第一章 第一節 第一話・後

 テーブルには天板を覆い尽くさんばかりの資料。尊大に足を組み、ソファに身体を沈めた瀬津は、ただそれらを睥睨した。


 散らばった紙の何枚かは周防みずはを含めた、過去四人分の入居者情報で、男が持ち込んだものを解いたものだ。残りは件のマンションの周辺地図と、新聞の切り抜きやニュースサイトやまとめサイトの記事をプリントアウトしたものが並ぶ。四人の共通点らしい共通点は、女性というもの。それは、偶然といってしまえばそれだけで説明がつく程度の、希薄な繋がりだった。


 六年前の飛び降りは、地方紙やローカル情報の発信を旨とするホームページでは、比較的大きく報じられていた。といってもそれは発生直後に限定され、それ以降は続報らしい続報もなく、人心からも忘れ去られていったようだった。結局、事件だったのか、自殺だったのか、それとも事故だったのかも、公にはされていない。


 ふと、瀬津がぐるりと首を巡らせた。挑発的、あるいは蠱惑的な笑みを浮かべたまま、すっと細められた目が、


「君はどう思った? 恭司君」


 真っ直ぐ、俺に向けられた。


「どうって、何がだよ」


 思いを馳せるべき点が多すぎる。


 これまでの入居者達は具体的には何をもって部屋をすぐに引き払ったのか。


 瀬津があの男に問いかけた疑問点、すなわち、周防みずはは何故死ななければならなかったのか。


 そして、何故瀬津が本物の除霊師などという噂が流れているのか。


 流石に、本来は社外秘であろう過去の入居者情報を持ち込んだ男のコンプライアンス意識はどうなっているのか、なんて、至極どうでもいい話ではないとは思うが。


「卵が先か、はたまた鶏が先かな」


「……いや、本当に何のことだ」


 後か先かを気にするような話が果たしてあっただろうか。


 よほど怪訝な顔をしていたらしく、瀬津の口元からクスリと息が漏れた。


「その部屋に霊的な何かがいると仮定して、果たしてそれは周防みずはにまつわるものなのか、それとも、霊がいたから周防みずはは飛び降りたのか。さあ、どっちだと思う?」


「どっちでもいいだろ」


 大体情報が足りなさすぎる。そんな状況で何を言ったところで妄想にすぎないと、いつも一刀両断するのは誰だったか。


「それより、さっさと行って片付けようぜ」


 鍵は預かっているし、部屋に立ち入る許可も得ている。ならば事務所でいつまでも安楽椅子探偵を気取らずに、さっさと赴いて片付けてしまったほうが面倒がないというものだ。


「そうはいかないよ。だって、まだ金を受け取っていないんだから」


 そう言って、瀬津は首をすくめてみせた。


 払いがない限り、事前の情報収集とそれに伴う推論立て以上のことは決して手を出さない。その代わり、支払いが確認さえすれば、彼女は全霊をもって事に当たる。俺がここに居着くようになって四年かそこらだが、それまでに瀬津の仕事を見てきた中でその例外に当てはまる事態が起きたことは一度たりともない。


 まあ、そもそも仕事の絶対数自体が少ないということはあるのだが。商店街の端でひっそりと、しかも看板の一つも掲げずにやっている探偵など、頼ろうとは誰も思うまい。というより、商店街の外れ、裏路地の隅に自称探偵がいること自体、大半の人間は知りもしないだろう。


「綾音さんからは前もって何もなかったんだ、そう焦ることもないだろうさ」


「まあ、確かにな」


 男の口から直接聞いたわけではないが、瀬津のことを教えた神社の人間というのは、十中八九、宮司であり俺の従姉でもある藤崎綾音その人だろう。このあたりの神社といえば街の中心部近くにある稲荷神社だけだし、多少なりとも瀬津とのつながりがあるというのであれば、尚更だ。


 ……と、ふと並べられた書類の中に、見知った名前を見つけた。


「藤堂も住んでたのか」


「ん、知り合いかい?」


 藤堂あき。瀬津が拾い上げた書類には、彼女がつい先月まで件の部屋に入居していた事実が記されていた。同姓同名の可能性も否定できないものの、照と書いて『あき』と読む同い年の人間が同じ街に二人もいるとはあまり思えないし、間違いないと断言していい。


 なるほど、不動産屋が言っていた、現状最後の入居者は藤堂なのか。


「高校のクラスメイト」


 友人と呼べるほど親しかったわけではないが、一時期彼女には色々とあったことで、それなりに記憶している。


 だからだろう。藤堂が心霊騒ぎが起きるような部屋を借りていたという事実は、少なからず意外だった。


「どんな子かな?」


「どんなって、そうだな……」


 藤堂について俺が語れることはあまりにも少ない。どんな子と問われても、表面的なことを多少並べ立てる程度が関の山。そもそも、大人しいわけではないが活発といえるほどでもないなんて感想を、瀬津が聞きたいとは到底思えなかった。


 ならばやはり、瀬津に伝えるべきは一言に尽きる。


 誰が言い始めたのかは分からない。ただ気づいたときには、藤堂はそう呼ばれていた。全く面識のない上級生にもそのあだ名は知れ渡っていたようで、興味本位の連中がクラスを覗きに来ていたのはよく覚えている。


 彼女のその体質が発端で起きた騒動と、それに関わる事件に俺が巻き込まれたのは、正直いい思い出とは言い難い。だからこそ、こうして五年ほど経った今でも記憶に鮮明に刻まれているのだろう。


 すなわち――




「……霊感少女」

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