第4章

第33話 相澤、今日は付き合ってくれてありがと

 7月の初旬。夏がそろそろ本気を出してくる頃だ。

 外へ出るとギラギラした日差しが、容赦無くこちらの体力を蝕む。

 エアコンの効いた屋内が、この時期は本当にありがたい。


 夏以外の季節なら晴れてくれる方が嬉しいところだけど、この時期だけは別だ。

 空が曇ってくれた方が過ごしやすい。

 しかし、今日の空はあいにく晴れ渡っていた。

 どこまでも広がるその青さには、目眩を覚えそうになる。


 さて、今日は休日だ。

 本来ならこんな天気のいい夏の日には引きこもりたいところだが、今俺は近所の遊園地に来ている。もっと具体的に言えば、園内のカフェの窓際席。さっきまでは様々なアトラクションを巡っていた。もはや身体が溶けてしまいそうだ。


 俺の目の前には、白いワンピースを着た目の覚めるような金髪の少女が一人。

 海のような碧い眼は、見ているだけでこちらが吸い込まれそうになる。

 水谷花凛。俺のクラスメイトで……クラスメイトだ。


「相澤、今日は付き合ってくれてありがと」


 なんちゃらかんちゃらフラペチーノを啜っていた水谷が、ストローから口を離して言った。ワンピースの袖から伸びる白い腕が眩しい。


「まあ、約束だったからな」


 水谷と正面から見つめ合っては敵わない。俺は目を逸らして言った。


 約束——俺が水谷とデートすると約束したのは、ひと月以上前。

 俺が彼女を怒らせてしまい、そのお詫びとしてデートすることになったのだ。


 小倉たちに何度もデートしたことがあると言ってしまった手前、アリバイ作りのためだと水谷は言っていた。しかしよく考えると、その理屈はおかしい。それなら最初からそうと言えば、別にお詫びでなくても俺は付き合ったからだ。


 ただ、行き先が遊園地なら納得だ。アリバイ作り自体は彼氏のふりの範疇に入るとしても、遊園地は単なる水谷の願望。水谷のその辺の線引きが真面目なのを、俺は既に知っている。


 でも——。


「約束じゃなかったら、相澤は一緒に来てくれなかった?」


 いたずらっぽく笑うと、水谷は首を傾けた。


 まただ。俺の心の中を読んで、先回りしているかのような台詞。

 心理戦では、どうやら俺に勝ち目はないらしい。

 なぜって、向こうは俺の心を読めるのに、俺には水谷の気持ちがてんで分からないからだ。理不尽過ぎる。


「それより、あれからもうひと月経つよな。俺の見てないところで、山本から何か接触はあったか?」

「……ないよ」


 話を変えたのがご不満だったらしい。

 水谷は声の温度を下げると、フラペチーノをストローで啜った。

 釣られて俺も、手元のアイスコーヒーを一口飲む。

 苦いな。ミルクと砂糖が欲しい……けど、水谷に笑われそうだからやめとくか。


「でも、意外だったよね。山本がちゃんと約束を守るなんて」

「……だな」


 水谷の言葉に俺は同意した。山本には失礼だが、拍子抜けしたのは否めない。


 中間テストの結果が返却された日以来、山本は大人しくなった。

 2Aの教室へ水谷に会いに来るのはもちろん、待ち伏せも何もかもパタリとなくなった。今回の件が他学年にも広がり、野球部の先輩方に絞られたらしいと風の噂で聞いている。


 里見の方とも、あれ以来1度も関わっていない。

 彼女も今回の件で色々噂され、クラス内での地位が大きく低下したみたいだ。

 同じ噂された身としては同情したいところだが、俺が関わると余計面倒になりそうなので、放っておいている。


 噂と言えば、俺が二股を掛けているという噂はいつの間にかたち消えていた。

 人の噂も75日なんて言うけど、ひと月すら保っていない。

 俺のようなやつに二股なんて器用なマネができるはずないと、皆ようやく気付いたのだろう。遅えよ。


「里見の言うことも、案外本当だったんだね」

「幼馴染ってのも馬鹿にできないよな」


 そんな風に話していると、何がトリガーになったのかは分からないが、突然水谷が俺を凝視し始めた。いや、正確には俺じゃない。この感じは……俺の服装を見ているのか?


 頬杖をついた水谷が、すらっとした指で俺の服を差す。


「……そう言えば、今日のその服」

「ああ、これ? ……何、あんまり似合ってなかった?」

「ううん、そうじゃなくて。むしろ凄くよく似合ってるんだけど……それ、本当に自分で選んだ?」

「…………」


 もちろん、自分で選んだわけじゃない。

 この服をチョイスしてくれたのは、ちょうど話題に出た里見だ。

 5月の半ばに里見と出かけた時、彼女が考えてくれたこのコーデを、俺はかなり気に入っていた。


 ……ああ、そうか。水谷が服のことに気付いたのは、里見が話題に出たからだ。

 俺は里見と出かけた時の顛末を、彼女に洗いざらい話している。

 俺にしてはやけにセンスのいい服だから、たった今水谷の頭の中で、点と線が繋がったのだ。


 まあ、正直に言っても問題ないよな。


「里見が選んでくれたやつだよ」

「……やっぱり」


 何が気に入らないのか、水谷の声には不満の色があった。

 さっきは似合っていると言ってたのに、あれはお世辞だったのだろうか。

 なんて考えていると、今度は珍しくにっこり笑う。


「じゃあ、今度私が相澤の服選んでもいい?」

「……ちょっと待て。なんか話が飛躍してないか? もしかすると俺の理解力が足りないのかもしれないけど……なんでそうなるのか、意味が分からない」

「なんでって……なら、なんで里見には服選んで貰ったの?」


 水谷が飲み物をストローでかき混ぜる。

 氷と氷がぶつかる、カランカランという音がした。相変わらず笑顔を浮かべてはいるが、目は笑っていない。妙に迫力のある表情だった。

 

「……分かったよ。いや、正直何が何だか分からないけど、着せ替え人形にでも何にでもなる。ただ、最近金欠気味なんだ。今日も遊園地来てるし、金がない。服選びは来月辺りにでも——」

「お金ないなら、私が奢ろうか?」

「それは勘弁してくれ」


 服代を払ってもらうって、もはやヒモじゃないか。


「うーん、来月……」


 納得いかなそうに考え込んでいた水谷が、ふと何かに気付いたように言う。


「でも、よく考えたら来週はアレか……」

「何、アレって」

「ちょっとね。大した話じゃないから、大丈夫」


 水谷は微笑むと、園内マップを広げた。服の話はもう終わりという合図だ。


「相澤は次どこに行きたい? 私はこれがいい」

「これって……バンジージャンプじゃないか」

「……もしかして、こういうの苦手?」

「苦手とまでは言わないけど……」

「じゃあ、やめとこうか」

「いや、せっかくだし挑戦してみる」

「……また無理してない?」


 水谷が気遣わしげに、俺の様子を窺ってくる。

 この間の動物園での出来事を思い出したのだろう。

 そんなに心配するようなことじゃないのに。

 心の中で苦笑しつつ、俺は首を振った。


「大丈夫。本当に無理とかじゃないから。ただ……自分一人じゃ絶対乗らなかっただろうなって思っただけ」

「……それ、やっぱり無理してるよね」

「うーん、だからそうじゃなくて……」


——水谷と一緒なら、何となくいける気がした。


 なんてキザな台詞、当然言えるはずもなく。


「とにかく、次はそれ乗ろう。バンジー最高だよバンジー」

「……なんか怪しい」


 訝しげな目をする水谷を努めて無視し、俺はアイスコーヒーを飲み干した。

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