第一章 第四節 第五話

 ……ページを遡れないのが口惜しい。


 いや、それはさておき。もしかしなくてもまずい状況ではないだろうか。


 丑の刻参りが失敗していたとか、そもそもの手引きを瀬津湊がしていたとか、それは今はいい。




 ――だったらもう、この手で――




「クソが……!」


 これは今日のいつ書かれたんだ。


 探偵というのは瀬津のことで間違いないとして、ここまで車で二時間。瀬津が出発したのが……正確な時間は覚えていないが、二時前だったように思う。今は……クソ、この部屋時計がない。


 リビングに戻って時間を確認すると、丁度日付が変わったところだった。瀬津が最短で動いたと仮定して……駄目だ、時間が経ちすぎている。最悪の事態が簡単に想像できてしまう。


 ――戻ろう。何をするにしても、ここにいる意味は今はない。






 ◇  ◇  ◇






「御影! アンタ一体何処に」


「すまん藤堂、堂島さんに連絡を頼む」


 戻るなり怒鳴り声を上げた藤堂を遮り、事務所を見渡す。確か……


「あと、そこの書類棚の一番左のファイルを出してくれ」


 依頼に関する書類は、順にファイリングされている。当然その中には、河内のことも含まれる。


 依頼を交わす際に記入してもらう書類には、現住所の欄もあったはずだ。それを見れば、少なくとも河内の家は把握できる。問題はそこに河内、そして周防がいるかどうかだが……


「ちょ、どういうことよ」


 困惑しながらも、藤堂の右手はスマホの発信履歴を辿り始め、左手は俺が指定したファイルを取り出していた。


「殺人が起きるかもしれない」


「は!?」


「いや、もう起きてるかも」


 スマホを取り落としそうになった藤堂を尻目に、どうすべきかを頭の中で組み立てる。


 生身の人間が実際に手を下すのを阻止するなら、堂島さん以上に適任者はいない。仮に阻止できなかったとしても、状況的に周防から公的に事情を聞くのは容易だろう。問題は、そうなったときの周防の居場所だが、


「どこ開けばいい?」


「最後のページの……そいつの前だ。河内雪って名前のやつ」


 正式な依頼として受けたのだから、当然ファイルの一番最後には相模圭との契約書が挟まっていた。連絡を取って情報を聞き出すのは難しくない。勿論、堂島さんなら、だが。


「かけるよ?」


「頼む」


 スマホには先日かけてもらった堂島さんの番号。呼び出しから程なくして、スピーカーからは彼の声が聞こえてきた。


『はい、堂島です』


「藤堂照と申します。先日もお電話した」


『ああ、御影君の同級生の。どうしました? まさかまた……』


 また、かどうかはともかく瀬津が行方不明なのは確かだ。そちらもどうにかしたいが――


「御影が、殺人が起きそうだと」


『……詳しくお願いします』


 堂島さんの声が一瞬にして、聞き馴染みのない険を帯びた。


 そこからは前と同じ要領で、藤堂に堂島さんとの中継役をやってもらった。


 河内雪から受けた依頼の概要、周防みずはのこと、見つけた日記の内容。本来は守秘義務に当たるそれらを、できる限り簡潔に伝える。勿論、瀬津湊のことも。


『分かった。すぐ向かう』


 途中忙しない音がしていたところを見るに、話を聞きながら支度を済ませていたのだろう。向こうから聞こえてくる音は、もうすでに屋外のようだった。


『それで、瀬津はどうしたんだ?』


「……また行方不明です」


『――大丈夫だと思いたいが』


 この間のことを思えば、堂島さんは嫌に冷静だった。殺人という現実的な危機がそうさせているのか、少なくとも声色にあのときの嫌悪感や鋭利さはない。


『今はその河内さんを優先しよう。悪いが涼香はそのあとだ』


 通話が切れる。さて、間に合ってくれればいいが。


 ひとまずできることはやった。あとは瀬津だが、堂島さんの予想どおりならやはりあの洋館――


「何してんの御影。私達も行くよ」


「……は?」


 またこいつは何を。


「その住所ならここからすぐだし、周防って人、瀬津さんのこと何か知ってるかもしれないでしょ」


「だからってな、お前」


「口論はなし。アンタが行かなくても私は行くからね」


 そう言い残して、藤堂は本当に出て行ってしまった。


 藤堂がこんな無鉄砲な奴だったとは知らなかった。下手をすれば殺人者と相対することになるというのに、命知らずにも程がある。霊に対する警戒心ばかり育って、生きている人間の怖さを知らないとでもいうのだろうか。


 ――何が、『おとなしいわけではないが活発といえるほどでもない』だ。あんなの、一人で放り出せるわけがあるか。

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