第2話 ありがと、助けてくれて

 何とか係決めの司会をやり切った後。

 放課後を迎えた俺は、帰宅するべく一人でさっさと教室を出た。

 まだ始まったばかりのこのクラスに、友達なんていない。

 そもそも学校中を見渡しても、友達と呼べる相手など一人いるかどうかだ。


 廊下を歩き、昇降口へ向かう。

 終礼を終えてから教室を出るまで、無駄のない動きをしたおかげだろう。

 廊下にはまだ人気ひとけが少なかった。


 ただ、完全に誰もいないわけじゃない。

 2年A組の教室がある3階から階下へ降りる途中、踊り場に水谷がいた。

 正確には水谷ともう一人、坊主頭でがっちりとした体格の男がいる。


 水谷は坊主頭と何やら話していた。

 というか、水谷が一方的に話しかけられているように見える。

 何となく近寄り辛かったので、一旦俺は後方で待機することにした。


「おい、水谷。一緒に帰ろうぜ」


 坊主頭が言った。


 なるほどね。つまりあいつは彼氏か何かだ。

 まあ、水谷に彼氏がいること自体は、何の不思議もない。

 というか、いない方がおかしいくらいだ。


「ごめん、無理」


 水谷がばっさりと断る。ほな彼氏とちゃうか。


「まあ、良いじゃねえか。ほら、鞄持ってやるから」


 坊主頭が、水谷の右肩に掛かった鞄に手を伸ばす。

 やっぱり彼氏か? 

 彼氏でもないやつが、普通あんな強引な態度取れないよな。


「やめて」


 水谷がぱしっと坊主頭の手を払った。

 うん、間違いなく彼氏じゃないな。

 あれは何かを勘違いしている、ただの迷惑男だ。

 つまり、俺があの坊主の邪魔をしたところで誰も困らない、と。


「水谷、狩野ちゃんが呼んでたぞ。学級委員はこの後職員室来いって」


 近寄って声をかけると、二人がばっとこちらを振り返った。

 何その反応、恐いんだけど。

 特に坊主頭の方は、あからさまに俺を睨んでるし。


「……分かった、今行く」


 狐につままれたように何度か瞬きした後、水谷はふっと息をついた。

 職員室は2階、つまりここから階下へ降りた先にある。

 坊主頭の横を通って二人で階段を下っていると、捨て台詞が背後から聞こえる。


「仕方ねえな。その用事とやらが終わるまで、俺は待ってるよ」

「待たなくていい」


 水谷はぴしゃりと答えた。


 しかし、ある意味すげえなあいつ。

 ここまで水谷に拒絶されて、それでも付き纏うってどんな神経してんだよ。

 その自信を少し俺に分けて欲しいくらいだ。


 坊主頭とのやり取りを終えると、2階へ降り、そのまま1階へ降りようとする。

 俺の斜め後ろを歩く水谷が「待って」と言った。


「何だよ?」

「職員室、行くんじゃないの? この階だけど」


 振り返ると、水谷が廊下の先を指差している。


「あれは嘘だよ。だから職員室なんて行かなくていい」

「……ああ、そういうこと」


 水谷は納得したように呟くと、その場ですっとお辞儀をした。

 貴族だと言われたら信じてしまいそうな、流麗な動作だ。

 絹のように艶やかな金髪が、彼女の動きに合わせてしゃなりと流れる。


「ありがと、助けてくれて」

「……いや、そんな大袈裟なもんじゃないから」


 真っ直ぐ感謝されることに、俺は慣れてなかったみたいだ。

 素直に「どういたしまして」と言えなかった。

 もごもご答えてから、早口で続ける。


「というか、逃げるなら早く逃げた方がいい。さっきのあいつのしつこさを見ると、ダッシュで回り込んで下足箱で待ち構えるくらいはやりかねないぞ」

「それはそうかも」


 校舎の反対側の階段を、坊主頭が急いで降りる絵面を想像したのだろう。

 頭を上げた水谷が、口に手を当てて小さく笑った。

 彼女のアーモンド型の碧い眼が細まる。

 その笑顔に、俺は一瞬見惚れてしまった。


 ……仕方ないだろ。

 こっちは恋愛経験ゼロの童貞。相手はあの水谷花凛なのだから。


 階段を降り、昇降口へ向かう。

 下駄箱に坊主頭が待ち構えてるなんてことはなく、俺たちは無事に校舎を出た。

 何を話せばいいか分からず、しばらく無言で歩く。

 すると、隣を歩く水谷が、慎重な声音で口を開いた。


「相澤って確か、途中まで帰り道私と一緒だよね」

「……よく知ってるな、そんなこと」

「ときどき電車で見かけるから」

「へえ、気付いてたのか」

「……たまたま、目に入っただけ」


 水谷が目を逸らす。

 なんでだよ。今の会話の中に、気まずい要素あったか?

 ……あっ、もしかしてそういうこと?


「別に帰り道が同じだからって、俺に気を遣って一緒に帰る必要はないぞ」


 水谷は多分、一人で帰りたいタイプなんだ。

 だからこそ、さっきはあの坊主頭の誘いを頑なに断ってたわけだし。

 でも、彼女の視点だと、俺は自分を助けてくれた相手。

 はっきり言っていいものかどうか、迷ってたのだろう。


 隣の様子を窺うと、水谷は目を丸くしていた。

 これは図星だったかな……と思いきや、水谷が強い口調で否定する。


「そんなわけない。むしろその逆」

「逆……?」


 逆という言葉をそのまま受け取ると、「一緒に帰りたい」ってことになる。

 でも、そんなはずはない。


 となるとここで言う逆は、数学的な意味の「逆」か?

 ほら、高一で習うだろ? 逆・裏・対偶みたいな。

 日常会話で使うやつは、あいにく見たことないけど。


 脳みそを忙しく働かせる俺に、水谷はあっさり言った。


「せっかくだし、一緒に帰らない? 相澤が良ければ、だけど」

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