第一章 第一節 第三話・前
最初は、いなかったんだ。内見のときも、引っ越しのときも、何も感じなかったから。
だけど……暮らし始めて少し経った頃だったかな。ほら、夜に土砂降りになった日があったでしょ? そう、三ヶ月くらい前。朝からずっとどんよりしてて、夜中には雷も鳴ってた。
あの日、大学に用があって、朝から出かけてたんだけど……え? ああ、いやそうだけど、もう単位も取り終わってるし、ほとんどやることないからさ。卒論も仕上げちゃったし。
で、夕方には帰ってきたのね。そしたら――
――見られてるの。どこからとか、誰にとかは全然分からなかったけど、間違いなく見られてた。
でもね、それだけなの。見られているのははっきりしてるのに、どこにも誰もいなくて。なのに、なのに視線だけ、じぃー……って、まとわりついてきて。耳鳴りも始まって、それでもやっぱり、いるっていう感じは全然なかった。いつもなら、通り過ぎただけでもすぐに気づくのに、どうしても見つけられなかった。
流石に気味が悪かったよ。普通の、っていうと変だけど、普通の霊ならすぐに見つけられる自信があったし、もう慣れてるから特に何も思わないんだけど、姿も気配もないのに……ていうのは、ね。
その内、耳鳴りもなくなって、視線も感じなくなってた。どのくらい経ってたかはちょっと分からないけど、多分五分くらいだったんじゃないかな? においもなくなってたから、通り過ぎたんだと思う。その日は、そのまま何事もなかったし。
……だけどね、それからも、よく同じようなことがあったんだ。それでも実害はなかったから、しばらくは放っておいたんだ。
それが、駄目だったのかな。
――うん、そう。それがなかったら、今もあの部屋に住んでたと思う。
その日も大学に用事があったんだけど、結構遅い時間に帰ってきて、疲れてたからそのまま寝ちゃったんだ。
……二時くらいだったかな、寒気を感じて、目が覚めたの。そしたら――血のにおいがした。それも、吐きそうになるくらいの。
御影には、前に言ったっけ。いるときはにおいがするって。いつもはそこまで強いにおいじゃないんだけど、そのときは全然違ってた。
何処から迷い込んだのかは分からないし、それが何かも分からない。というか、分かりたくもなかったし、それ以前に見たくもなかった。ろくなことにならないのは間違いなかったもの。
授業中に、私がいきなり失神したことあったでしょ? あのときも寒気がして、同じにおいがしたと思ったらやばいのが近くにいて、気づいたら気を失ってた。あのときは御影が助けてくれたけど、今回は私独り。だから、早くいなくなれって祈るしかなかった。
どれくらいそうしてたのかは分からない。多分五分とか、長くても十分くらいだったと思うけど、気づいたら血のにおいはしなくなってて、寒気もなくなってた。それで、ああ、やり過ごしたって思って、毛布から出たんだ。
……知ってる? においって、慣れるんだよ。
水を飲もうと思って、立ち上がって振り返ったらね――気のせいだと思いたかった。見間違いだと思いたかった幻覚だと思い込もうとした。だけどね、そうじゃないって、どうしようもなく分かってた。
いたんだよ。ボロボロの黒っぽいワンピースの、げっそりとした女が。
酷く虚ろな、だけど、どうしようもないほどに恨みがましく歪んだ目で、私を真っ直ぐ睨んでた。
動けなかった。ううん、金縛りとかじゃなくて、なんというか、動いたら何をされるか分からないっていうか。
そうしてるとね、そいつの口が、ゆっくり動いたんだ。口の中は真っ黒で、舌も見えなくて、声も聞こえなくて……でも、こう動いてたの。
死ね、って。
その後のことは、実はよく覚えてないんだ。気がついたらここ――シャッターが降りた実家の前に座り込んでて、朝、外に出てきたお姉ちゃんに「何をしているんですか? 照」って声をかけられて、ようやく気が抜けたっていうか。
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