第54話 フランスに行くな
山本の後ろでしばしバイクの乗り心地を堪能し、赤信号で止まった時のことだ。
「……意外だ」
「は? 何が?」
ぽつりと俺が単語を漏らすと、聞き逃さずに山本が尋ねてくる。
少しためらった後、俺は真意を明かした。
「山本って、もっと運転荒いと思ってたから。『フルスロットルで行く』って言ってた割に、法定速度はちゃんと守ってるし」
「……お前なあ。俺をなんだと思ってんだ?」
山本が盛大なため息をついた。
こちらを振り返らずに続ける。
「あんなの冗談に決まってんだろ。大体、俺は高校球児だぞ? やらかしたらすぐ連帯責任だ。自分が捕まるだけならともかく、部には迷惑かけられねえだろうが」
「……山本にまともなこと言われると、なんか釈然としないな」
「あァ?」
「ごめんなさいなんでもないです」
やっぱりこいつ怖えわ。
最近ちょっと慣れつつあったけど、久々に思い出した。
信号が青になり、バイクが走りを再開する。
しばらく走って待ち時間の長い赤信号に差し掛かった時、俺は再び口を開く。
「山本って、修二と関わりあったっけ」
「……夏祭り。てめえも居ただろ、あの時」
「……ああ、あれか」
そう言えばあの日、修二は山本と一緒に焼きそばの屋台を切り盛りさせられたんだよな。二人は小学生の頃に少し関わりがあったみたいなことも言ってたし、バイクの話なんかもその時に出たのかもしれない。
「でも、本当になんで来てくれたんだ? 修二に屋台を手伝ってもらったお返しってことか?」
「……さっきも言ったろ。自分でも分からねえって」
「そうは言うけど、頼みを断ることもできたはずだろ。ましてや乗せる相手が、その……」
恋敵、という言葉を口にしかけて俺はやめた。
その単語は、当事者である俺たちの間で交わすにはあまりに直接的過ぎる。
気まずい沈黙が一瞬流れた後、山本がふんと鼻で笑う。
「お前の言いたいことは分かる。池野のやつから事情を聞いた時も、ざまあみろとしか思わなかったしな。ただ——」
山本はそこで一度、何かをためらうように言葉を止めた。
少ししてから、普段より幾分小さな声で続ける。
「お前はともかくとして、俺は……水谷には笑顔でいてほしいんだ。でも、俺がそばにいてもあいつは笑顔にならない。むしろ迷惑でしかないって最近気付いた。で、誰の隣にいる時に、水谷が一番笑顔かって考えた時……それはお前なんだよ。どう見ても」
「……そうなのか?」
「うっせ、死にやがれこの鈍感野郎」
「ええ……」
今のは流石に理不尽じゃないか?
俺、「そうなのか?」って聞き返しただけだし。
何ならバイクの排気音の方が、全然うるさいし。
まあ、山本の気持ちも分からなくもない。
俺が山本の立場だったとしても、多分俺のことは嫌いになるだろうしな。
いやでも、俺の立場で「気持ちは分かる」なんて言ったらそれはそれで煽りみたいになるか。かと言って開き直って、「はっはっは、残念だったな」と悪役ムーブをかますのもなんか違うし。
……あれ? これ詰んでね?
山本への対応を今度どうしようかと悩む俺をよそに、山本が続ける。
「安心しろ。お前がこれからどうしようと、俺の中でお前の評価が上がることはない。お前のことは多分永遠に嫌いだから」
「……それ、全く安心できないんだが」
「そうか? お前だって俺のこと嫌いだろ? 嫌いなやつに好かれるよりは、嫌われる方がましだと思うが」
「……そう言われると、そうかもしれない」
正直に答えると、山本が声を上げて笑った。
それからはたと気付く。
今のはもしかして、山本なりの自虐だったのではないだろうかと。
でも、気付いたところでもう遅かった。
それに山本の笑い声は、どこかからりとしていて爽やかだ。
こいつはこいつなりに、自分の中で何か踏ん切りがついたのかもしれない。
人って本当に、いろんな一面があるよな。
山本という人間一人をとってみても、その時々で万華鏡のように変化する。
そしてその度に、こちらの受ける印象が変わる。
多分他のやつもそうなんだろう。
……いや、違うか。
変わったのは山本じゃなくて、俺の方なのかもしれない。
それか、もしくはそのどちらもか。相手が変われば印象が変わるのは当然だが、受け手が変わっても、相手から受ける印象は変わる。物事への見方が変わっているからだ。
なんてちょっと難しいことを考えてみるのも、たまには悪くない。
「ここまでで良いんだな?」
駅前で山本のバイクから降りると、ヘルメットを外した山本が確認してきた。
俺は降りた場所から見える駅名とスマホの画面とを見比べ、ここが目的地だと再確認してから答える。
「ああ、ここで大丈夫」
「そうか。……んじゃ、俺はこれで」
ヘルメットを被り直した山本が、ハンドルに手をかけた。
去り際、俺は山本に言う。
「今日はありがとう。ガソリン代、今度請求してくれよ」
「いや、てめえからだけは金を貰いたくねえ。それに、俺に電話しただけで仕事した感出してる池野のやつが何かムカつくから、今度あいつに請求する」
「……さいですか」
変わったと思ったけど、やっぱりこいつはどこまでも変わらないな。
ある意味ブレないというか、何というか。
「じゃあ、また」
「うっせ、二度と顔見せんなバカ」
最後に別れの挨拶をすると、山本は悪態で返してきた。
ある意味期待通り過ぎて、もはや実家のような安心感すら覚える。
山本はスロットルを回してバイクを発進させた。
その場を去るやつの背中に頭を下げてから、俺は駅の方を向く。
時刻は9時少し前。
山本のおかげでショートカットできた分、水谷に会う確率は少し増したはず。
……いや、確率の話はどうでも良い。
絶対に会わないと、山本や修二に合わせる顔がないじゃないか。
* * *
その後さらに電車を乗り継ぎ、10時を少し過ぎた頃。
俺は成田空港に辿り着いた。ここは第一ターミナルから第三ターミナルまであるので最初は戸惑ったものの、何とか間違えずに来れた。
ただ、着いただけじゃまだ終わりではない。水谷と会わないことにはここまで来た意味がないのだ。というわけでまずはフロアマップを探して、フランス行きの便の搭乗ゲートの場所を確認するか。
辺りを少しうろつくと、フロアマップはすぐに見つかった。
小走りで寄ってマップを隈なく観察する。
今いる階が地下1階で……国際線出発のゲートエリアは3階。
次のフランス行きの便は37番ゲートが搭乗口と電光掲示板には表示されているから、37番を探して……ここか。
地図を写真に収めてから、エスカレーターを使って3階へ向かう。
その間の移動では、ほぼ常に走っていた。普通の乗降客からすれば迷惑極まりないだろうけど、今の俺には周囲に気を遣う余裕すらなかった。
3階へ上がると、地図を頼りに37番ゲートへ向かった。
すぐ目の前に見えるゲートが31番、左手に見えるのが33番だから、さらにその奥へ向かえば——。
見覚えのある鮮やかな金髪が、人混みの中で真っ先に視界に入った。
水谷だ——脳が認識したその瞬間、向こうでもちょうどこちらを振り返る。
流石に偶然だとは思う。物語の主人公には到底なれそうにない俺に、こういう表現は適切でないとも思う。でも、その場面だけを切り抜けば、まるでドラマのワンシーンのようだった。片方の役者の圧倒的な力不足に目をつむれば、だけど。
向こうは制服というフォーマルな格好で、こちらはジーンズにTシャツというラフな格好。その様子を一歩引いたところから観察すれば、俺たちの立場の違いを表すメタファーのようにも見えたかもしれない。
「……なんで」
かすかに漏れ出た水谷の呟きが、俺の元に真っ直ぐ聞こえる。
彼我の距離はまだそこそこあるはずなのに、吐息すら届いた気がした。
宝石のように煌めく水谷の碧い瞳が、戸惑いがちに揺れていた。
俺は水谷に一歩、また一歩と近づく。
水谷は右手にスーツケースの柄を握ったまま、呆然とその場に突っ立っていた。
水谷に今何を伝えるべきか。
正直なところ、考えは全くまとまっていない。
だから水谷の元へ辿り着いた時、頭の中は真っ白だった。
水谷の瞳の中に映る自分を見ながら、俺はぼんやりと考える。
——ああ、そうか。
水谷も言ってたじゃないか。まだ例の券を使ってないって。
これから彼女は海外に行く。
なら日本にいる今の内に、使えるものは使っておかないと。
「……これ」
俺は財布の中から、あの券を取り出した。
以前水谷が俺にくれた、「1回だけ何でも頼める券」。子供の遊びみたいなものだけど、俺と水谷の間だけでは、この券は確かに効力を持つ。
「これが、どうしたの」
俺の手元の券にちらと目を落としてから、水谷が言う。
「今、使ってもいいか?」
「それは良いけど……今の私にできることって、そんなに多くないと思う」
「大丈夫。無理なことを頼むつもりはないから」
そう口にしながらも、俺はまだ頼みごとの内容を決めていなかった。
決めてないのに「無理なことを頼むつもりはない」とは、なんて無責任なやつなんだ——頭の中の冷静な自分が、そう自分を嘲笑う。
今の自分が水谷に望むこと。
突き詰めて考えると、それは一つしかなかった。
でもその言葉を口にしてしまえば、もう後戻りできないとも分かっていて——。
後戻りだって?
そんなものが、本当に今の俺に必要なのか?
——いや、必要ない。
「水谷。フランスに行くな」
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