第25話 やっぱ怒ってんじゃん

「じゃ、水谷さん、相澤くん。このプリント、よろしくね」


 目の前の狩野ちゃんが、胸を張って言う。

 以前ロングホームルームで配るべきプリントを配布し忘れ、後日俺たちに配らせたのを反省したのだろう。今度はロングホームルーム前の昼休みに、予め俺たちに配らせてしまうことにしたようだ。


 あの時と違って後ろめたさがないせいか、狩野ちゃんは自信に満ち溢れているように見えた。そんなことで自信を持たれても……と思うが、相手は狩野ちゃんだ。つっこんではいけない。


 代表して俺がプリントを受け取ると、水谷と山分けした。

 水谷は「ありがと」と短く言って受け取ると、狩野ちゃんに頭を下げてから、身を翻して先を歩き出す。俺も彼女の後に続いて職員室を出た。


 水谷の背後を歩いていると、ぶしつけな視線をいつもより多く感じる。

 噂を既に聞いた連中のものだろう。

 覚悟していたとはいえ、中々きついものがある。


 結局あれから、水谷とは話す機会を作れていない。 

 というより、避けられているような気がする。

 今日は昼休みも、一緒に昼食を取ってないし。


――なら、話しかけるチャンスは今しかない、よな。


「水谷、怒ってるのか?」


 思い切って尋ねると、水谷の足が止まった。

 すぐに歩くのを再開し、すらすらと答える。


「さっきも言ったけど、怒ってないよ」

「……里見との噂のことなら――」

「ごめん、相澤。その話を聞く覚悟は、今の私にはちょっとないかな」


 足を止め、こちらを振り返って水谷がきっぱり言う。

 彼女の顔に浮かんでいるのは、先ほど教室で見た貼り付けたような笑顔。

 やっぱり怒ってる、よな。


――よく考えると、水谷はなぜ俺に怒っているのだろう。


 まさか嫉妬はないはず。

 となると、彼氏役の俺が報連相を怠ったから?

 ……うん、これが一番あり得そうだな。


 いくら付き合ってるふりとはいえ、何の連絡もなしに休日に他の女子と会ったのはまずかった。しかも水谷は、それを翌日に俺の口からじゃなく、学校で噂として聞かされたんだ。恥をかかされたと思っていてもおかしくはない。


 連絡か報告くらいは、ちゃんとしておくべきだったな。

 後ろめたさとかを優先して、人として大事なことを忘れていた。


「悪い、水谷。水谷に恥かかせてるってことに、気付いてなかった」


 俺の言葉に、水谷がようやく身体ごと振り返ってくれた。

 意味ありげにじっと見つめてから、ふっと息を吐いて微笑む。


「……ううん、私の方こそごめん。元はと言えばこっちが頼んでる身なのに」

「水谷が俺に謝る必要はないだろ」

「あるよ。私が相澤に怒るのは、おかしいことだから」

「……そうか?」

「だって私が怒ってるとしたら、それは……」


 水谷はその先をついに言わなかった。

 小ぶりな唇を引き結ぶと、前を向き、さっきより速く足を動かす。


 何か、致命的なすれ違いをしている気がする。

 でも、その原因が何なのか、俺にはやはり分からなくて。


 なぜだか話しかける前より、心の距離が遠くなったような気がした。


* * *


 放課後、俺は一人で生徒会議室に向かっていた。

 例の学級委員全体での会議のためだ。

 

 終礼から少し時間が経っているからか、廊下は人気が少ない。

 雨がアスファルトを打つザザーッという音が、窓越しに聴こえる。


 会議室へ向かう途中、下駄箱を通りかかった。

 見覚えのある金髪の少女が目に入る。

 水谷は一人で壁に寄りかかり、両手に鞄を提げていた。


「……何やってんだ、そんなとこで」


 気まずい空気になると分かっていて、思わず話しかけてしまった。

 水谷は俺を見てから、ぷいと顔を逸らす。


「なんでもない」

「ピアノの練習はどうしたんだ。この後あるんだろ?」

「……なくなったから、大丈夫」


 目を逸らしたまま、水谷が言った。

 いやいや、そんなわけないだろ。流石に嘘だと分かるぞ。

 大体練習が無くなったのなら、学級委員の会議に参加しろって話になるし。


 ……もしかして。


「傘忘れたのか?」

「……うん、実は」


 数秒の沈黙の後、水谷は諦めたように認めた。

 遠い目をして、どしゃ降り状態の昇降口の外を眺める。


「貸し傘も今日は切れてたから、諦めて止むのを待ってる。止みそうにないけど」

「へえ……って、本当だ」


 下駄箱の隅に置かれた木の空き箱を確認して、俺は呟いた。


 貸し傘とは誰かがしばらく傘立てに置きっぱなしにして使われていない傘を集め、傘を忘れた人用に貸し出す、我が校特有の制度のこと。横の机に置かれた名簿に名前を書き、返した人から名簿の名前の横に丸を付ける仕組みだ。


 しかしこの名簿……酷いな。

「佐藤一樹」みたいな普通の名前に混じって、ベジ○タだのジャ○アンだのふざけた名前が並んでいる。今日の会議では、まずこの名簿の正しい使い方について皆で話し合うべきじゃないか?


 俺は名簿から水谷に目を戻すと、からかい半分、気遣い半分で尋ねた。


「意外にドジだよな、水谷って」

「ドジとか言わないでよ」

「でも、事実だろ」

「……」


 水谷が無言でじとっと睨みつけてくる。


 そう言えば、山本はどうしたんだ?

 こう言う時こそあいつの出番のはずなのに、間の悪いやつだ。

 まあ、水谷が山本と相合傘するのを想像すると……なんかちょっと、複雑な気持ちにならなくもないが。


 俺は鞄から折り畳み傘を取り出すと、「ほれ」と水谷に投げた。

 不思議そうな顔で傘をキャッチした春原が、弾かれたように顔を上げる。

 

「貸してくれるのはありがたいけど……相澤はどうするの」

「俺なら大丈夫。そこの傘立てにほら、俺のがあるだろ?」


 傘立てに置かれた黒い傘を指差すと、「これ、相澤のなんだ」と水谷が呟いた。

 それから「あれ、でも……」とふと思い出したように言う。


「相澤、今朝こんなの持ってたっけ」

「それ、この間から置いてたやつなんだ。今朝持って来たわけじゃない」

「なら、なんで折り畳み傘なんて持ってたの」

「……それはほら、置き傘してたのを忘れてたんだよ」


 ふうん、と水谷は相槌を打った。

 どうやら納得してくれたようで、「これ、明日必ず返すね。ありがと」と律儀に頭を下げてくる。


「分かったから、早く行けよ。急ぎなんだろ?」

「……急ぎの時でも、感謝の言葉くらい丁寧に言いたいから」


 頭を上げると、水谷はそう言い残して小走りに昇降口を出て行く。

 傘を刺して雨の中を歩いてゆく彼女の後ろ姿を眺めてから、俺も生徒会議室へ歩き始めた。




 会議が終わると、俺は下駄箱へ向かった。

 雨はまだ止んでいない。

 スマホで天気予報を確認すると、今日1日は今後も止む気配すら無さそうだ。


 ……仕方ない、秘技を見せるか。


 俺は鞄を頭の上に乗せると、走って昇降口を出た。

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