第一章 第二節 第五話・後
「ひとまず色々見てみる。気になるところがあったら言ってくれ」
「じゃあ、まずはあの賽銭箱だね」
やはりそうなるか。あれは俺も気になる。
玉砂利もそうだが、この場においてあの賽銭箱は明らかに異質だ。遠目からでも圧倒的に浮いている。
社殿の状態からこの神社がかなり長い間手入れされていないということは間違いないのに、原型を留めすぎているのだ。そのまま近づいてみると、その不自然さはより際立った。野ざらしだというのに木製のそれにはくすみや色褪せはなく、艶めいたままだ。まるで、つい最近ニスを塗り直したばかりかのように。
挙げ句――箱の中には、なんと小銭が見えた。それも、ざっと数えただけでも、十円玉と一円玉がそれぞれ二十枚くらい、五十円玉も何枚か、見える限りで五枚入っている。硬貨の年代までは流石に読み取れないが、神社の倒壊前から放置されているとは考えづらい分量がある。
「どうだい、何か面白いものでもあったかい?」
面白いかどうかは置いておくとして、奇妙なことには違いない。
「賽銭が入ってる。五百円くらいだが」
後から設置されたのだとしたら、よほど信心深い人間の仕業か、そうまでして叶えたい願いがあったのか。玉砂利もその人物が設えたのだろう。とはいえ、前者ならどうにかして神社そのものの再建をするだろうし、後者なら他にもっといい手段があるはずだ。
賽銭箱以外に気になるところといえば、やはり相模が自殺した正確な位置だろうか。といってもどういう自殺をしたのかを知らない以上、可能性がある場所を虱潰しに当たることになりそうだが……やろうと思えばどこでだって命を断つことはできるわけだし、どうしたものか。
「次はあっちの御神木を見てもらえるかな」
「別にいいが、何か気になるのか?」
瀬津が指したのは、敷地内で一際威圧的なあの巨木だった。
「確かめてもらいたいことがあってね」
そう言って、瀬津も石柵沿いに御神木のほうへと歩いていく。社殿跡にどうしても気になるものがあるわけでもないので、その言葉に従うことにした。
近づいて見上げると、まるでこの木そのものが森を体現しているかのようだった。そこらの若木の幹くらいは優にありそうな枝、それら一本一本が別々の樹木を成していた。なるほど、これは御神木に相応しい力強さだ。
まあ実際のところは、この木を含む森全体がこの廃神社の御神木であったのだろうが。この中から一本選べといわれたら、誰しもがこの巨木を選ぶに違いない。
――これをやった人間も、そうだったのだろう。
「お、何か見つけたね?」
目敏い、と称えるべきか。
まさかこんなものが実際にあるなんて、思いもしなかった。それそのものの存在は当然知ってはいたが、こうして実際に目の当たりにするとは。
「……藁人形が打ち付けてある」
それも一つではない。御神木の幹には、まるでこの空間を彷徨う怨嗟を飲み込んだかのように黒ずんだ五つもの藁人形が、無造作にぶら下がっていた。
これの正式な作法はどんなだったろうか。白装束と蝋燭が必要なこと、執り行う時間は文字どおり午前一時から午前三時の間というのは知っているが。
しかし、なるほど。これならば色々と説明がつく。賽銭箱の異様な綺麗さも、整った玉砂利も。
それらは全て、丑の刻参りを行った生きた人間によるものであると。
鳥居をくぐって声を聞いたとき、違和感があった。口で説明しろといわれても何ともいい難い些細なズレのようなものだったが、その感覚には覚えがあった。
聞こえてくる声は、何も死んだ者のものばかりではない。生者の強い念が残滓として留まり、声を形作ることもある。俺がここで聞いた――勿論今も聞こえているが――声は、限りなく生者のものに近かった。
確信が持てなかったのは、声として聞こえるほどの強い念を持つ生きた人間というのが、そうはいないからだ。だがそれも、丑の刻参りをしていたというのなら得心できる。誰かを呪いたいという思いはそれだけでも充分な力があり、実際に儀式までしたとあれば、この状況は当然の帰結といえるだろう。
「随分と分かりやすいものが見つかったものだね。まあ、依頼と関係あるかまでは、まだ断定しかねるわけだけども」
クスリと笑った瀬津はきっと、ここに何があるにせよ生きた人間が関係していると踏んでいたのだろう。勿論、彼女の言う通り、これが依頼解決に繋がるものかは分からないが。
仮にこれが、依頼された事件を引き起こしたものだとすれば、犯人は相模由布子の怨霊などではなく、そもそも死霊ですらないということになる。呪いというオカルトが絡んでいるとはいえ生身の人間が犯人なら、これは警察の案件になるのだろうか。
「なあ、これって」
調査はひとまず継続するとして、どうするかくらいは聞いておこうか。そう思い顔を上げ、瀬津のほうへ向き直り――
刹那、機関銃のようなけたたましい音とともに青白い閃光が走り、瀬津は膝から崩れ落ちた。
「――瀬津!」
反射的に手を伸ばすも届くはずがなく。受け身を取ることもできずに倒れ伏した瀬津の身体は、時折ひきつけを起こしたように震えるばかりで立ち上がる様子はない。微かに聞こえるうめき声だけでは意識があるのかどうかも判断できない。
分かっていることといえば。
瀬津は、いつの間にか背後に立った何者かに襲われた、ということだけだ。
生者のはずなのに、まるで幽鬼だった。ボロボロの黒いフレアパンツの裾から覗く足首も、よれた黒シャツの袖から伸びる腕も、骨と皮ばかりが目立つ。枯れ枝のような指で握りしめているのはハンドライトのように見えるが、その先端にはスパイクのような金属の突起がいくつか並んでいた。
何より、落ち窪んだ眼窩に嵌る炯々としてナイフのような目と浮かび上がった頬骨、伸びるに任せて絡まり合い、ささくれ立つ長すぎる髪がその印象を強める。横たわる瀬津を髪の隙間からただ黙って忌々しそうに睥睨する姿を、恨みを募らせた亡霊以外にどう表現できようか。
――ふと、その顔に見覚えがあるような気がした。それも、ごく最近。いや、ここまで病的にやせ細った人間に会ったことなどないし、よしんば会っていたとしたら間違いなく記憶には残っているはずだ。ということは、他人の空似か思い違いか、あるいは……
木々がざわめいた。上から下から葉が舞い、帳のような髪が風に揺れ、隠されていた口元が明らかになった。
真一文字に引き絞られた口唇の端。そこには連なる二つのほくろ。それは、ここに来る前に見た、彼女のものと瓜二つ――いや、完全に同一のものだった。
ああ、道理で。気づいて見てみれば面影がある。頬はこけて全身干からびたようで、髪は無造作に伸び散らかしていても、その鋭い目つきは写真と変わらない。むしろ、敵愾心剥き出しのそれは、写真で見たときよりも険しさが増している。落ち窪んで深いくまが刻まれていることも、それに拍車をかけているように見える。
「周防、みずは」
死んだと思っていた。思い返してみれば、どの報道でも彼女が死んだとは一言も言っていなかったというのに。だが、七階もの高さから落ちて生きているなど、誰が考えるだろうか。
俺の声が聞こえないのだろう、しゃがみ込んだ彼女は何も答えない。ぎこちなく腕を動かし始めた瀬津を、変わらず鬱陶しそうに睨めつけている。やがて、瀬津が手を支えに起き上がろうとした、そのとき。
「邪魔、するな」
あの怨嗟と同じ声と共に、フラッシュライトに似た筒が、再び音と光を走らせた。
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