第一章 第六節 第三話

 藤堂の足取りが重そうに見えるのは、俺が抱いているものと似たものを藤堂も抱えているからだろう。


 結局、納得できるだけの話は聞き出せなかった。何もかもが曖昧で、何かを断定するものなんて何一つなかった。


 産もうとした――何を? しかもその表現すら、瀬津湊の言葉を借りれば俺達に気を使った言い回しだという。であれば、俺達は一歩も進んでいない。


 もっと答えが分かりやすい質問にするべきだっただろうか。例えば、瀬津と何があったのか、とか。何をしたら、妹に『同じ血が流れていることすらおぞましい』とまで言わせられるのか。俺にも妹がいるが、生前仲がよかったとまではいかずとも、憎悪嫌悪の対象ではなかった……と思う。


「じゃあ、御影。また」


「またって、会いに来る気か?」


 無名書房を訪れる機会はもうないだろう。使いでも頼まれない限り。


「俺にも瀬津にも、もう関わらないほうがいい」


「そりゃ、そうなんだろうけどさ」


 ほうと一つ息をついた藤堂の口元が、弱々しく緩んだ。


「まあ、私が暇なときに話し相手にでもなってよ」


 そんなもの、友人なんていくらでも……いや、藤堂の交友関係がどうなっているかは知らないが、高校時代のことを考えると、そう広くはないのかも知れない。


「またね」


 もう一度そう言うと、俺の返事を待たずに店の奥に消えた。


 ……仮に生者の友人がいないのだとしても、死者とのつながりを強めるべきではないだろう。本来、生者と死者は文字どおり住む世界が違うのだ、藤堂がその境界を無視し続ければ、いずれこちら側に引っ張られることに――死ぬことになりかねない。たとえ、その交流の相手が俺だとしても。


 これまでどおり藤堂は、心霊を避ける生活を続けるべきだ。もし本当に次があるのなら、そのときに釘を差しておこう――などと考えていると、いつの間にか事務所にまで戻ってきていた。


 ただでさえ帰ってくるのが遅くなったのだ、変に難しい顔を見せると、瀬津に余計な心労をかけるかも知れない。扉を潜る前に一つ呼吸を整え、意を決して戸をくぐると、


「遅かったね」


 気怠げな様子を隠そうともせずに、パソコンを前に頬杖をついた瀬津が、こちらを見ずにそう答えた。


「ちょっとな」


 気づいていないと見るべきか。とりあえずはこちらも平静を装いながらそう返す。


「何か調べ物か?」


「いや、暇だから動画でもと思ったんだけどね。特に見たいものも見つからないから、どうしたものかと」


 そんなことを言いながらも、キーボードを叩く様子もマウスを走らせる気配もない。ふと近づいてディスプレイを覗いてみると、確かに動画サイトのトップが表示されてはいたが、何かを探したような痕跡は見られなかった。


 そもそも、瀬津は動画サイトを見る人間だっただろうか。暇つぶしというのなら、本を読んでいることのほうが多い印象がある。パソコンはあくまで仕事用にあるだけで、それ以外で使うとすればニュースを流すくらいのものだったような。


「そうだ、恭司君」


 と、そんな似つかわしくない画面から不意にこちらに、妙に柔らかい笑みを向けた瀬津は、


「助けてくれて、ありがとう」


 ……いよいよもってらしくない。いや、瀬津から礼を言われたことがないわけではないが、ここまで素直な態度をされた記憶はない。あの日、廃神社の前で堂島さんと相対したときの瀬津を思い出して、むず痒さを覚えた。


「なんだ、気持ち悪い」


「酷い言いようだね」


 こういうやり取りのほうが俺と瀬津には合っている。それが、俺が知る瀬津涼香という人物だし、それ以外の顔を見てしまうとどうしても盗み見したような居心地の悪さが拭いきれない。


「あのままじゃあ干からびてあれらの仲間入りをさせられるところだったんだ、感謝は感謝として、素直に受け取ってくれるとうれしいんだけどね」


 言うと、今度はふぅと肩をすくめ、


「……流石に、実の妹を殺すまではしないと思っていたんだがね」


 その声にも表情にも悲嘆はなく、ただ諦めばかりが顔を覗かせていた。


「姉とは思ってないんだろ? 向こうは違うのか?」


「さあ? あれの本音なんて、今まで一度も聞いたことがない」


 やおら立ち上がり背を向けた瀬津は、そのまま引きずるような足取りで進み始めた。どうやら寝室に向かうようだ。


 聞いておきたいこと、知りたいことは、やはり当然山のようにある。だが――


「もう少し休むよ」


 そう言ってドアノブに手をかけ、ゆっくりと押し開く瀬津。そのまま部屋の奥に――消える、その直前。


「瀬津、起きたら、ちょっといいか?」


 俺の声に一度だけ振り返った彼女の顔には、奇妙な柔和さがあった。

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