第一章 第四節 第七話
「まだ頭痛い……」
近くの公園に移動したあと、どうにか藤堂に体を返してしばらく。ペットボトルの水を片手に、ベンチに座り込んだ藤堂はまだ片手で頭を支えたままだった。
「それに、背中も痛いんだけど」
「悪かったって」
不可抗力、それも俺自身全く想定していなかった事態だが、それでも非は俺にある。とはいえ、もう何度も謝罪を繰り返して少々辟易し始めてきた。
視線を藤堂から前に向けると、そこには河内と周防、そしてその間に立つ堂島さん。周防が持ってきた包丁は、堂島さんがタオルで包んで、今は俺達の足元に無造作に置かれている。
流石にここからでは三人の会話は聞こえないし表情も分からない。ただ、流石にこのまま解散になることはあるまい。ある程度話が済んだら、二人とも交番、それか警察署に連れて行かれるだろう。俺達にしても、目撃者としてその可能性はある。
何にしてもだ。状況から考えれば、周防はおそらく逮捕される。刃物を持ち出し、河内を殺そうとしたのだから。人知れず呪いを振りまいたのとはわけが違う。
逮捕されたからといって河内への恨みが潰えるとは思わないが、再犯の可能性があるなら警察が黙っていない。ひとまずこれで、河内からの依頼は達成されたと考えてもいいのではないだろうか。
「終わったみたいね」
三人が近づいてくる。相変わらず怯えた様子の河内、顔を伏せて表情を伺わせない周防、そして堂島さんはというと、
「お待たせしました」
声こそいつもと変わらない落ち着いたものだったが、その表情は吐き気を堪えているような、何とも言い難い不快感が浮かんでいるように見えた。
「ひとまず二人を交番まで送ってきますので、藤堂さんには申し訳ないが待っててもらっても?」
「分かりました」
その理由を問う間もなく話が進んでいく。というか、俺達はついて行かなくてもいいのだろうか。待てというのなら勿論待つが。
ただ、その前にだ。
「周防に確認したいことがある」
「堂島さん、ちょっと待ってください」
慣れたものというべきか、踵を返しかけた堂島さんを呼び止めると、周防に目線を向け、
「周防さん、瀬津さんはどこですか?」
俺を待たず、俺が一番聞きたかったことを問うた。
打ち合わせたわけではないが、藤堂も察したのだろう。今周防に話があるとすればそれしかないと。
不意に向けられた視線を、周防は感慨なく受け止めていた。いやそれ以前に、そもそも何かを感じ入る余力すらなく、ただ見られたから見返したといったところか。瞳からは生命らしさが消え、虚ろに曇っている。
つい先程まで、河内を殺したいと願い、事実手をかける直前にまで至った人間とは思えぬほどに、抜け殻だった。
「周防さん?」
「……先生のところに行った」
何もかもがどうでもいいと無気力に吐き捨てられた声。それでも貴重な手がかりだ。
「その先生のお名前は?」
「ミナト。それ以上は知らない」
「……ありがとうございます」
藤堂が一礼し、三人は今度こそ踵を返す。その背中を見送りながら、何をすべきか考える。
あの女が、名前にせよ名字にせよ『ミナト』と名乗っているのは分かった。身体的特徴から、瀬津湊本人と考えてまず間違いない。右目に黒い石を嵌めた白髪長身の女がそう何人もいてたまるものか。
となると、次に目指すべきはあの洋館だ。ただ、問題はある。
「御影?」
いつの間にか三人の姿は見えなくなっていた。呼ばれたほうを向くと、何処か不安そうな藤堂と目が合った。
問題の一つは、藤堂の処遇だ。止める間もなくここまで来てしまったが、本当なら彼女は関わる必要はない。これから先は置いていくべきだろう。ただそうなると、堂島さんとのコミュニケーションは不可能になる。
ならば俺一人で対処すればいいのだが、相手が霊の収集家となれば俺では相性が悪すぎる。加えて、瀬津湊が肉体のある人間である以上、物理的対応が可能な誰かがいたほうがいいのは目に見えている。
「面倒なことになったな……」
瀬津のところに飛んで状況と居場所を確認し、堂島さんに行ってもらう。そういう手段が取れるならよかったが、既に試みは失敗している。洋館に直接飛ぶのは試していないが、どうせ行くことになるなら堂島さんにも随伴してもらったほうが手っ取り早い。洋館の正確な場所を説明できるなら、この場で堂島さんに全てを話し後を託すこともできたが、風景を見ながらならまだしも、口頭でとなると全く自信がない。
……結局、最後まで藤堂には付き合ってもらうことになりそうだ。
「すまん、藤堂。このまま手を借りてもいいか?」
「元からそのつもりだけど」
その心意気には、ありがたさと同時に申し訳なさ、そして腹立たしさもある。
死霊である俺、そして霊の収集家という瀬津湊。この時点で嫌な組み合わせなのに、そこに藤堂を巻き込むのはどう考えても悪手、いやそれを通り越して禁忌といってもいい。だというのに、今の俺にはそれ以外の選択肢がない。これで腹を立てるなというほうが無理な話だ。
「ただ、いきなり憑依はやめてほしいかなぁ」
「それは、俺も気をつける」
というか、どうやったのか俺自身分かっていないのだが。死んでこの方、誰かに取り憑いたことなど一度もない。
二人同時に周防を止めようとしたから、それが何らかの形で作用したのだろうか。考えられるとすればそれくらいか。あのとき、肉体があればと思ったのは確かだし、そのことも影響した可能性は高い。ひとまずはその仮定を前提に、思考と行動に注意しよう。
「少しでも危険だと思ったら、迷わず逃げてくれ。もうあのときみたいなのは勘弁だからな」
「分かった」
藤堂にとってもあの日の焼き増しは願い下げだろう。実際にそういう事態に直面したときにどうなるかはさておき、とりあえずは素直に頷いてくれた彼女に安堵した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます