第一章 第一節 第四話・後

「おいおい……」


 止める間なんてあるわけもなかった。あっと思ったときにはもう、彼女の手には、無造作に破り裂いたにしては綺麗な長方形をした、さっきまで壁紙だったものがつままれていた。


 部屋の壁紙って、こんなに簡単に破れるのか。


「怒られるぞ、いくら調査のためだからって」


 まあこの程度なら、前金から修繕費を用立てれば済む話だとは思うが。こういうものは、一箇所でも破れたら全部を張り替えるのだろうから、それなりの出費になってしまうのではないだろうか。


 だというのに瀬津は、あまつさえ紙片をひらひらと弄びながら、厭味ったらしく口角を上げてみせた。


「怒られるのは私らじゃあないよ」


「は?」


 よほど、「何言ってるんだこいつ」という顔をしていたのだろう。挑発するように鼻を鳴らした瀬津は、目線は未だに壁を向いたままだった。


 何があるというのかと、改めて壁を見やる。


 剥がされた部分は、当然だが下地がむき出しになっていた。それにしても本当に綺麗に剥がれたものだ。普通に剥がせば出鱈目な断面になりそうなものを、まるで予め定規を当てて切られていたかのようだ。


 ……あり得るのか、そんなことが。丁寧にやったのならともかく、あんな、勢いに任せたやりかたで。


「――うわ」


 そこまで考えてようやく、石膏ボードの一部がくり抜かれ、そこに何かがはめ込まれているのに気づいた。何か、とぼかすにはあまりにも露骨で、正体を理解した瞬間、薄ら寒さが自然と声を吐き出させていた。


「怒られるとしても、こいつを仕掛けた人間ほどじゃあないだろうね」


 いずれの方式かは取り出してみないとはっきりとは分からない。どういう意図があってそこにあるのかも、実際のところは判断に足る材料が乏しい。いつ取り付けられたのかもはっきりしない。


 現時点で断言できるのは、何者かが何らかの意思を持って、密かにカメラを仕掛けていたという事実だけだ。


 レンズの角度や位置的に、この部屋くらいならあまねく見下ろせるだろう。もしかしたら隣の部屋も範囲に入っているのではないだろうか。いずれにせよ、生活の様子を四六時中捉えられるであろうことは想像に難くない。


「じゃあ、藤堂が感じた視線ってのは……」


「見られる、ということに敏感なんだろうね、君の友人は」


 それはある。忌避、好奇、物見遊山、そういったありとあらゆる感情がこもった目を向けられ続ければ、誰だって嫌でもそういう感覚は身につくというものだ。


「いや、過敏といってもいいかな。普通、カメラを向けられているなんて簡単に気づけるもんじゃあない……大丈夫かい?」


「……え?」


 唐突な言葉にそちらを向くと、裏腹に妙ににやついた瀬津と目が合った。


「何がだよ」


 言いたくはないが、その表情が、まるで遊び甲斐のあるおもちゃを見つけたか、新しい悪戯を思いついた子供のそれに見えて、あまりいい気分はしない。


「いや、何」


 かと思えば、瀬津はすぐさまに破顔して、それはそれで嫌な感じがする慈愛げな微笑みを浮かべた。


「今にも誰かを呪い殺さんばかりの形相だったからさ」


 ……そこまでひどい顔になっていたのか。いや、多少睨めつけてしまっていたのかもしれないが、よりにもよって呪い殺すときたか。


 というか、笑いながら言うことかそれが。


「もっとも、恋慕する相手が覗きの害を被ったとあれば、そんな顔を浮かべてしまうのも無理からぬこととは思うけどね」


「恋慕って、藤堂はそういうんじゃ」


 ただのクラスメイトだ、と、反論しようとしてやめた。何を言ったところで瀬津には言い訳にしか取られないであろうことは目に見えているし、そもそも時間の無駄だ。時折見せる瀬津の思い込みの激しさはなんとかしてほしいと思わないでもないが、放っておけばその内忘れるだろう。


 それに、何より。


「……仮に俺が藤堂を好きだったとしても、今更だろ」


 五年前ならいざ知らず、今となっては思い出にすらなるまい。そんなことは、瀬津だって分かっているはずだ。


「それもそうだね。少々不躾が過ぎたかな」


「別にいいさ。で、どうするんだこれ」


 どう考えても霊の仕業以前の問題。諸々の不明点を棚上げしてでも警察に託すべき事件だろう。だとするなら、これ以上部屋を荒らすのはよろしくない。


 そんな風に思ったのは、俺だけだったらしい。


「どうにもこれ一台とは思えないんだよねぇ……」


 などと言いながらくるりと身を翻し、瀬津は反対側の壁を、不敵さの中に僅かな嫌悪感のようなものを滲ませて見つめていた。





 ダイニング側の壁、窓際の一番下の柄の中に、見上げるようにして一台。脱衣所兼洗面所、ブレーカーの内側から斜め下を覗き込むように一台。そして、トイレの隅の壁の中。ほんの三十分の間に瀬津が探し当てたカメラは、合計で四台にも上った。


 脱衣所とトイレに仕掛けてあった時点で、主たる目的にいかがわしいものが含まれているのは、ほぼ間違いないだろう。


「ご丁寧にもWi-Fi付きとは」


 見たところ全て同じビデオカメラで、型番で調べた限りでは、数年前に製造が終了したモデルだった。何かトラブルがあったのか、流通量も少なく、中古市場にもあまり出回っていないようだ。単体では保存機能はなく、代わりにネット経由で外部にデータを送信するタイプらしい。記録媒体用のスロットはあるものの、どれも空だった。


「おまけに遠隔操作も可能と来たもんだ」


 電源は内蔵型だが外部供給も当然可能。どのカメラも、わざわざ配線をいじって直接電力が供給されるようになっていた。


 ちょっとした出来心で、なんていう言葉では到底片付けられない手間のかけ方。たかが、というと語弊があるが、盗撮のためだけにここまで手の込んだことをするものだろうか。


「これ、どう考えてもやり過ぎだろ」


「覗き以外に何か別の目的があった、とでも?」


 そのほうが納得がいく。


 例えば、この部屋に何か表沙汰にしたくないものを隠していて、その発覚を恐れた何者かによって、部屋を監視する機構が設けられた、とか。あるいは、それを見てしまったために、周防みずはは身を投げたのでは。


 ……なんて、もっともらしい理由を雑に見繕うことはできるのだが。果たしてそれを瀬津が真に受けるかというと、彼女の愉快げな表情を見れば、一目瞭然だった。


「ミステリーの読み過ぎだねそれは」


 いや、本をよく読んでいた頃も、ミステリーにはそれほど触れた覚えはないのだが。


「ともあれ、この件はどう考えても生身の人間の仕業だ。依頼主には申し訳ないけど、私らの領分じゃあない」


 事の真相がどうあれ、瀬津の言うとおりだ。そもそも、ここにやってきた時点で、『ここには何もいない』という結論があったのだから、元より自称オカルト探偵の出る幕ではなかったのだろう。


 ――しかし、ならば、という疑問はある。


 藤堂に「死ね」と言った女。そいつは何なんだ?

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