幕間・前

 堂島勤が藤崎綾音の帰社を待っている間に、東の空からは夜が迫っていた。


 それほど長い時間は経っていなかったがシャツは貼り付き、自販機で買った麦茶はすでに空。それほど広くない境内の御神木からは、未だにセミのけたたましい合唱が耳をつんざく。これなら巫女の勧めに従い社務所で待たせてもらったほうがよかっただろうかと考えながらふと鳥居のほうに目を向けると、赤髪が揺れるのが見えた。


「あれ、堂島?」


 切れ長の目を丸くした藤崎の出で立ちはいつもの紫袴の装束ではなく、丈の長い黒のワンピース姿だった。いつもは首の後ろで一房にまとめている髪も、今日は解かれている。肩から下がるバッグは最低限のものが入ればそれでいい程度の小さなもので、目に見える派手さはない。


「お疲れ様です、先輩」


「お疲れ。何か用事?」


 一礼して顔を上げると、もう藤崎は目の前まで来ていた。


「てか、連絡くれればよかったのに」


「いや、今日に限ってはそういうわけには」


 巫女に藤崎の不在を知らされるまで、堂島は今日が何の日なのかを失念していた。曜日や日付の感覚は人より研ぎ澄ませている自負はあったが、それぞれの日にどういった意味があるのかを完全に記憶しすぐさま認識するには、仕事に忙殺されすぎていた。


「気にしなくていいわよ。六年も経ったんだし、叔母さん達も前ほどひどい状態じゃないから」


 藤崎はそうあっけらかんと言うが、それでも堂島は首を縦に振ることはできない。故人を悼む行為に、時の流れは関係ないのだから。心情として、その時間を邪魔したくはなかった。


 六年前、彼の訃報を両親に伝えたのは自分だった。二人とも、堂島の言葉にどう返すべきか見失っているようで、彼の亡骸を前にしてなお、彼等の目は虚ろだった。あとから駆けつけた彼の妹が漏らした「何の冗談よ」という一言は、今も堂島の脳裏にこびりついている。


 藤崎と血縁があると知ったのは、それから少し後のことだった。


 彼の死に藤崎がどう向き合ったのかは、堂島は聞いていない。ただ、毎年命日になると、彼女は決まって墓に手を合わせ、彼の家族と会っていることは知っている。少なくとも仲が悪かったということはあるまい。


「若菜も、多分もう大丈夫だと思うし。で、どうしたの?」


「実は、涼香と連絡がつかないんです。どこにいるかご存知ありませんか?」


 涼香と最後に話したのは昼前。その後、より詳細にしっかりと話を聞くために連絡したのが三時過ぎ。すでにそれから四時間近く経っていたが、堂島のスマホに涼香から着信が入る気配すらない。


 と。


「――さっきの言葉、訂正するわ」


 ごく小さく息を飲み込み、藤崎はそう切り出した。わずかに眉を寄せながら。


「そういうときはすぐに連絡しなさい。いい?」


 背丈も筋骨も、藤崎は堂島に遠く及ばない。決して小柄というわけではなく、また彼女が鍛えていないというわけではないものの、目立って大柄の堂島と並べば、藤崎を含む大半の人間は小さくなる。


 それでも堂島は、彼女から真っ直ぐ見据えられた瞬間、まるで炯々とした眼光に見下されているかのような心持ちに襲われた。


「はい、すみません……」


「とにかく詳しく聞かせて。ここじゃ何だから中で」


 歩き始めた藤崎の背を追い、社務所へと向かう。心なしか彼女の足取りは、平生より一層早かった。

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