第52話 知るかよ、そんなの

 水谷の家へ行くと、迷いなく門扉を開ける。

 朝なので迷惑には違いないだろうが、今はそんなことに構ってられない。

 遠慮なくインターフォンを押し、誰かが出てくるのを待つ。


 ピンポーン、という音の後、2秒、3秒と待ったが応答はない。

 時刻は朝7時半過ぎ。誰か一人は起きてるだろうと思ったが……この時間に誰も起きてないのか? 勝手なイメージだけど、水谷ん家って朝早い方だと思ってた。


 それとも……インターフォンを鳴らしているのが俺だから、とか?


 あり得ない、とも言い切れないのが悲しいところだ。

 なぜって俺は水谷のお母さんに、悪い虫扱いされている。

 そんなやつがのこのこやって来て、無視したとしてもおかしくはない。


 ……もう1回、鳴らしてみるか?


 思い立つとすぐに手が動いていた。

 再びインターフォンを押し、しばらくの間待つ。

 やはりというべきか、反応はない。


 うーむ……本当に寝てるのかな。


 そう考えつつ、水谷家をぐるっと回って裏手に出たその時だった。

 恐らく水谷家のものらしい車庫が目に入る。

 しかし、中はもぬけの殻だ。


 やっぱりどこかに出かけてる?

 でも、こんな朝っぱらからどこに。

 ピアノのコンクールとか? それとも休日らしく、息抜きに遠出?

 でも、水谷のお母さんが、休日に水谷を連れてお出かけ……なんて考え辛いし。


 ……駄目だ。


 こうして一人でうだうだ考えていても仕方がない。

 とはいえ嫌な予感がするのも確かだし、とにかく何か行動しなくては――。


 辺りを見回すと、水谷の隣の家に還暦ほどの女性が入ろうとするのが見える。

 上下ランニングウェアにサンバイザーという、いかにもジョギング帰りといった感じの格好だ。

 

「あのー」

「……どちら様で?」


 思い切って声を掛けると、怪訝な目が返ってくる。

 自分から話しかけておいて何だが心の準備が出来ていなかったので、しどろもどろに俺は答えた。


「あ、えっと、相澤秋斗と申します。それでその、つまり、あなたのお隣の水谷さんに用があって来たんですが……」

「こんな朝早くから?」

「…………」


 ですよねー。変だと思いますよねー。

 俺があなたの立場でも、同じこと思いますもん。


 ……でも、マジでどう切り抜けようか。


 脳みそをフル回転させていると、目の前の女性がため息をついた。

 仕方なしといった風に尋ねてくる。

 

「あなた、花凛ちゃんのお友達?」

「そ、そうです。花凛さんとは友達で、今日は朝から遊ぶ予定があったはずなんですけど……」


 その場で思いついたことを喋ると、女性がじろじろと俺を見てから言う。


「……そう。なら残念だけど、今日は無理そうよ。あたしが家を出る時、ちょうどここで花凛ちゃんと水谷さんに鉢合わせたもの。二人ともこれから海外みたいね」

「海外!? どこへ!?」

「確かフランスとか言ってたかな……。あ、でも――」


 女性はなおもぺらぺらと話していたが、既に俺の耳には入っていなかった。

 頭の中で思考が駆け巡り、外界の事象に構うほどの隙間すらなかったのだ。


――まさかこのタイミングで、留学?


 かつて水谷が話していたこと。

 そして今、女性から聞いた内容。

 二つが繋がり、予感でしかなかったものが確信に変わる。


「あの、二人はどちらの空港へ行くって言ってました?」

「さあ、そこまではね。でも、国際線ならやっぱり成田の方じゃない?」

「なるほど、ありがとうございます! ちょっと急いでるんで、失礼します!」


 強引に話を打ち切って頭を下げると、俺は走ってその場を去った。


 こちらから話しかけておいて失礼だという自覚はある。

 でも、今はとにかく時間が惜しかった。

 向こうがいつ空港を経ってしまうか、分からないのだから。


――空港で会ってどうする? 何を話せばいいんだ?


 走っている最中に脳内の冷静な部分が、興奮する俺へそう告げてくる。


「知るかよ、そんなの……!」


 あえて口に出して答え、俺は駅へと走り続けた。


 側から見れば、走りながら独り言を言うただのやばいやつかもしれない。

 でも、今はもうなんでもいい。

 とにかく、間に合ってくれさえすれば……!


 肺が痛くなるのも無視して走り、ようやく駅に着いた。

 学校へ行く時と同じようにPASSMOを使って改札を抜けた後、行き先が定期券の区間外だと気付き、中で千円ほどチャージする。


 今月は祭りやら何やらでお金を使ってしまったから、財布の中身はぎりぎりだ。

 まあ、最悪駄目だったら空港から歩いて帰る。


 何、大した距離じゃない。

 お遍路に比べれば遥かに短いはずだ。お遍路なんてやったことないが。


 いつもとは反対のホームで、2分ほど待ってから電車に乗った。

 その2分は俺の感覚では、軽く10倍は長く感じた。電車がホームに来た時、


――ようやくかよ。遅延じゃないか?


 と苛立たしげに時計を見て、時間通りだったと気付いて驚いたくらいだ。

 本当に申し訳ありません、駅員さん。


 電車内で吊り革に捕まりながら、成田発フランス行きの便を調べた。

 確かに何本か便がある。近い時間だと、10時半発のものが1本。

 昼過ぎに発つのもあるが、こちらと決めつけるのは危険だろう。


 なんとなく、窓の外を眺めてみた。

 住宅街と青い空が均等に広がっている。

 このはるか向こうに、水谷はいるのだろうか。


 頼む、間に合ってくれ。

 俺は心の中で、独り祈った。


* * *


 しかしこういう時に限って、神様ってのは本当に意地悪なもので。

 

「人身事故……?」


 20分ほど後。

 電車を降りて乗り換え先の駅に行った俺を待ち受けていたのは、混み合った改札口と、電光掲示板の「運行再開予定時刻:10時00分」という絶望的な表示だった。


 半ば呆然としつつ、スマホで現在時刻を確認する。

 今は8時を少し過ぎた頃。水谷が何時に空港を経つのかは分からないが、ここで2時間の足止めを食らうと、空港で会える可能性はかなり下がるだろう。


 どうする、俺。とりあえず、迂回経路を探すか?


 スマホで慌てて現在地と目的の場所を打ち込み、迂回路を検索した。

 しかしどのルートもあまり良くない。

 ここの路線が止まった影響で、他の路線にも遅延が出ているようなのだ。


 金銭面に限りがあるので、タクシーは使えない。

 他の路線やバスを使った迂回路も微妙ではあるが、目の前の路線が止まっている以上、贅沢は言ってられな――。


 ……いや、選択肢はもう一つある、か。


 確かこの路線では、3つ隣の駅で乗り換える予定だったはず。

 もし大した距離じゃないなら、走れば案外早く着くかも……?


 スマホで今度は現在地と二つ隣の駅を入力した。

 結果は……ビンゴ!

 このルートも時間がかかるとはいえ、一番ましな上お金の節約になる。

 俺の体力を度外視すれば、だけど。


「……明日は筋肉痛になるな、絶対」


 そう呟くと、俺は脇目もふらずに走り出した。


 さっきも走って、今も走って。

 帰宅部にとってはあまりに辛いが、今自分の選べる最適解がこれなら、もう仕方ないじゃないか。


 ……これでもし水谷の行き先が羽田だったら、笑えるよな。

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