校内一の美少女に彼氏役を頼まれたので引き受けたが、徐々に相手が本気になってる気がする

佐藤湊

第1章

第1話 あの、俺……や、やります

 散り始めた桜の花びらが舞う、4月の中旬に差し掛かった頃。


「ま、まずは学級委員から決めましょうか。誰かやりたいって人、いる?」


 月曜6時間目の、ロングホームルームの時間。

 僅かに震えたような声が響くも、教室はしんと静まり返っている。

 花の高校2年生を迎える俺・相澤秋斗は、期待に胸を膨らませるなんてこともなく、廊下側窓際の席で声の主を眺めていた。


 狩野先生は、今春から2年A組の担任を務める若い女の先生だ。

 引っ詰め髪に黒縁眼鏡の小柄な姿は、さながら狼に怯える羊のよう。

 実際にその光景を見たことはないけど。


 というか、生徒にびびるような人が、なんで教師をやってんだよ。

 ましてや担任って……どう考えても、狩野ちゃんの肩には荷が重すぎる。

 1年の頃の古文の授業なんて、生徒の大半が寝てたのに。


 あ、狩野ちゃんってのは狩野先生のあだ名な。

 要は生徒からそれなりに親しみを持たれているけど、それと同じくらい舐められてるって感じだ。まあ、若い女の先生なんて、どの学校でもそんなものだろう。


 つらつらと俺が考えている間にも、誰の手も上がらない。

 そりゃそうだ。学級委員なんて大した仕事はないが、それでも他の係に比べて面倒くさいのは間違いない。面倒くさいと分かってることなんて、誰だってやりたくないものだ。


「センセー」


 ふと、左側から声がした。

 見ると、教室の真ん中辺りの席に座る女子が、気だるげに手を挙げていた。


 確か彼女は、里見だったか。

 パーマのかかったミディアムヘアの茶髪といい、化粧の分厚さといい、ギャルの典型例みたいなやつだ。どう見ても立候補って感じじゃない。


「さ、里見さんっ!? もしかして、あなたがやってくれるのっ!?」

「いや、あたしがやるわけないでしょ。向いてないから、そういうの」

「え……?」


 勢い込んで尋ねた狩野ちゃんが、里見の返答に首を傾げる。

 里見は嫌な感じの笑みを浮かべ、こう続けた。


「あたしは水谷さんが適任だと思いまーす」


 くすくすという笑い声が、幾つかの席から漏れる。

 里見の取り巻きらしい女子たちのものだ。

 このクラスが始まってまだ数日と経っていないが、既にグループのようなものができ始めているのは、蚊帳の外にいる俺でも分かる。


「……水谷さんが?」


 狩野ちゃんがおうむ返しに言うと、窓側後方の席に座る女子に目を移した。

 釣られて、その他大勢の視線が彼女に集まる。俺もそちらに顔を向けた。


 背中側に流れる鮮やかな金髪と、宝石のような碧い瞳がまず目に入った。

 その鮮やかな色と、雪のように白い肌が好対照を成し、全体として強烈な印象をこちらに与えてくる。


 しかし、そうした印象を取っ払って、鼻や唇など細いパーツに目をやっても、彼女の顔が恐ろしく整っていることには疑いの余地がなかった。無造作に頬杖をつく姿ですら、一幅の絵画のように見えてしまう。


 水谷花凛。陳腐な言い方をすれば、校内一の美少女ってやつだ。

 噂に疎い俺ですら知っている彼女は、今クラス中の視線を一身に集めている。

 もちろん、俺も含めて。


「いいですよ、私がやっても」


 水谷は表情一つ変えずに、温度の低い声で言った。

 里見の表情が、つまらなさそうなものに変わる。

 水谷が狼狽えなかったのが、彼女の意に沿わなかったのだろう。


「本当? なら、女子は水谷さんに決まりで良い?」


 狩野ちゃんが教室を見渡した。

 誰も手を上げないのを確認し、「じゃあ、決まりね」とほっとしたように言う。

 黒板の「学級委員」の文字の横に、「水谷花凛」と書かれた。


 なんか一仕事終えたみたいな空気出してるけど、それでいいのかよ。

 今の流れ、やりたくない仕事を嫌いな人に押し付けてるみたいに見えたけどな。

 自分のことに一杯一杯で、生徒の様子が見えていないのか。

 それとも注意する勇気が無くて、敢えて気付かないふりをしてるのか。


 ……多分、後者なんだろうな。


 別に、怒るつもりはない。

 人間なんてそんなものだ、と最初から期待しなければいいだけの話だ。

 最初から他人に期待したり、求めたりしなければ、失望せずに済む。


「女子の方はこれで決まったとして……次は男子ね。誰かやりたい人がいたら、手を挙げてくれる?」


 1秒、2秒、3秒……誰も手を挙げない。

 まあ、予想通りではある。


 普通なら水谷が学級委員をやるとなれば、自分に自信のある男子が何人か立候補するところだろう。でも今回の場合、過程がまずい。


 あの流れを見れば誰だって、理由は分からずとも水谷が里見に目を付けられていると気付く。そして里見には既に取り巻きがいて、水谷は恐らく一匹狼。クラス内の立場で言えば、断然里見の方が強い。


 あわよくば、学年一の美少女とお近づきになれるかもしれない。

 けど、里見の矛先が、自分にも向かうかもしれない。

 前者と後者を天秤にかけた上で、皆の天秤は後者に傾いたわけだ。


 気持ちは分かるけど、嫌な空気だ。

 例えるなら、山登りで標高が高くなるにつれ酸素が薄くなり、息が詰まりそうになるあの感じ。


――待てよ。


 俺ですらそう感じるってことは、当人はもっと苦しいんじゃないか?

 さっきは涼しげな顔に見えたけど、あれは水谷なりの強がりなのかもしれない。

 効いてないよ、と里見に見せるための。


 もう一度、水谷の席を振り返る。

 すると驚くべきことに、彼女の碧い瞳とばっちり目が合った。

 水谷はすぐさま、窓の外に目を移す。


 ……何だったんだ、今の。まさか水谷が、俺を見てた?


 いや、そんなはずはない。

 高校に入ってからずっと、俺は目立たず生きてきた男だ。

 水谷との共通点なんて、自宅の最寄駅が一緒なことくらい。

 彼女と同じ時間の電車に乗るのはよくあるけど、それだけで向こうが俺を認識しているとも思えないし。俺は特段目立つわけじゃないから。


 でも……ずっと見てたら吸い込まれてしまいそうな、あの碧い眼。

 気のせいじゃなければ、助けを求めているように見えた。


 もちろん、勘違いの可能性の方が高い。

 目が合ったというのも、単に俺が自意識過剰なだけかもしれないし。


 ほら、よくいるだろ?

 アイドルのライブを観に行って、「目が合った!」って言うやつ。

 あれと同じ現象を経験したのかも。

 ことこの高校において、水谷はアイドルみたいなものだしな。

 

 しかし、目が合ったのが勘違いだろうとそうでなかろうと、このままじゃ学級委員が決まらないのも、気まずい空気が続くのも事実。他のやつは当てにできない。なら、いっそのこと――。


「えーっと……相澤くん? もしかして、立候補かな?」


 狩野ちゃんが目を丸くした。

 皆の視線が自分に集中し、手が震えそうになる。

 

 それでも俺は、挙げた手を下げなかった。

 というか、下げられなかった。

 だって一度挙げた手を下げたら、絶対変なやつだと思われるだろ?

 今更脇を掻くふりして誤魔化せるほど、器用でもないし。


「あの、俺……や、やります」

「本当? じゃあ、男子の方もこれで……と、その前に。一応聞くけど、他に立候補したい人はいない?」


 当然、手は挙がらない。


「なら、学級委員は水谷さんと相澤くんに決まりね」


 狩野ちゃんの宣言に、まばらな拍手が起きた。

 男子連中の間には、ほっとしたような、残念なような空気が漂っている。

 面倒な役職が回ってこなくて一安心、というのが半分。

 残りの半分は、水谷と仲良くなるチャンスを失って残念、というやつだろう。


 ……これさ、もしかしてだけど。


 もう少し待ってれば、誰か別のやつが手を挙げてくれたんじゃないか?

 仮にそうなら、俺の行動には何の意味も無かったってことになる。

 

 狩野ちゃんが「水谷花凛」の横に、「相澤秋斗」と書いた。

 チョークを使った手を何度かはたいてから、


「二人には今から、係決めの司会をやってもらいましょう。挨拶も兼ねて」


 恐ろしいことをさらりと言う。


「……マジですか」

 

 俺は早速、手を挙げたのを後悔し始めていた。

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