第一章 第五節 第一話・後
「こりゃすごいな」
堂島さんの感嘆もむべなるかな。壁の全てを下から上まで本棚が埋め尽くし、その中には隙間一つなく大小さまざまな書籍がひしめき合っていた。のみならず、本棚からあぶれた本がそこかしこで小高い山を作り、足の踏み場を圧迫している。
「……うちより多いかも」
ライトが次々と照らし出す本の塊に、藤堂は圧倒されながらも何処か恍惚とした表情を見せていた。古書店の娘故か、単に彼女が本の虫なだけか。何にしても、確かにこの物量は無名書房に勝るものがある。
「見たことない本ばっかだな」
大雑把に眺めただけだが、どうやらここに並ぶものは俺には馴染みのないものばかりのようだ。
生前はそれなりに本は読んでいたものの、その大半は小説だった。ここにはその類のものは見当たらない。いや、もしかしたらあるのかも知れないが、日本語以外に明るくない俺には、英題すら縁遠いものだった。
いや、そもそもこれらは英語なのだろうか。アルファベットであることに違いはないが、見覚えのある単語が少ない気がする。ところどころ、文字の上に装飾が入っているものもあるが、これは。
「こっちはドイツ語、こっちはフランス語、これは……ラテン語、かな」
明かりを頼りに背表紙を睨みつけていた藤堂が独り言のように漏らす。
「私も詳しくはないんだけど」
「見て分かるんなら充分詳しいと思うんだが」
言われても、俺には区別がつかない。堂島さんのほうをちらりと見ると、俺と似たりよったりの様子だった。
「お姉ちゃんが色々と読んでるから、それで少しはね」
ちゃんと読めるわけじゃないけどなどと言いながら、やはり見るからに浮足立っている。こんな状況でなければ、部屋の明かりをつけて一冊一冊吟味を始めてもおかしくはない程度には。
「二人とも」
と、声を上げた堂島さんが光を当てたのは、うず高く積まれた本の更に奥だった。
「扉がある」
部屋に入ったときには壁一面に本棚があるように見えたが、そこだけポッカリと空間が空いており、そこには堂島さんの言葉どおり一枚の扉があった。
「隣の部屋と繋がってるんでしょうか」
確かに、藤堂の言うとおりその向こう側は普通なら隣室だが……
堂島さんの足取りには迷いがなく、狭い床を力強く、しかし驚くほど静かに進んでいく。その勢いに、自然と藤堂、そして俺もついていく。
「開けるぞ」
最早躊躇はなく、言うやいなや堂島さんの手がノブを掴み、一息に開け放った。そこにあったのは――
「……また書斎かよ」
先程まで見ていたものとよく似た光景だった。違うところといえば見えている床が広いのとデスクが用意されているという点だけで、収められている本も俺には似たりよったりに見えた。あとは、今度はまた隣に通じる扉はないということくらいか。
「瀬津湊って、そんなに本が好きなのか」
「本好きというか、研究者気質だな、あの人は」
問うたわけではなかったが、藤堂が拾ったそれを堂島さんが受け取った。
「興味を持ったものは突き詰めないと気がすまないというか……にしても、ここまでの物量は初めて見る」
ということは、ここにあるのは何かしら統一されたテーマのものばかりということだろうか。一つでも分かるものがあれば、瀬津湊が何を『研究』しているのかが分かりそうなものだが――
デスクに目を向ける。何の変哲もない、木製のよくあるものだ。右には引き出しが下から大中小と並び、一番上には鍵穴が見える。こういうとき、手っ取り早く何かを知りたいならまずはあそこからだろう。
頭を引き出しに潜り込ませて中を覗くと、一番上の引き出しに分厚い日記帳のようなものがあった。触れられない以上中身は確かめられないし、鍵もかかっているようだから、取り出すのは難しいか。他の引き出しには、何も入っていなかった。
どうしたものか。顔を上げ、ふと視線を感じて振り返ると、
「どうした?」
なんともいえない、あえて形容するなら味のしないガムを延々と噛まされているような表情の藤堂と目が合った。
「いや、なんていうか……分かっちゃいるんだけど、ねぇ」
……いや、だから何なんだ?
「そういうの見ると、やっぱり御影って幽霊なんだなって」
「今更すぎるだろ」
頭だけすり抜けさせる芸当なら、以前に藤堂の前で見せたはずだが。
まあいいか。
「そんなことよりだ。中に日記が入ってるんだが、鍵がかかってて取り出せそうもない。どうにかならないか?」
聞いてはみたものの、色よい返事は期待できまい。堂島さんの腕力なら力任せにこじ開けられそうではあるが、藤堂から話を聞いて首を横に振るのを見て、早々に諦めた。
「今は涼香を見つけるのが先決だ。それに、ただでさえ不法侵入中なのに、器物破損までやらかしたら誤魔化しようがない」
それは確かに。というか、警察官としては不法侵入もアウトなのでは。言い出したらきりはないが。
とにかく。堂島さんのいうとおり、今は瀬津だ。あの女の研究テーマが何であるにせよ、それを調べる必要はない。これ以上ここにいても仕方がないと、廊下に出た。
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