第6話 あ、ごめーん! ぶつかっちゃった!

 昼休み。俺は水谷と職員室に来ていた。

 何でも昨日の終礼中に生徒に配布すべきプリントを、狩野ちゃんが配り忘れていたらしい。そこで今配ってほしいと、俺たちが駆り出されたわけだ。


「ごめんね、二人とも。本当は私が自分で配るべきなんだろうけど、ちょっと今手が離せないことがあって……」


 狩野ちゃんは本当に申し訳なさそうに、肩をすぼめながら言った。

 そんな顔をされたら、こっちとしても責めづらい。

 そもそも別に責める気もなかったので、「大丈夫ですよ」などと二人で適当に慰めてから、俺たちは職員室を後にした。


 プリントの束を二人で半分ずつに分けて運ぶ。

 廊下を並んで歩くと、他の生徒の視線が水谷に集まるのが、嫌でも分かる。


 彼らの反応はおおむねこんな感じだ。

 まず水谷をぱっと見て、ぽかーんと呆けた顔をする。

 少しして呪縛が解けると、隣の俺をちらっと見る。

 それで、「あの野郎……水谷の隣を歩きやがって」みたいな顔をする。


 いやいや、それは理不尽だろ。

 俺、何もしてないんですけど。

 何なら狩野ちゃんにパシられてるだけだからね?

 代わりにプリント運んでくれるなら、喜んで代わって欲しいくらいなんだが。


 しかし、水谷の注目度はやっぱりすごいな。

 電車に乗った時もよく見られるなとは思ったけど、校内ではその比じゃない。

 これでも水谷は慣れてるんだろうなー、と隣を窺うと、案の定いつもの無表情に近い顔で淡々と歩いている。


 水谷の横顔を盗み見ていると、ふと先週のことを思い出した。

 あのとんでもない頼みを彼女が俺に持ちかけてきた、電車内での出来事だ。


 あれ以来水谷は、一度もあの件に触れてこない。

 学級委員の仕事で、時々こうして一緒に動かざるを得ないにも関わらず。

 彼女の中では、完全になかったことになっているのだろう。


 一方、山本は水谷をまだ諦めていなかった。

 あいつが水谷にアプローチをかける姿を、時々見かける。

 その度に水谷は迷惑そうな、というかもはや凍てつく波動の出てそうな顔をしていたが、山本には効いてないみたいだ。


 ただ、あいつも部活で忙しいのか、常に水谷に付き纏うわけでもないらしい。

 一度帰宅途中にグラウンドを覗いたら、真面目に練習するところを見かけた。


 不覚にも少し感心しちゃったよ。

 おかしな話だよな。野球部が野球の練習をするのは当たり前なのに。

 これがヤンキー理論ってやつだろうか。


 考え事をしていると、どん! と横から音がした。

 水谷の手の中にあった紙の束が、ぱらぱらと宙を舞う。

 プリントはそのまま辺りに散らばり、廊下の一部が白く染められた。


 肝心の水谷はというと、散らばったプリントの横で尻餅をついていた。

 呆然とした顔で、斜め上を見上げている。


 彼女の視線を追う。

 そこにはメイクの濃い茶髪のギャルと、その取り巻きが背後に二人。

 里見か……そう言えば、この間も水谷に目を付けてたな。


「あ、ごめーん! ぶつかっちゃった!」


 全くそうは思ってなさそうな声で、里見が言った。


「気をつけなよ、彩華ー」

「ほんとだよ、水谷さんカワイソウじゃん」


 取り巻きの二人が、水谷に同情するようなことを口々に言う。

 しかし、彼女たちの目は明らかに笑っていた。


「本当は拾うの手伝いたいんだけど、ちょっと今急いでるから無理! ほんとごめんねー、水谷さん」


 里見は最後にそう言い捨てると、すたすたと廊下の向こうに歩いて行った。

 取り巻きの二人も「私たちも急いでるから!」と取ってつけたように言い、里見の後に続く。


 ……って、俺の方こそ呆然としてるじゃないか。


 何で俺は今の光景を、ぼけっと眺めてるだけだったんだ。

 里見に何か言うべきだっただろ。


 とはいえ、あいつらはもういない。

 まずは水谷を助けないと。


「大丈夫か、水谷」


 騒つく外野を無視して尋ねると、水谷はこくりと頷いた。

 散らばったプリントを、のろのろと集め始める。

 その背中はこの間中庭で見かけた、颯爽と廊下を歩く少女のものとは思えない。


「手伝うよ」


 そう声をかけ、俺もプリントを拾うのを手伝った。

 水谷からの反応はないけど、今は別に良い。

 二人で黙々とプリントを回収し、全て拾い終える。


「持てるか?」

「うん。ありがと」


 水谷がプリントの束を抱え、立ち上がった。

 どうやら怪我はなさそうだ。

 これで水谷がどこか痛めたりでもしてたら……いや、あまり考えたくはない。


 スカートの尻餅をついた場所を、水谷が手で軽く払った。

 それから歩みを再開する。俺も彼女の隣を歩いた。


 しかしさっきまでと違って、今は無言が気まずいな。

 やっぱり、あの光景を見てしまった後だからだろうか。


 我慢できずに、俺は口を開いた。


「なあ、さっきの里見……あれ、多分わざとだよな」

「……どうかな」

「というか、あいつこの間も水谷にちょっかいかけてなかったか? なんか心当たりとかって……」

「…………さあ」


 水谷がこちらから目を逸らす。

 なんだよ、今の間は。

 表情には出てないけど、ちょっと怪しい感じがしたぞ。

 もしかして、本当は思い当たる節があったり?


 ……いや、やめとくか。


 水谷は言いたくないからしらを切ったんだ。

 なら、俺はこれ以上彼女に深入りすべきじゃない。

 それに、今のは聞き方がちょっと失礼だったかも。


「悪い、水谷。今の俺、ちょっと遠慮無かったよな」

「相澤が謝ることないよ。でも……」

「でも?」


 俺がそう続きを促すと、水谷は上目遣いでこちらをじっと見た。

 黙ってその目を見返していると、ふるふると首を振る。


「ごめん、何でもない。それよりプリント配らないと。行こ、相澤」

「……あ、ああ」


 先を行く水谷の背中を追い始めたその時だった。

 この間の小倉の言葉が、脳裏にフラッシュバックする。


「もし水谷ちゃんが困ってそうだったら、助けてあげてよ」


 うーん……一応助けてはいるし、いいんだよな。これで。

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