第36話 妹さんだったんだ

「相澤、来てたんだね」

「……言っとくけど、マジでたまたまだぞ。水谷が出るなんて知らなかった」


 意味ありげな笑みを浮かべる水谷から、俺は目を逸らした。

 別にエロいとかではないんだが、彼女が純白のドレスに身を包む姿は、直視するには眩し過ぎた。でも、勿体無い気もしたので、横目でちらちらと様子を窺う。


「ふうん。ま、そうだよね。今日のこと、私も相澤に言ってなかったし。……それより、隣のかわいい女の子は? 紹介してよ。私って一応、相澤の彼女だよね」

「水谷、お前……」


 今のは絶対、俺を困らせるためだけに言いやがったな。

 彼女のふりなんて、ここでする必要ないんだから。

 性格の悪いやつだ。


 仕方なく舞に目を移す。

 急に静かになったなとは思っていたが、案の定舞はぽかんと口を開けていた。


 さて、俺たちの関係をどう説明したものか。

 そう迷う俺と水谷の間を、舞の視線が何度も往復する。


「えっ……えっ? 彼女? この妖精さんが? マジ?」

「おい、ちょっと待つんだ舞。お前は何か勘違いをしている。水谷は——」

「はい、相澤の彼女です。それで、あなたは?」

「おーい」


 水谷の暴走が止まるところを知らない。

 面白がってやってるんだろうけど、流石に度が過ぎるぞ。


 舞を見ると、やつはやつで徐々に目を輝かせ始めていた。

 面白いおもちゃを見つけたみたいな顔をしている。

 嫌な予感しかしない。


「私は……相澤とどういう関係に見えます?」

「いや、お前も相澤だろ」

「えっ、この子も相澤って苗字なんだ。まさか……夫婦……?」

「なんでそうなるんだよ」


 俺はため息をつくと、水谷の頭に軽くチョップをかました。

「いたっ」と顔をしかめた後、水谷がこちらを睨んでくる。


「こいつは俺の妹の舞だ。苗字が同じなのは単に兄妹だからってだけ」

「あっ、兄妹……」


 水谷はようやく冷静になったのか、無言で何度か俺と妹の顔を見比べた。

 そして、思わずといった感じで呟く。


「あんまり似てない」

「悪かったな、不細工な兄で」

「ごめん、そういうつもりじゃないんだけど」

「いいよ、別に。気にしてないから」


 生まれてこの方、似てないと言われるのには慣れている。

 舞は顔が整っていて、俺はそうでもない。


「でも、そっか。妹さんだったんだ。……へえー」

「何その感想」

「別に。そのままだよ」


 水谷はそっけなく言うと、舞に向き直った。

 舞台でお辞儀した時のような流麗な所作で頭を下げる。


「相澤の同級生の、水谷花凛っていいます。よろしく、舞さん」

「どもども、相澤舞です」


 あたふたと頭を下げた舞が、上目遣いに恐る恐る尋ねる。


「あの、花凛さんって呼んでいいですか?」

「良いよ。相澤の妹だし」

「ほんとですか! やった!」

 

 舞は満面の笑みを見せて続けた。


「私、花凛さんみたいな綺麗なお姉さんが欲しいって前から思ってたんです! ご覧の通り、兄はこんな感じなんで」

「おい、どういう意味だ」

「私も舞さんみたいなかわいい妹が欲しかった。相澤が羨ましい」

「ええ〜、かわいいだなんて、そんなお世辞はやめてくださいよ!」


 よほど嬉しかったのか、舞が頬に手を当ててくねくねする。

 たまに思うけど、女子ってイケメンに褒められるより、美女に誉められる方が嬉しいのか?


 目をキラキラさせた舞が、さらにグイッと水谷へ近づく。


「あ、あと、今日の演奏凄かったです! 私、花凛さんのファンになりました!」

「そ、そうなんだ」

「はい! なんか色んな感情がぐねぐね混ざり合ってて……ごめんなさい! 私バカなんで語彙力足りないんですけど、とにかく胸にジーンときました!」

「そっか……まあ、喜んで貰えたなら良かった」


 水谷は困ったような笑みを浮かべると、俺の方を向いた。


「相澤はどう思った?」

「え、俺?」

「他に相澤はいないよね」

「いるけど。目の前に」


 俺が舞を顎で示すと、水谷はためらいがちに言う。


「……私が相澤って呼ぶのは、相澤だけでしょ」

「……? そりゃそうだろ。佐々木って苗字の人を相澤って呼ぶやつがいたら、そっちの方が怖いわ」

「だから、そういうことじゃなくて……」


 額に手を当ててため息をつくと、水谷は顔を上げた。

 無表情に近い顔に戻っている。


「相澤秋斗はどう思った? 私の演奏を」


 なんでフルネーム?

 って思ったけど、よく考えたら異性の名前って呼びづらいか。

 でも、俺みたいなのならともかく、水谷でもそういうこと考えるんだな。


「いい演奏だったよ」

「それ、本心から言ってる?」

「……どういう意味だよ」


 俺が尋ねると、水谷は無言でじっと見返してくる。

 碧い瞳は真剣そのもの。彼女にとってのピアノがどういうものか、その眼が雄弁に語っている気がした。


 目を逸らしちゃいけないような気がして、俺は水谷の目を見返した。

 何か緊張するな。こうして改めて見ると、ほんと整った顔してる。


「間違いなく本心だよ。月並みな言葉で言えば、感動した。心が動かされた」

「……良かった」


 水谷はほっとしたように息をついた。

 なんとなくその様子を見るのが嬉しくて、自然と笑みが込み上げる。


 ほわー、という舞の声で我に返った。

 見ると、舞が感心半分、からかい半分という顔で俺たちを見比べている。


「二人って本当にカップルなんだね〜」

「……は?」

「だって、今なんて私全然会話に入れそうになかったもん! 完っ全に二人だけの世界って感じだったよ!」

「……らしいぞ、水谷」


 なんだかすごく恥ずかしいし、顔が熱い。

 どう返せば良いか分からず水谷に振ると、水谷は水谷で混乱しているのか、俺の肩を無言でぱしっと叩いてきた。解せぬ。


 微妙な雰囲気になったその時だった。

 空気を切り裂くような鋭いソプラノの声が、水谷の背後から聞こえる。


「こんなところで何やってるの、花凛!」


 カツン、カツンという、ハイヒールのかかとが鳴らす高い音。

 直後、背の高い女性が現れる。


 背中まで流れる長い黒髪に、黒々とした瞳。

 顔立ちはどことなく水谷に似ているが、水谷より幾分冷たい印象を感じさせる。

 白い肌と唇に塗られた真っ赤なルージュが、色鮮やかな対照を成していた。


「……お母さん」


 振り返った水谷が、呆然とした顔で呟いた。

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