第一章 第二節 第五話・前

 マップを見た時点で分かり切っていたことだが、要するにここは田舎だった。


 見渡す限りの大自然、田畑広がる牧歌的な風景といえば聞こえはいいが、実際には畑にも田んぼにも人影は見当たらず、そもそも作物ではなく雑草が幅を利かせている。手入れする者がいなくなってしまったのだろう。


 そんな寂れた平坦な景色の中に突如として現れた森林地帯。そのそばにある空き地は、かつては駐車場として使われていたのだろうか。車を降りて足元を見ると、敷石の隙間には緑が目立っていた。


 森に目を向ければ、やけに真っ直ぐな二本の倒木が目につく。長年の風雨に手入れなく晒され続けたせいか、割れ、剥がれ、腐れ落ちている。微かに残る外皮は、天然自然の樹木には見られない色合いをしていた。恐らく鳥居の柱だったものだろう。笠木や額束といった他の構成物は見当たらない。


 柱の間からは、最早獣道と言ったほうがいい参道が森の奥へと続いている。先は、木々が落とす影に遮られて見えなかった。


「じゃ、行こうか」


 気楽にそう言う瀬津の顔つきは、どことなく愉快そうだ。自殺があった潰れた神社に今から向かうのにこれほど場違いな表情もない。まあいつものことではあるが。


 近づいてみると、生えた雑草の一部が横倒しになっていた。獣か人か、いずれにせよ何かがここを正しく道として利用しているのは確からしい。その上を、瀬津は躊躇なく進んでいく。というより、意図してそこを選んで進んでいるようにも見えた。


 後に続き、鳥居だったものを通り過ぎる。道は緩やかな上りになっていて、元々の道自体が曲がりくねっているらしい。かつては敷き詰められていたであろう玉砂利はそのほとんどが土や枯れ草に埋もれ、所々に転がるは石灯籠だったものの残骸。一体どれほどの時を経て、ここまでに至ったのだろう。


「あれだね」


 瀬津の声に前を見る。今度は未だそびえ立ったままの、しかしやはり相応に腐食が進んだ鳥居が目に入った。近づくに連れ、その向こうの様子も見えてくる。


 元々こぢんまりとした神社だったのだろう、黒々とした森林の一部を円形にくり抜いた、不自然に明るい広場の中には、朽ち果てた木材の残骸が無造作に山積みされていた。元は社殿だったのだろうが、往時の面影は認められない。


「思っていたよりは綺麗だね」


 それでも瀬津の感想はそれだった。


 言わんとすることは分かる。確かに社殿は崩れ、すでに社としての体は成していない。しかしここに至るまでの参道の様子を考えれば別物だ。地面に余計な草はなく、玉砂利がしっかりと均されている。明らかに、誰かが定期的に手入れをしている様子だった。


「気味が悪いな」


 森の外を見るに、管理する者がいるとは到底思えない。それ以前に、この辺りに人が住んでいるような気配がなかった。それなのに地面だけが整えられているというのはどういうことか。


「……先に入る」


 些細な違和感であっても、異質と感じたのであればそこには何かがあると思え。瀬津の下について最初にそう学んだ。結果的にただの勘違いで片付くならそれでよし。考えなしに飛び込んで惨事を招くくらいなら、その程度は徒労にはならないと。


 瀬津に言われたわけではない。この仕事を手伝うようになって最初に受けた依頼で、そう痛感したのだ。だから、瀬津が何も言わなくても、俺が何かあると感じたときはいつもそうしている。


「頼んだ」


 ここが、廃墟とはいえ神社でなければ、外からでも何かしらを感じ取ることができたかもしれないが、今はただ、そこに廃神社があるという事実しか分からない。


 鳥居とは、神域と俗世を隔てる結界であり、門でもある。たとえそこが打ち捨てられていても、神社という記号として原型を留めているのならその役割は果たされる。よく見渡してみれば、鳥居の両脇には伸びた草に石の柵が埋もれていた。ということはなおのこと、この内側はまだ区切られたままだ。


 結界は何も外からのものにのみ作用するとは限らない。ときとしてこれは、内に隠した何かが溢れ出ないように閉じ込める。ほとんどの神社はそんな目的で造営されていないが、もしここが、荒ぶる魂を封じるために用立てられた社だったのだとしたら――一片たりとも外に出ることは叶わず、崇め祀られることなく膨れ上がった荒魂の怨嗟は、一体どれほどおぞましいものだろう。


 ……ここでうだうだと考えていても仕方がない。中で何が待っているのか分からない以上、乗り込むより他に道はないのだから。腹をくくって、結界の内側へと入り込み――




 ――……ね――




「――お前は来ないほうがいい」


 耳元では虫が飛び交うような不快な音に混じって『声』が聞こえ、振り返らずにそう告げた。


 俺の目に映る光景は、鳥居の向こう側から見たものと変わりない。完全に崩れ落ちた社殿、その癖やけに綺麗な地面、何本かの木々は結界の内側にあり、その中には、注連縄が巻かれた際立って幹が太いものもあった。




 ――……さない――




「やばそう?」


 やばい、と一言で片付けてしまっていいものやら。


 少しでも『持っている』人間なら、悪寒くらいは覚えるだろう。藤堂なら、誤魔化しようのない腐臭のようなものを感じても不思議はない。


 そして――




 ――……さえ、いなければ――




「さっきからうるさい。頭が割れそうだ」


 俺にはよく聞こえる耳があるらしい。


 昔はそんな力は持っていなかったが、瀬津と出会う丁度一年前に見えるようになり、彼女と共に過ごす内に、特に声に対して鋭敏であると知った。気づいた頃は耳鳴りばかりが響いて不愉快極まりなかったが、しばらくして、ようやく分かった。


 それが、声であると。


「なんて言っているか分かる?」


「ちょっと待て」


 意識を向ければ、ノイズの向こうで何を言っているのかも聞き分けられるようにもなった。時折、それでも何を訴えているのか聞き取れないときもあるが、今回はそんなことはないようだ。


「死ね、許さない、お前達さえいなければ、だそうだ」


 他にも声は聞こえることは聞こえる。ただ、一番強いのは間違いなくこの三つだった。


「なるほど。ありきたりだけど、これほど分かりやすい殺意もないね」


 一切の飾りを放棄した剥き出しの怨嗟。余計なものが徹底的にろ過されて無味乾燥としたものに聞こえるだけで、その中には充分すぎるほどの害意が濃縮されているようだった。


「他には何か聞こえないかな?」




 ――……て、もう……――




「聞こえはするが……駄目だ、ノイズが酷い」


 込めた思いが強ければ強いほど聞き取りやすくなる代わり、それ以外はどうしても埋もれてしまう。少しでも声という形で残っているということは、それもまた何かしら意味のあるものであることに違いはないのだが。


 しかし、これは……いや、勘違いだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る