第9話 相澤、これからよろしくね
と言っても、当時は相澤の名前なんて知らなかった。
この男子、よく同じ電車に乗り合わせるなってくらい。
うちの高校の制服着てるし、ネクタイの色が私のリボンと同じ赤色だったから、同じ高校の同学年なのは分かってたけど。
私は確かコンテストの課題曲を、目を瞑ってスマホで聴いてるところだった。
そしたら「失礼ね、あなた!」って怒鳴り声が聞こえて、思わず曲を止めて目を開けたんだ。
さっき見た時には向かいに座ってたはずの相澤が、いつの間にか席を立ってた。
それで、隣に立つ白髪のお婆さんが、相澤を叱ってた。
「私はまだ席を譲られるような年じゃありませんっ! 勝手に決めつけないで!」
出たよ、って私は思った。
たまにいるよね、ああいう面倒くさい人。
でも、そうやって冷めているつもりで、近くで怒鳴られるとやっぱり恐くて。
助け舟を出す勇気もなくて、はらはらしつつ様子を見守っていたんだ。
そしたら、相澤がこう言った。
淡い微笑みを浮かべながら。
「譲ったわけじゃないです。たまたま次が、俺の降りる駅だったんで」
「……あ、あらそう。なら、問題ないわ」
お婆さんは拍子抜けしたみたいだった。
相澤がドアの前に行って、お婆さんはちゃっかり相澤の空けた座席に座って。
――あ、結局座るんだ。
あの時車内で一部始終を見ていたみんなが、多分そう思ったはず。
でも、その中で誰一人として、相澤に表立って味方しなかったのも事実で。
しかも、私もその一人なわけで。
罪悪感で胸がざわざわして、もう課題曲を聴くどころじゃなかった。
なぜって、私は相澤の降りる駅が次じゃないのを知ってる。
私と同じ駅で降りるのを、何度も見たことがあったから。
なのに、私は何もできなかった。
申し訳なさからかな。
ドアの脇に立つ相澤を見てたら、本当に次の駅で降りてびっくりした。
そのまま目で追いかけると、相澤が隣の車両に移るのが見えて。
流石にそうだよね……って勝手に安心してた。
* * *
「私の方こそ、相澤は優し過ぎるなってあの時思ったよ。自分に理不尽に怒鳴ってきた人のために、普通はあそこまでしないし。ていうか、私には絶対無理」
「……なるほどな」
ひとまずそう相槌を打つと、電車がプラットホームにやって来た。
二人でいつもの車両に乗り、この間と同じように隣の座席に座る。
水谷は座席の背もたれに寄りかかり、その碧い瞳でこちらをじっと見ている。
さて、水谷の話を聞き終えて、色々言いたいことはある。
が、何よりもまず言いたいのは――。
俺のイメージ、彼女の中でだいぶ美化されてないか?
水谷の話だけ聞いてるとまるでイケメンみたいに聞こえるけど、絶対そんなんじゃなかったはずだ。現代っ子だから怒鳴られるのなんて慣れてないし、そもそも淡い微笑みってなんだよ。多分それ、顔を引き攣らせてただけだぞ。
誤解を解くべく、俺は口を開いた。
「ばあさんに言い返さずに席を譲ったのは、単に怒鳴り合いにエネルギーを使うのが、面倒くさかっただけだよ」
「じゃあ、車両を移ったのは?」
「それは……多分、あのやり取りの後で、ばあさんと同じ車両にいるのが気まずかったんだろうな。そりゃあの人が先に移ってくれるのが一番だけど、どう見てもそういうタイプじゃなさそうだから、俺が移動しただけ。つまり、全部俺の都合で動いたんだよ。相手の気持ちなんて、大して考えちゃいない」
「……なら私も別に相手の気持ちなんて考えてない。ただ私がそうしたいからしてるだけで、優しさとは違う」
水谷はそう言い切った。
うーむ。このまま彼女と言い合ってても、恐らく平行線を辿る一方だな。
別の角度からどうにか攻められないものか……あ、1個思いついた。
「なあ、ちょっと話は変わるが……水谷が俺に彼氏のふりを頼んだのって、もしかして今のを覚えてたから、とかじゃないよな」
「……」
水谷が黙って俯く。まさか図星か?
黙って様子を観察していると、やがて水谷は顔を上げた。
さらりと髪を耳にかけると、睨むような目で上目遣いに俺を見る。
「そうだよ。悪い?」
「い、いや、悪くない、けど……」
ヤバいな。今の水谷、なんかやたらかわいく見えた。
綺麗だと思うことは今までもあったけど、かわいいと思うのは初めてだ。
狼狽えすぎて吃ってたよな、今の俺。
「嘘だ。相澤、絶対私のことキモいと思ってるでしょ。半年前なんてまだ名前も知らない頃なのに、そんなの一々覚えてるなんて、実際自分でもキモいと思うし」
「ごめん、それは俺にも刺さるからやめて」
「えっ……なんで」
「いや、だってこっちはその頃から、水谷の名前知ってたから」
彼女は1年の頃から有名だったからな。
電車内ではやたら目立つし。
「……へえ、そうなんだ」
水谷が落ち着かなさげに髪の毛先を弄る。
何、その反応。
こっちはもっと引かれると思ってたんだけど。
そういう感じで来られると、俺の方まで恥ずかしくなるじゃないか。
今の水谷は俺にはちょっと破壊力が強すぎた。
目を逸らし、気まずさを誤魔化すべく向かいの車窓の景色を眺める。
でも、気まずさは全然無くならない。どころか、むず痒さまである。
こういう空気は経験がないから、どう対処したらいいか分からん。
って、こんなこと考えてる場合じゃない。本題はこれからだ。
「あのさ、水谷。それで結局、山本の件はどう解決するつもりなんだ?」
「分からない。それこそ私には……」
水谷がちらりと俺を見る。
その仕草で、何が言いたいのか大体分かった。
ちょうどいい。俺も今から、その話をしようと思ってたんだ。
「もし、他に解決法が思い浮かばないなら……この間水谷が俺に忘れてって言ってたこと、俺、やるよ。ちょっと気が変わった」
「……」
思い切って言うと、水谷が感情の読めない顔でじっと見てくる。
あれ? もしかして、余計なお世話だったか?
実は別の人にもう頼んでた、とか。
「あ、いや、もちろん、余計なお世話だったら全然良いんだけ――」
「ありがと。嬉しい」
水谷がゆっくりと、顔を綻ばせた。
今までとは違う、花の咲くような笑み。
「……あ、ああ」
一瞬、茫然と見惚れてしまう。
しっかりしろ、俺。カオナシみたいな返事になってるぞ。
「でも、なんで急に心変わりしたの」
「うーん、なんでだろうな……」
なぜ俺が、水谷の頼みを引き受けることにしたのか。
改めて考えると難しいけど、
――頼みを引き受けなかった場合に、心に残るモヤモヤが嫌だから。
突き詰めて考えると、そんな答えに行き着く。
小倉に水谷のことを頼まれたり、里見の事情を知ったのも確かに大きい。
ただそれ以上に、俺はここ数日で水谷と関わり過ぎた。
自分でも馬鹿だとは思うが、既に彼女を放っておきたいとは思えないほど、情が湧いてしまったのだろう。
「まあ、なんでも良いだろ。それより水谷は、俺なんかが彼氏役で大丈夫か?」
「それはもちろん、大丈夫」
「……あ、そう」
冗談めかして尋ねると、思いの外強く言い切られた。
おかげで後の言葉が思いつかない。
黙ってしばらく電車に揺られていると、俺と水谷の降りる駅に着いた。
席を立ってプラットホームへ降りると、背後でドアの閉まる音がする。
ガタンゴトン、と電車は走り去った。
俺は水谷と並んで階段を降り、改札口を抜ける。
この先は家が反対方向らしく、2週間近く前に一緒に帰った時はここで別れた。
じゃあと手を挙げかける俺に、水谷がいつもの無表情に近い顔で言う。
「相澤、これからよろしく」
その顔で言われると、まるでこれから決闘でも始めるみたいだな。
どうでも良いことを考えていると、水谷が重ねて言う。
「お礼はそのうち、絶対する。相澤も何にしたいか、考えておいて」
「……分かった」
こうして俺たちの、偽りの関係が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます