できる。
江戸の頃は小さな農村だったようだが、明治に入って学問に力を入れるようになり、昭和中期には総合大学が置かれ、今では小中高一貫校を擁するまでに至った。今では県内唯一の学園都市として、各地から勉学、研究のために多くの若者が生活している――この街に生まれ、この街で育った人間にとっては、耳にタコができるほどに聞かされた話だ。
必然というべきか、街には若年層向けの店やレストランが圧倒的に多いが、それらも〇時前にはほとんどが閉まる。夜々中ともなれば街を彩るのは街灯くらいのもので、その街灯にしても、郊外にまで足を伸ばせば鳴りを潜め、頼りになるのは月明かりばかり。それがこの公園は、特に顕著に思う。
全くないわけではないが、夜闇を払うにはあまりにも心許ない。丑三つ時にこんな場所に、真っ当な目的を持つ人間がどれほどいることか。
こんな時間に当て所無く散歩というのも、見る者によっては後ろ暗さがあるかもしれない。とはいえそれを咎める人影もなく、いたとしても俺を見つけることはできないだろう。少なくとも、今までこの時間帯にふらついていて誰かに呼び止められたことはない。
ただ。その逆は当然起こり得るもので。
この公園にはそこそこ広く深い池がある。日中はボートが貸し出されていて、別料金を支払えば釣りも楽しめる。八月のこの時期は特に、若いカップルが利用している姿を見ることもできる。滅多なことでは日中にここに来ないので、詳しくは知らないが。もしかすると、九月が目の前に迫った今は、すでに繁忙期を通り過ぎているのだろうか。
そのボートが全て片付けられた桟橋に、月光に照らされて人影が浮かび上がっていた。
暗がりでは男なのか女なのかは分からない。見る限りでは、力なく背中を丸めて、池面を見下ろしているようだった。
人影が動く様子は全くない。もしかするとあれは、人影に見えるだけのオブジェか何かかもとも一瞬思ったが、この桟橋にそんなものが置かれているという記憶は見当たらない。ではあれは、やはり人だろう。生身かそうでないかはともかくとして。
いずれにせよ関わる必要もないだろうと、散歩に戻ろうとした、そのときだった。
ザン、と。何かが水に叩きつけられる音が静寂を裂いたと思うと、人影は消えていた。
「マジかよ……」
思わず桟橋を渡り、人影が立っていた場所に近づく。しかし当然ながら、そこから見えるのは揺らめく波紋ばかりで、その奥にあるものを明らかにしてはくれなかった。
他に誰かいはしないかと周りを見回すも、やはり何処にもそれらしい気配は見つけられない。そうしている間にも水面はさざめきを失い、やがて残ったのは、何もかもを飲み込む闇だけ。
お前にできることなど何一つない。仄暗い底で何者かから嘲笑われるような怖気を覚え、舌打ちを吐き捨てた。
そんなことは分かりきっている。誰かに言われるまでもなく、俺に何ができるというのか。
――嫌なものを見た。よりにもよって今日とは……さて、どうしたものか。
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