第53話 ぐずぐずすんな
結論から言うと、思ったより遠かった。
たった3駅と舐めてかかってたが、帰宅部で運動不足の俺には十分過ぎるほどきつい道のりだ。酷暑も相まって、目的の駅が果てしなく遠く感じる。
それでもなおゾンビのように足を動かしていると、唐突にスマホが振動した。
LIME電話の着信を告げる音だ。こんな時に誰からだよ、と内心首を傾げつつ電話に出る。もちろん、足は止めずにだ。
「……はい、もしもし」
「よっ、秋斗」
電波越しに聞こえた声は、案の定修二だった。
修二はいつも通りの声音で続ける。
「変なこと聞くけど、お前今どこにいる?」
「は? 何だよ、急に」
「いや何、今朝秋斗を電車で見かけたからさ。その時は声かけそびれたんだけど、学校とは反対方向に行くから気になって」
「……そう言う修二こそ、なんで同じ電車に乗ってたんだ」
当然とも言える俺の疑問に、なんてことないかのように修二が答える。
「俺は部活の遠征。バスなんてないからな、ウチの部には」
「……ああ、そういうこと」
「それで? 何があった」
納得する俺に、修二が重ねて尋ねてきた。
俺は少し躊躇したものの、すぐに事情を説明した。
修二には既に、昨日のうちに手の内を明かしてしまっているからだ。
「…………」
「……なんだよ」
「……ぷぷっ」
話を聞き終えると、修二はしばしの間押し黙った。
こちらが訝しく思っていると、少しして笑い声を爆発させる。
「アッハッハ! まさか秋斗が、そこまでバカだったとはな!」
「おい、普通に悪口言うな」
「いやいや、悪口じゃないよ。今のは良い意味の『バカ』だから」
「……お前、『良い意味』って付ければ何言っても許されると思ってるだろ」
「んなことないって! 本当に良い意味で言ったんだよ、こっちは」
そう言いながら、なおも爆笑する修二。
あのー、そんなに笑われると全然信用できないんですが。
というか、時間が地味にやばい。
心配してくれた修二には悪いけど、いったん通話は切らせてもらおうかな。
「あのさ、修二。ちょっと今急いでるから、また——」
「ああ、そのことなんだけど……秋斗。今お前のいる位置を、LIMEで送ってくれないか?」
「……なんでだよ」
「まあ、ちょっと考えがあってな」
「……分かった」
少し考えた末、俺は言われた通り修二に現在地をLIMEで送った。
何を考えているのかは分からないが、やつのことだ。
悪いようにはしないはずだと信じている。
俺の送信に既読が付いたタイミングで、修二が独り言を呟くように言う。
「ここか、今はどうなんだろ……お、行けそうか。運がいいな」
「は? 何が?」
こちらの質問には答えず、修二は続けた。
「すまん、一旦電話切るな。秋斗はそこからしばらく動くなよ、いいな?」
「……はあ? いや、こっちはちょっとでも空港に近づかないと——」
「それは分かってる。でも、今は俺を信じてくれ。じゃ、またな」
「あ、おい」
結局最後まで俺の質問に答えず、修二は通話を切ってしまった。
まったく、なんてやつだ。
言いたいことだけ言って、しかも「そこからしばらく動くな」ときた。
急いでいる身としては、やつの戯言など無視したいところだけど——。
「……何考えてんだ、俺は」
自分でもどう説明すれば良いのか分からないが、修二を信じろと直感が俺に囁いていた。なぜだろう。理性ではやつの言葉など無視し、先に進んだ方が良いとわかっているのに。
——修二の言う通り、俺は本当にバカだったのかもしれないな。
ふとそう思い始めると、なんだか肩の力が抜けた気がした。
そうだ、バカで良いじゃないか。
今更何を賢ぶる必要があるんだ。報われるかも分からないのに、こんなところで汗だくになって走ってた時点で、間違いなく俺はバカなのだから。
後ろから車の来る音がした。
道路脇に避けてから、住宅の塀に寄りかかって息をつく。
「でも、せめて目的くらいは言えよな」
修二に向けてそう呟く。
声が届かないことなんて分かり切ってるが、言わずにはいられなかった。
俺は目を閉じた。
こうなったら修二の言う通り、とことん待とうじゃないか。
* * *
どのくらい経っただろうか。
不意にブーンというバイクのエンジン音が、右手から聞こえていた。
音は徐々に近づいてきて、俺の正面で止まった。
俺は目を開けた。日差しを反射して黒光するバイクが、真っ先に目に入る。
続いてバイクに乗っている、ヘルメットを被った体格の良い男を認識した。
黒のハーフパンツに、白地のアロハシャツという出立ちだ。
「ったく、あの野郎。こっちは貴重な部活休みだってのにこき使いやがって……」
男はぶつくさ文句を言いながら、ヘルメットを脱いだ。
すると、見覚えのある坊主頭が露わになる。
男は——山本はバイクに乗ったまま、俺の方を見ずにバイクの前かごを何やらゴソゴソと探った。少しして被っていたのとは別のヘルメットをかごから取り出し、俺の方へ放り投げてくる。
呆然としながらも、反射でヘルメットを受け取った。
山本は相変わらずこちらを見ないまま、ぶっきらぼうに言う。
「何ぼけっとしてんだよ。急いでんだろ? さっさと後ろに乗りやがれ」
「……なんでお前が、ここに?」
情報量が多すぎて、脳が追いつかない。
ひとまず真っ先に気になったことを尋ねると、山本ががしがしと頭を掻く。
「そんなの俺が聞きてえよ。今日は遊びに行くところだったのに、急に今どこいるか確認してきたと思ったら、『そこからここまでどのくらいで行ける?』だぜ? たまたま近かったから良かったが……池野の野郎、今度会ったらマジで殺す」
「それは……ご愁傷様」
修二の強引さは、さっき俺も体験したばかりだ。
半ば本気で俺が言うと、突然山本ががばっとこちらへ振り向いた。
「大体、てめえもてめえだよ。こんな時間に何バカなことしてんだ。池野のやつから話聞いた時は、てっきり担がれてるもんだと思ったぜ。それが本当に居やがるんだから」
「…………」
正論過ぎて何も言えない。
山本相手にこんな感想を抱くのは、少し癪だが。
押し黙る俺を見て、山本はため息をついた。
ヘルメットを被り直すと、自分の背中を指差す。
「ほら、ぐずぐずすんな」
「あ、ああ」
渡されたヘルメットを被り、言われるがまま山本の後ろに座る。
ただ、座ったは良いけど、どうも勝手が分からない。
なにせこっちは、二人乗りなんて初めてだ。
混乱する俺をよそに、山本が尋ねてきた。
「で、俺はどこまで行けばいい?」
「え?」
「……まさかお前、空港まで俺を使うつもりじゃなかっただろうな。悪いがそれは無理だ。それに、全行程バイクで行くより、どっかで電車に変えた方が早く着けるだろ? 二人乗りじゃ高速は使えないしな」
「……そうなのか?」
「当たり前だろ。だから今すぐ、最短のルートを調べろ」
俺にはバイクのことはよく分からないが、法律でそう決まっているらしい。なら二人乗りはどうなんだとも思うが、こちらは山本によると「ぎりOK」とのこと。よく分からん。というか、山本がそういうのに詳しいのもなんか意外だ。
ルートを検索し、予定していたより遠くの駅で降ろしてもらうことにした。
歩きならともかく、バイクならその方が早いと踏んでの選択だ。山本に検索結果の表示されたスマホ画面を見せると、軽く頷いてハンドルに手を掛ける。
早速スロットルを回すのかと思いきや、ハンドルを握ったまま何もしない。
早く出発しないのかと戸惑っていると、
「手、こっちに回せ。振り落とされてえのか?」
山本がぶっきらぼうにそう言った。
「あ、ああ。そういうことか」
言われるがままに、俺は山本の腰に手を回す。
何これ。どういう状況?
自分でも気付かない間に、山本とのラブコメが始まってたのか?
「んじゃ、初っ端からフルスロットルでいくぜ」
混乱する俺をよそに、山本が言った。
フルスロットルは勘弁してくれと俺が祈る中、山本はいよいよスロットルを回す。
その時ふと、2ヶ月以上前のことを思い出した。
あれは確か、里見と出かけた時だったか。
帰りがけに山本と会った後、里見が言ってたんだよな。
『剛は多分バイクだよ。遠征先にはいつも乗ってくって言ってたから』
これはいわゆる伏線回収ってやつなのか?
なんか微妙に違うような……。
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