第一章 第六節 第四話

 昨日の今日でここに戻って来る羽目になるとは、瀬津は勿論そうだろうが言い出しっぺの俺も思いもしなかった。


「タクシー代、結構かかったな……すまん」


「気にしなくていいさ。どのみち、こいつを取りに来なきゃいけなかったんだ」 


 瀬津はすっかりいつもの調子に戻り、自分の車のボンネットを軽く叩いた。こいつが手元にあったら、結構どころではない出費を瀬津に強いずに済んだのだが。あるいは俺一人で来れば――いや、それでは意味がない。


 日はとっくに沈んでいる。何の因果か、ここに来るときはいつも夜だ。流石に三度目ともなると異様にすくむこともなくなったが、それでも望んで来たいかどうかは話が別だ。まして地下であんなものを見たあととあっては近づこうともしないだろう。


 余程の物好きか、何か事情がない限りは。


「それに、あれが何をしたかったのか、気にならないといえば嘘になるからね」


 瀬津湊と再び会ったことと聞かされたことを全て明かすと、「じゃあ行こうか」と瀬津は口にした。実にあっさりと、ちょっと買い物にとでも言うように。


「知ったら壊れるらしいが?」


「そう言っておけばビビって近づかないとでも思ったんだろう」


 歩を進めながら、瀬津は続けた。


「それにもし仮に、本当にそういう、人知を超えた名状しがたい何かがあるのだとして、私にとっては今更だ」


 足取りは早く、踏み出すたびに土を踏みつける音が強か響く。雲間から降り注ぐ月光が照らした瀬津の横顔には、この上ない嘲りが込められた笑みが浮かび上がっていた。


「一体いつまで私をガキだと思っているのやら。再会して多少は分からせたと思ったんだが、舐められたものだね」


 やがて洋館の入口に辿り着くとすぐさまにドアに手を伸ばし――吹き飛ばさんばかりの乱雑さで押し開く。


 限界まで開かれたドアは、その勢いを殺しきれず一度悲鳴を上げ、反動で戻ってきたその扉に瀬津はそれがどうしたと蹴りを入れて強引に止めた。


 ……これは、相当だな。


「落ち着け」


 本人はもうここには帰らないと言っていたし、元住居に当たり散らしてもどうしようもないだろうに。


 瀬津は特に何も言わず、ただヘラヘラと笑いながら手を緩やかに振っただけだった。そのまま、特に何か言うでもなく辺りを見回すと、何かに気づいたのか真っ直ぐ壁へ進み、そっと手を触れた。


 途端、俺は初めて、明るい光の下でこの家の全容を見た。


 暗くてもほぼ障りなく見渡せていたとはいえ、明かり一つでこうも印象が変わるものか。前の二回はどうしても薄気味悪さというか、好き好んで足を踏み入れようとはどうしても思えない、そういう暗澹とした雰囲気があちこちにこびりついていた。それが今や、ただの豪華な洋館にしか感じられない。


「それで、確かめたいというのは、書斎の日記だったね?」


「ああ。右側の二番目だ」


 残っているかどうかは賭けだ。それもかなり分が悪い。中身を改めていない以上日記と断定できるわけではないが、もしそうなら持っていかれている可能性は高いだろう。


 だからといって確かめる前から諦める理由にはならないのだが。


 俺が言った扉を無遠慮に開け明かりをつけた瀬津に続き書斎に入る。中は特に変わった様子はなく、昨日のままのように見える。置いていったということは、ここにあるものはもう瀬津湊にとって不要ということなのだろうか。


「あれだ」


 例の机も、やはりそこにある。問題は中に目当てのものがあるかどうかだが……


 と、引き出しの取っ手を掴んだ瀬津が、


「鍵はかかっているけど――」


 そう言ったかと思うと、唐突にガタガタと引き出しを揺らし始めた。その程度のことで開くとは思えないが、何を。


「中に何か入っているのは間違いないね」


「見てみる」


 もう一度顔だけを机に潜り込ませる。そこにあったのは、あの日見たあの日記帳らしきもの。どうやら、もうこれも必要のないものになったようだ。


「あるな」


「じゃあ、開けてみようか」


 まるで、なんのことはないと言わんばかりの気楽さだ。まさかピッキングの知識もあるとでも。いや、瀬津ならあり得るのかもしれないが、道具らしきものは持っている様子はない。


 と、藪から棒に下の引き出しを全て取り外した瀬津は、生じた空間に頭を突っ込ませると、またすぐさま顔を上げ、今度は辺りを見回し始めた。


「どうした?」


 何かを探しているようだが――


「いやちょっと、ドライバーでもあればと思ったんだけどね」


「あるとしたら隣の倉庫だろうな……開けられそうなのか?」


 ドライバーでもとは簡単に言うが、こういうものは割と頑丈に作られているものではないのだろうか。


「高級そうに見せかけた組み立て家具だ、私でもやれるだろう。ちょっと見てくるよ」


 書斎をあとにする瀬津をよそに、彼女と同じように机を覗き込んでみる。


 ――なるほど、確かにこれなら、時間をかければドライバー一本で片がつく。あちこちにネジ頭が見えるし、舐めてもいないようだ。俺も生前、この手の家具を部屋に置いていた。


 ただ問題は、一段目の引き出しに隠されているであろうネジだが……


「待たせたね」


 程なくして戻ってきた瀬津の手には中くらいのドライバー、それとバールだった。


「じゃあ始めようか」

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彼女は死霊を愛おしむ 六城綴 @Tsuzuri_Tanuki

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