第一章 第五節 第七話

「手を引くっていうか、依頼解決だよね、あれ」


 藤堂を家まで送る道中、重そうなバイクをこともなげに引きながら彼女がそう言ったのは、無名書房がある商店街の通りまできたときのことだった。


 確かにそのとおりだ。瀬津は「手を引く」とはっきり口にしたが、同時に「相模兄妹の依頼は達せられた」とも明言した。単純に考えれば、言葉の意味が随分と食い違っている。


「話したかったことってそのことか? なら瀬津に聞けばよかっただろ」


 バイクがあるのにわざわざ歩くほうを選んだのは、藤堂が「話したい」と言ったからで、もっといえば、深夜ならばともかく早朝、しかもちょっとそこまでの距離でしかない藤堂家まで俺が送っていく理由はない。第一、霊体の俺が一緒にいたところで何の意味もないだろう。


「私、瀬津さんとはほとんど話したことないけど、素直に話してくれそう?」


「……ないな」


 会話のあるなしの問題ではなく、俺が聞いても答えは帰ってきそうにない。とはいえ、あいつの真意を読み解けるような何かがあるわけでもない。


 瀬津のことを知らない藤堂と、知っていても情報がない俺。そんな二人がどれだけ言葉をかわそうとも、ただの想像空想妄想にしかならないのではないだろうか。


 ただ――


「多分だが、手を引いたのは別件なんじゃないか? 例えば、瀬津湊のこととか」


「瀬津さんのお姉さんなんだよね?」


 事件の裏にいたのは瀬津の姉・湊。瀬津はずっと、俺の預かり知らぬところで瀬津湊を探していたのだろう。その理由は何であれ。


 ならば、瀬津が手を引くといったのは、その姉にまつわることなのではないか。


「あいつにとっちゃ、瀬津湊はそう思いたくないほどの相手らしい。何があったかは聞いてないが」


 だが、仮にそうだとしても違和感はある。


 どれだけの間探し続けていたのか分からないが、少なくとも年単位で時間をかけてきたことは想像に難くない。瀬津湊の関与が判明した瞬間の瀬津の鬼気迫る気配、そして「ようやく見つけた」という歓喜にも似た声から察するに、その執着は生半可なものではないように思う。それを、俺や藤堂を巻き込んでしまったなどという、いってしまえばたかがそれだけの理由であっさりと諦められるだろうか。


 藤堂は言う。


「結局、何も分からないってことだよね。なんか気持ち悪いな……」


 少ししか関わっていない藤堂ですらそう感じるらしい。


 堂島さんならある程度の事情は把握しているかも知れない。瀬津湊のことも知っているようだったし、何より瀬津との付き合いが長い。だが、第三者から勝手に聞いていい内容とも思えない。


 分からないといえば、今回の依頼にしてもそうだ。


 事件の根底にあるのは相模由布子に対するいじめだというのは分かった。それが、瀬津が公言をはばかるほどのものだったこともなんとなく理解した。そのことで恨みを募らせた周防が、不完全ながら丑の刻参りを行ったことも把握している。


 だが、その先は? 丑の刻参りは成立しておらず、仮にあの儀式に人を呪殺できる力があったとしてもこれまでの人死には繋がらない。


 十人のインディアンの謎もある。あれには何か意味があったのか? 死に方をなぞらえただけで、それ以上のことは何もなかったのだろうか。いやそもそも――




 本当にこれまでの犠牲者の死はあの歌に沿っていたのだろうか。




 調べ方に不手際があったとは思っていない。というより、調査を始めた直後に真相に限りなく近いところに辿り着いてしまった結果、他にまで手を回す必然性がなくなったというべきか。何にしても結果として、俺達は彼女達の死因は一切知らないままだった。


 死んだということ自体は、地下室で見たあの醜悪な塊を考えれば一目瞭然だ。だがそれ以上のことは、何も分からない。丹波明彦以外、彼女達が何処で死んだのかすらも。


 最大の例外は周防だ。しかし、もし十人のインディアンが『そして誰もいなくなった』の模倣であることを示すものなら、そこに不思議はない。誰に対して何の目的でという新たな疑問は湧いてくるが。


 ……とはいえ、だ。


「ま、さっさと忘れることだな」


 これ以上は正直どうしようもない。


 俺一人で調べるにしても、手立てそのものがない。藤堂の手を借りたとしても一緒だ。第一、もうこれ以上彼女を関わらせるわけにはいかない。


 無名書房が見えてきた。これで、期せぬ再会、そして再交流は終いだ。今回のことも、瀬津のことも、できれば俺が成仏できていないということも、何もかも忘れて日常に戻るのが藤堂にとって一番いいだろう。しこりが残るのは、もう諦めるしかない。




 そう。諦めるしかない。そのはずなのに。




「あれ、誰かいる……まだ開店時間じゃないんだけど」




 書房の前に泰然として立つその女は、それを許してくれないようだった。




 嘘だろ――その言葉は、引っかかって出てこなかった。


 どうして彼女がここにいる。瀬津の事務所ならともかく、本来無関係の藤堂の家の前に。一体どうやって辿り着いたというのか。


 一見して、開店を待つただの客。藤堂はそう思ったのだろう、


「すみません、開店は九時からでして」


 待てという間もなく、口を開いた。その声に、その、長身を黒い白衣で覆い、左目を白髪で隠した女がゆらりと振り向いた。


「ああ、はじめまして、藤堂照あきさん。そして――」


 女は右目を細め、薄い笑みをたたえながら俺を捉える。何故藤堂の名前を、などという疑問を言葉にする間もなく、女はこう言った。




「先日は失礼した、御影恭司君。妹が世話になっているようだね」




 瀬津、湊。俺が、俺達が知りたい情報のほぼ全てを知っているであろう唯一の、しかし二度と会いたくなかった人間が、何もかもを見透かしたかのように現れた。

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