第51話 責任を取るのが、怖いんだよ
「…………」
「…………」
しばしの沈黙が流れた後。
理解できない、という顔で修二が尋ねてくる。
「迷惑って、何が」
心の中でため息をついてから、俺は口を開く。
「……仮にあの手紙を、水谷がお母さんに書かされたものだとしよう。それでも結局、水谷が書いたことには変わりないんだろ? なら水谷も最後の最後で、お母さんの意見に同意したのかもしれない。だとしたらここで俺がごねても、水谷に迷惑をかけるだけだ」
「それは……」
意表を突かれたのか、修二が一瞬目を見開いた。
すぐに表情を元に戻すと、気を取り直したように続ける。
「でも、相手は自分の親だぞ? 学費とか色んな面でほら、えーっと——」
「『依存』か?」
「そう、それだ。依存してんだから、抵抗するにしても限界があるだろ」
「だから水谷が書いたからといって、あいつが同意したとは言えない——そういうことか?」
「……ああ、そうだよ。何だよ、何か文句あるか?」
修二が不満げな顔をした。
自分の行動と考えこそが、今この場では最適解。そう信じて疑わない顔だ。
分かってるよ。
修二がこの上なく正しいってことなんて。
俺も分かってる。だけど——。
「自分で思ってたよりも、俺はビビりだったのかもな」
「……何だよ、急に」
思わず漏れ出た、独り言に近い呟き。
聞き逃さなかった修二が、こちらを訝しんでくる。
まあ修二みたいなタイプなら、確かに考えもしないだろう。
今はその思考が羨ましい。皮肉ではなく、心の底から。
「怖いんだ」
「……怖い?」
俺の言葉に、修二が首を傾げた。
「責任を取るのが、怖いんだよ」
「……責任って、何の」
「水谷の、将来のだよ」
「将来って……大袈裟だろ。ただ水谷と会うのを邪魔しないでくれって、直談判しに行くだけなんだから」
目の前の現象だけ見れば、修二の言う通りなのだろう。
でも、俺の中ではそうじゃない。
「……俺さ。ピアノの良し悪しが、よく分からないんだ」
「……何だよ、急に」
困惑する修二をよそに、以前の出来事を俺は思い返す。
ピアノの発表会で、水谷のお母さんと初対面した時のことだ。
「『酷い演奏だった』って、水谷のお母さんは言ってたんだ」
「は?」
「水谷の演奏のこと。それも、最近は特に酷いって。もしそれが本当なら……水谷の将来を考えたら、俺はいない方がいいんじゃないか?」
「…………」
「水谷のお母さんが正しいとは、流石に俺も思わないけど……何かのプロになるためには、ある程度他のことを犠牲にしなきゃいけないってのも分かる気がして」
「…………」
「何より俺は……責任を取るのが恐いんだ。びびりなんだよ、俺」
「…………」
数日前の水谷との会話が、脳裏に蘇る。
『人聞きが悪いな。その言い方だと、まるで俺が水谷に悪影響を与えたみたいだ』
『……そう言われてみると、そうかも。お母さんの判断も、あながち間違いじゃなかったのかな』
あの時は水谷も俺も、冗談のつもりで言い合っただけだった。
でも、今となっては単なる冗談とは思えない。
自意識過剰かもしれないが。
仮に俺が1ミリでも水谷を変え、その影響で彼女の将来を狂わせたとして——。
その分の埋め合わせが、俺にできるのか。
できると言い切れるほどの自信も自覚も、俺にはない。
その時、バシッという何かを叩く音がした。
すぐさま頭部に痛みが走り、目の前の修二に頭を叩かれたのだと気付く。
「何すんだよ、おま——」
「秋斗、お前考え過ぎ。悪い癖出てるぞ、そういうとこ」
「……んなこと言われても。俺はこういう人間なんだよ」
思ったより痛かったせいか、つい拗ねたような口調になってしまう。
すると、修二がハハッと笑った。何がおかしいのかさっぱり分からん。
「知ってる。これでも伊達に1年以上、秋斗の友達やってないからな」
「…………」
こいつはよく照れもせずに、そういう台詞を吐けるよな。
主人公気質というか何というか。
それとも、照れてしまう俺の方がおかしいのか?
動揺する俺を気にも留めずに、修二は続ける。
「状況を見て色んな方に配慮できるのは、間違いなく秋斗のいいところだと思う。俺にはとてもじゃないけど無理だから。でもさ……秋斗の場合、一個大事なところが抜けてる気がするんだよな」
「……大事なところ?」
「ああ。何だと思う?」
「……自分で分かってたら世話ないだろ」
「まあ、それもそうか。んじゃ、さっさと種明かしするけど……秋斗。お前って周りのことしか言わないのな」
「……は?」
今度は俺がぽかんと口を開ける番だった。
周りのことしか言わないって……いやいや、そんなことないだろ。
責任を感じてびびってるとか、自分のこともちゃんと——。
「秋斗の言いたいことは分かるよ。びびってるって気持ちなんかは、確かに秋斗のものだしな。でもさ、それも水谷の将来を考えた時に湧き出る気持ちだろ? 結局秋斗自身がどうしたいのかって視点が、すっぽり抜けてる気がするんだよ」
俺の心を読んでいるかのように、修二が言う。
「俺自身が、どうしたいのか……」
「ああ。例えば、そうだな——秋斗はそもそも、水谷とこれからも会いたいのか、とかさ」
「そりゃ、会えるなら会いたいに——」
「なら、そうすりゃいいじゃないか」
「……いや、だからそうはできないから今こうして——」
「逆に聞くけど、なんでできないんだよ。また水谷の将来がどうこうって話か? それとも水谷のお母さんが邪魔するから?」
「それは……」
改めて修二に聞かれると、よく分からなくなってくる。
俺が考え過ぎで、修二が正しいのか。
それとも修二がシンプルに物事を考え過ぎなのか。
「ま、最後は秋斗の好きにすれば良いんだけどさ。迷ったら最後は、自分のエゴを優先した方がいいと思うぜ? というか、俺ならそうするね。その方が、失敗したとしても後悔は少ない」
「……忠告ありがとう。頭の片隅には置いておくよ」
少し間を置いて、俺は答えた。
俺の顔をじっと見つめた後、修二が不意に破顔する。
「おう。そうしてくれ」
* * *
あの後しばらく部屋で俺とゲームをして、修二は帰って行った。
ゲーム中、修二は水谷のことには一切触れてこなかった。
そういう切り替えの早さも、あいつの良いところだと思う。
修二が帰った後、ほぼ入れ違いのようなタイミングで舞が部活から帰ってきた。
その後母さんも帰ってきて、いつも通りの夜を迎える。
ここ数日の俺の夜中の行動など、二人は知る由もない。
だからこそのいつも通りの言動に謎の安心感を覚えつつ、日を跨ぐ前に俺はベッドに入った。
しかし眠れない。最近の生活リズムに身体が慣れてしまったのと、修二の言葉が頭に残っていたせいだろう。色々と考え込んでいる内に、いつの間にかカーテンの隙間から、朝日が入りこんでいた。
時間が時間なので、開き直って寝ないことにする。
リビングでマグカップにコーヒーを一杯入れた後、カップを持って部屋へ戻り、カーテンを全開にした。
朝日を拝みながらコーヒーを飲む。
その光景だけ見れば優雅なのかもしれないが、内心は優雅でも何でもない。
そもそも今は夏だ。
朝日とはいえ日差しは強いし、のどかでもなんでも——。
……ちょっと待て。今、すごく大事なことを言ったような。
なんだ? 何が引っ掛かってる?
手紙か? やっぱり手紙なのか?
机の引き出しの中にしまっていた手紙を慌てて取り出し、文面を改めて見た。
相澤へ
のどかな日差しに包まれた部屋の中、私は今この手紙を書いています。
肩こりのせいか、肩がちょっと痛いです。ピアノって、長時間弾くと意外と肩こるんだよね。相澤はどうですか? 体調とか、問題なさそう?
まあ、そんな話は置いておくとして。急に手紙とか、びっくりしたよね。
駄目なんだ、直接会うのは。それで今回はこういう形にしました。
辛い状況だけど、許してください。
書きたいことは色々あるけど、なるべく手短に書きます。
襟を正して読んでもらえると嬉しいです。ここからは大事なことを書くので。
まずはじめに、私は今まで相澤を騙してました。相澤には勘違いさせてしまったかもしれませんが、私は相澤を何とも思っていません。ただ、流石に良心の呵責に耐えきれなくなってきたので、こうして手紙という形で告白しました。
……すまないとは本当に思っています。
それと、これからは私もピアノ等で大事な時期です。
なので、お互いに会うのは控えましょう。
勝手なことを言っているとは自分でも思います。
相澤には本当に申し訳ないです。
でも、ごめんなさい。私にはこうするしかなかったんです。
……最後に一つだけ。
騙してるとは言ったけど、夏祭りは結構楽しかったです。
ここまで読んだ相澤には信じてもらえないかもしれないけど、これは本当です。
今までありがとう。
水谷花凛より
……なるほどな。
改めて考えると、夏なのにのどかな日差しっておかしいだろ。
最初にこの手紙を見た時の違和感も多分そこだ。
あの時は続きが気になって流してしまったが……もっと注意すべきだった。
でも、じゃあなんで「のどかな日差し」という必要がある?
わざわざ「のどか」という言葉を使うくらいだ。
ここが「のどか」でなければならない、何かしらの理由があるはず。
——そうか。
これ、縦読みってやつだ。それも文頭を繋げるんじゃなくて、段落の頭を繋げるタイプ。最初の「相澤へ」の「あ」も含めて、「肩」を「けん」にして途中までを繋げて読むと……。
「あのけんまだつかえます」
机の脇に置かれた財布を取り、お札と一緒に入れていた例の券を出す。
クーポンみたいなノリで財布に入れっぱなしにしていた、「1回だけ何でも頼める券」……。
気付くと、足が勝手に動き出していた。
猛スピードで着替えると、鍵と財布とスマホを手に部屋を出る。
「あ、兄貴おはよ——って、え?」
今日も部活なのか、制服姿の舞が玄関にいた。
靴を履き替える途中で、俺を見て目を点にする。
「悪い、ちょっと今話している余裕がない」
そんな舞を置いて、俺は家を出た。
目指す先は——水谷の家だ。
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