第五節.そして誰も・四

第一章 第五節 第一話・前

 ほとんど迷うことなく洋館に辿り着けたのは僥倖といっていい。藤堂に地図を出してもらって例の神社近辺から道を探るという試みが、思いの外うまくいったようだ。これなら、藤堂に同行してもらわずともどうにかなったかもしれない……なんて、今更いうつもりはないが。


「ここか」


 俺が伝えるまでもなく、堂島さんはそう口を開いた。


 そこは、確かに屋敷へと通じる道だった。街灯がないここからでは、俺でも屋敷の姿は全く見えず、そう断じる要素は一切ない。




 ――道の脇に止まる、黒いハッチバックを除けば。




 道の手前で車を止めてもらい、できる限り音を立てないように注意深く進むと、明かりが落とされたあのおどろおどろしい洋館が暗闇からぼう、と顔を出した。


「……気味が悪いな」


 開口一番、堂島さんがそう漏らす。


 それは、多分この場の雰囲気がそう言わしめただけだろう。周囲から隔絶され、しかしあからさまに場違いな様相の、言ってしまえば豪奢な洋館は、何かしらよくないものを想起させてもおかしくはない。


 だが、所詮それだけだ。二度目の俺には、もうこれといった感想は思い浮かばない。ただ、気になるのは――


「藤堂、大丈夫か?」


 見れば、彼女の顔は見るからに青く、今にも吐きそうに口元を押さえていた。果たして、このまま藤堂を同伴させていいものだろうか。


「大丈夫……ちょっと気持ち悪いだけだから」


 口ではそういうが、とても連れて行っていい状態とは思えない。ある程度予想はしていたとはいえ、踏み入る前からこれではとてもではないが藤堂の安全を確保できまい。


「藤堂さんは車で待っていてください」


 俺達のやり取り、いや、藤堂の声を聞いてようやく気づいたのだろう、堂島さんが振り返って少し身をかがめて藤堂の様子を見た。この暗がりでは満足に知ることはできないだろうが、それでも芳しくないことは把握できたようだった。


「でも、それじゃ御影の声が」


「御影君もだ。あとは俺が引き受ける」


 ――いや、それは。


「行きますよ。堂島さんと意思疎通できなくても」


「御影は行くそうです。なら、私も」


 ここまで来たのだ、待つという選択肢はない。それは俺の我儘だが、藤堂もそう言って深呼吸を一つすると気を張り直したようだった。


 俺が死んでさえいなければ、あるいは堂島さんに霊感が備わっていれば。後の祭り、ないものねだりなのは百も承知で、しかしだからといってどうしても誤魔化せないこの思い。これまでも味わってきた、そしてこれからも幾度となく経験するであろうその感情に、未だに俺は慣れずにいる。


「……分かった」


 問答は不毛。堂島さんの判断は早く、すぐさま背中を向け、


「ただし、万が一のときには無理矢理にでも連れて出る。藤堂さんも、それでいいですね?」


「はい」


 告げたのもそれに答えたのも、お互いの覚悟だろう。ならば、俺から何か言うべきことはない。


 まあ、見ることすら叶わない俺を、どうやって連れ出すつもりなのかは知らないが。たとえ堂島さんが引き返そうとも、俺一人でも中の探索はするつもりだ。


 何はともあれ。行くと決まった以上ここで立ち止まっていても仕方がない。ドアに触れようとする堂島さんを制するように――無論声は聞こえないだろうが――口を開いた。


「俺が先に入って中の様子を見る。ドアが開いてるかどうかも分からないしな」


「すぐ戻ってきてよ? そのまま一人で行くのはなしだからね?」


「分かってる」


 俺の返事を聞くと、藤堂はすぐに堂島さんへ事情を説明し始めた。最初はどこか渋い顔をしていた堂島さんだったが、一応納得はしたようだった。


 扉の横の壁に手を伸ばす。万が一結界のようなものが張られていたら、物によっては吹き飛ばされてしまう。だがそんなことはなく、静電気に似た感覚も走らない。どうやら特に対策はされていないようだと、そのまま壁に体を滑り込ませた。


 中は変わらず暗闇が広がり、静まり返っている。今のところは人の気配もない。扉を見ると、鍵はかけられていないようだった。


「大丈夫そうだ」


 一度戻り、そう告げる。藤堂がそのまま堂島さんに伝えると、改めて彼はノブを握りしめた。


「行こう」


 臆病なまでに慎重に、一切の音を許容しないとでもいわんばかりにゆっくりと。人一人分だけ押し開かれた扉の隙間、わずかに差し込む月光を踏むように堂島さんが入り込み、藤堂と俺もそれに続いた。


 扉が閉まると、再びどす黒い暗黒が辺りを埋め尽くす。それを、堂島さんがフラッシュライトで押しのけた。


「……何処から探そうか」


 エントランスから行ける方向は大まかに三つ。左右と上階だ。瀬津湊が出てきたのは確か右側の通路からだった。だが、今そちらを見ても目に付くものはない。扉の隙間から明かりが漏れているということもないようだ。


 左側はどうか。見える景色は右側とほとんど鏡合わせで、やはり気になる点はなかった。扉の数が少ないのは、こちら側に大部屋があるからだろう。


 上へと続く中央の大階段にも異変は見当たらない。途中で左右に分かれ、上り切った先の様子は窺い知ることはできないからそこはなんともいえないが。


 こちらも三人いるのだから分担すれば早いが、状況的にそうはいくまい。藤堂を一人にするリスクは負うべきではないし、俺も俺で、万が一にも一人で瀬津湊に遭遇したくはない。そうでなくても、仮にも敵陣の只中なら固まっておいたほうが無難だろう。


「右、ですかね」


 ひとまずはあの女が出てきた方向から、だろうか。あのとき何をやっていたにせよ、何かがある可能性があるとしたらそちらのように思う。勿論、たまたまそちら側にいただけという可能性もあるが。


「右から、だそうです」


「分かった」


 堂島さんが先頭に立ち、その後ろを藤堂と並んで続く。


 右側の通路には、見える限りで四つの扉がある。間隔はどれも規則正しく等間隔で、開けるまでもなく部屋の広さは等間隔なのだろうと想像できた。装飾はこれといってされず、暗い色合いのその向こう側に何があるのか、知る手がかりはない。


 一番手前の戸を、先程よりはいくらか手早く堂島さんが開けた。瞬間、

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