第2章
第10話 坊主で、ゴリラみたいにガタイの良いやつだよ
夕食を食べ終えた後、俺はいつものように自室の机に向かっていた。
と言っても、勉強しているわけじゃない。
俺は今、スマホの画面を見つめていた。
開いているアプリはLIME。
画面には「水谷花凛」というアカウント名が表示されている。
あの後、俺は水谷とLIMEの連絡先を交換した。
恋人のふりをする以上、そうした方がいいと水谷が言い出したのだ。
特に異論は無かったので、俺は大人しく水谷に従った。
水谷とのトーク履歴は、彼女から来た「よろしく」というスタンプと、それに対する俺の「どうも」という味気ない返事だけ。連絡先を交換した際に、確認のためお互いに送り合ったメッセージだ。
「兄貴、『チェン素麺』の続きある?」
ふと背後から、どこかあどけなさを感じさせる声がした。
振り返ると、いつの間にか部屋に入って来ていた妹の舞が、俺のベッドに勝手に寝転がっている。
「……今何巻なんだよ」
回転式の椅子を回して、仕方なく舞に向き直った。
Tシャツに膝上丈のパンツというラフな格好の舞が、顔だけ俺の方に向ける。
ボブカットの黒髪が、僅かに揺れた。
「10巻読み終えたとこ」
舞が手に持っている漫画を、こちらに掲げて見せる。
「じゃあ、あれか。チェンが素麺作りの修行を終えたところか」
「そう、そこ!」
「なら悪いけど、俺も今そこで止まってる」
「えー、でもこれ最新巻じゃないでしょ」
「そうだけど、家にあるのはそこまでなんだ」
「……今、続き買って来てよ」
「無理に決まってんだろ、ふざけんな」
「ケチ」
不貞腐れたように言うと、舞はベッド横の本棚に手を伸ばした。
別の漫画を手に取って、再び無言で読み始める。
こいつ、まだ居座る気なのか。
俺は心の中でため息をつくと、机の方に向きを戻した。
さて、水谷のことは置いておくとして、今は勉強でもするか。
シャープペンシルを握ったその時、ポケットの中のスマホが振動した。
スマホを取り出して確認すると、LIMEの通知だった。
「どうせ公式だろ」とまず疑うのは、友だちの少ない人間の悲しい性。
俺もそう思ってアプリを開くと、水谷からのメッセージだった。
『今、電話していい?』
……電話?
再びベッドに目をやる。
舞がふわぁ、と欠伸をしながら漫画を読んでいた。
うーん……どう見ても、すぐには出て行きそうにないよな。
『いいけど、なんで?』
『一応、設定を確認しておきたいから』
ああ、そういうことね。しかし設定ときたか。
確かにそうとしか言いようがないんだが、ちょっと面白い。
俺は部屋を出た。
居間を通り抜け、サンダルを突っ掛けてベランダに出る。
念のため背後の窓を閉めてから、了解と返信する。
まもなく既読が付いたかと思うと、電話の着信音が鳴った。
もしもし、と通話に出ると、挨拶もそこそこに本題に入る。
「それで、設定って何から決めるんだ?」
「まずはどっちから告白したか、とか?」
「そんなの、俺に決まってるだろ」
「……なんで?」
「なんでって……」
本気で言ってるのか? まあ、本気なんだろうな。
当人だからこそ自覚がない、ということもあり得る。
「水谷から告白したなんて学校の連中に言っても、多分誰も信じてくれないぞ」
「……ああ、そういうこと」
盲点だったのか、水谷が納得の声を漏らす。
彼女の反応にお構いなく、俺は続けた。
「ついでに、なんで水谷が俺の告白を受けたのかって理由も決めとこう。誰かに聞かれる可能性もないわけじゃないからな。なんか思いつく理由、あるか?」
「理由、か……」
水谷が考え込む。
10秒、20秒……おい、そんなに考え込まれると、流石に悲しくなるんだが。
俺ってそんなに良いところない?
うん、ないよね調子乗ってすいませんでした。
「あのー、水谷さん? 別に無理矢理でも良いから、そろそろ捻り出してもらえると助かるんですけど」
「あ、いや、別にそういうわけじゃなくて……」
水谷は何やらあたふたと言ってから沈黙した。
その反応は完全に、理由を探すのに苦労してる人のそれなんだけど。
変に取り繕われる方が傷付くこともあるんだぞ、水谷。
そんなことを考えつつも、辛抱強く待つ。
やがて水谷が、ためらいがちに口を開いた。
「……男の人に付き纏われてたところを、相澤に助けてもらったから、とか?」
ああ、水谷が山本に声掛けられてた時のやつね。
「良いんじゃないか、それで」
「あの、一応言っておくけど。これ、あくまで設定だからね」
「……? そりゃそうだろ。最初から設定の話してんだから」
「……分かってるなら、いいよ」
拍子抜けしたように水谷が言う。
今の確認、わざわざする必要あったか?
「ていうか、それなら相澤が私に惚れた理由も、決めておいた方が良いよね」
「……それは多分、説明不要だと思う」
やっぱりこいつ、自分がどう見られてるのか分かってない。
流石に高校生にもなって、自分がモテてることすら気付いてないってのはなさそうだが……天然っぽいところがあるのかな。
「でも、私だけ惚れた理由を言わされて、相澤が言わないのはずるくない?」
「設定の話に、ずるいもくそもないだろ」
「それは、そうだけど……」
水谷が不服そうに黙りこくる。
あのなあ、こっちは一応真剣にやってるんだぞ。
その後細かい設定をつめ、水谷との電話を切った。
おやすみ、という水谷の声の余韻がまだ耳に残る中、自分の部屋へ戻ろうと窓の方を振り返る。すると、窓に張り付いて聞き耳を立てる舞が目に入った。舞は好奇心で目をキラキラとさせている。
「……盗み聞きは趣味悪くないか?」
窓を開けながら俺は妹を注意した。
え? ついこの間、お前もやってたじゃないかって?
大丈夫、あれは里見たちが勝手に、俺に話を聞かせてくれただけだから。
そもそも、土手なんかで堂々と大事なことを喋ってる方が悪い。
舞はあっけらかんと笑った。
「大丈夫、ギリ聞こえなかったから」
「……そういう問題じゃないだろ。思いっきり聞こうとしてた時点で、聞こえてなくても盗み聞きだよ」
「まあまあ、細かいことはいいじゃないですか」
舞はそう言いながら窓を閉め、俺の背中を押した。
そのまま居間にあるソファに俺を座らせ、腰に手を当てて正面に立つ。
「それより、兄貴が電話なんて珍しいね。誰としてたの?」
「逆に誰だと思う?」
「うーん……分かんない。でも多分、高校の人かな? 名前くらい教えてよ。どうせ私、その人のこと知らないし」
「……水谷だよ、水谷」
「へえ……兄貴のことだから、女の子はあり得ないとして……」
明後日の方向へ推理を始める舞に、「まあ、そんなとこだな」と適当に答える。
さて、我が家には父がいない。
母さんがバリバリのキャリアウーマンだから、俺たちは金銭面で何不自由なく暮らせているが、その分母さんは家事に時間を割けない。
だから俺や舞が、学校生活に支障の出ない範囲で家事を負担している。
突然こんなことを話し出したのは、別に同情を引きたいわけじゃない。
要は我が家で男一人の俺は、肩身が狭いというのを知って貰いたかったのだ。
つまり、水谷が女子と知られた暁には、俺をからかう格好の餌を与えてしまう。
だから、男だと思ってくれた方が都合が良い。
俺の返答に、舞はあっさりと騙されてくれた。
「あ、やっぱり男の人なんだ。どんな人?」
「どんな人って言われても……」
ごめん、そこまで深く考えてなかったわ。
うーむ……どうしようか。
考えてみて脳裏に咄嗟に思い浮かんだのは、なぜか山本だった。
「坊主で、ゴリラみたいにガタイの良いやつだよ」
「……なんか、あんまり兄貴とウマが合わなさそうなタイプだね」
微妙な顔で舞が言う。
よく分かったな。流石は俺の妹だ。
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