第45話 なるほど、ね

 その場に沈黙が流れた。

 水谷と二人でいた時とはまた違う、重苦しさのある沈黙。


 最初に静けさを破ったのは、水谷のお母さんだった。


「相澤くん、だったわよね?」


 俺の方を向いてそう尋ねてくる、水谷のお母さん。

 でも、この間のようなよそゆきの声ではない。

 表情にもにこやかさが全くなかった。


「そう、ですけど」


 慎重に答えるも、水谷のお母さんの顔はやはり厳しい。


「……その手は何? なんであなたが、花凛の手を握ってるの?」

「えっ? あ、いや、これはその……」


 咄嗟に水谷の様子を窺う。

 俺も俺でテンパっていたけど、水谷はそれ以上に焦っているように見えた。


 ……どうやら俺が誤魔化すしかないみたいだな。


「水谷が、じゃなくて花凛さんが足を怪我したので、それで……」

「ふうん、そう……」


 水谷のお母さんが、品定めをするかのようにじっくり俺を見た。

 それから水谷に目を移す。


「彼はこう言ってるけど、あなたはどうなの? 花凛。私はあなたから、今日の夏祭りには友達と行くと聞いたのだけれど……彼はあなたの、友達なのよね?」


 水谷のお母さんの言う「友達」という言葉には、明らかに含みがあった。

 まるで俺たちの関係が、そうではないと疑っているような感じ。


「友達、だよ。だから、何も問題ないはず」


 今度は水谷が慎重に言った。

 でも、「何も問題ない」とはまた妙な言い回しだ。

 まるで彼氏だったらまずいみたいじゃないか。


 ……いや、でもそういうことなのか?


 これまでの水谷の話と、この間の発表会で直接会った時のことから察するに。

 水谷のお母さんは、どうやらそれなりに厳しく水谷を教育しているらしい。


「恋愛に現を抜かす暇があったら、ピアノの練習してなさい!」


 とか言い出しそうな雰囲気は確かにある。


「本当に?」


 水谷のお母さんは、どうやらターゲットを俺から水谷へ完全に移したらしい。

 さらに質問を重ねてゆく。

 尋問される水谷の様子は、さながら蛇に睨まれる蛙のようだった。


「本当に」

「じゃあ、質問を変えようかしら。……花凛は彼のことを、そういう意味で意識したことが一度もないって言い切れる?」

「……言い切れる」


 ちらっとこちらを見てから、水谷が答える。

 俺に気を遣ってくれたのか分からないけど、答える前に少し間が空いた。


「……なるほど、ね」


 何やら納得したように、水谷のお母さんが頷いた。

 つかつかとこちらに歩み寄ってくると、水谷の前に立つ。

 そのまま水谷の手を取った。

 ちらと俺を見て、何でもないことのように言う。


「ごめんなさい、相澤くん。しばらくあなたには、娘と会わせないわ」

「っ!? な、なんで!? ただの友達なら、問題ないはずなのに!」


 俺が何か言うより前に、水谷が反応した。

 水谷のお母さんの手を、無理矢理振り切ろうとする。

 でも、水谷のお母さんは、掴んだ手を決して離さなかった。


「彼があなたにとってただの友達なら、会っても問題ないと思うわ。でも、本当にただの友達なら、そもそもそこまでこだわる必要がないはずよ。友達なら他にもいるでしょうし」

「それは……つまり、ただの友達なのはその通りなんだけど、相澤は友達の中でも仲が良い方、だから……」


 自分で言っていて説得力がないと感じたのか、水谷の語勢がどんどん弱まる。


 ……まずいな。何とかできないものか。


「あの、ただの友達とだって、しばらく会えないのは普通に辛いんじゃ——」

「あなたは黙ってて。これは水谷家の問題なの。自分が部外者だってことくらいは分かるわよね?」

「それは……」


 正直、水谷のお母さんの言い回しにはかなりムカついている。

 でも、家庭の問題と言われてしまうと、これ以上口を挟みづらいのも事実だ。

 結局のところ、俺は一高校生でしかない。


 俺が黙ったのを見て、やることはやったと思ったのだろう。

 水谷のお母さんが、力無く項垂れる水谷を引っ張ってゆく。


「夏休みの間中くらいは、しばらくピアノに集中なさい。最近の演奏は本当に酷い体たらくだわ。このままじゃろくなピアニストにならないわよ」

「…………」


 せめてもの抵抗のつもりなのだろう。

 自分の実の母の言葉に、水谷は何の反応も示さなかった。

 そのまま家に連れ帰られてゆく途中、顔を上げてこちらを見る。


 なすすべなくその場に突っ立っていた俺と、母に引っ張られて遠ざかる水谷。

 視線が交錯する。水谷の碧い瞳は疲れ切ってこそいたものの……驚くべきことに、諦めの色は浮かんでいなかった。


 俺は水谷に頷いてみせた。

 水谷が一瞬目元を緩ませる。

 しかし次の瞬間には、すっかり背中を向けてしまった。


 水谷の浴衣の背中に描かれた、紫陽花模様を見つめながら思う。


 確かに俺も水谷も、一高校生でしかない。

 他人の人生に介入したところで、その責任を取る能力はないと大人たちには思われているし、それは多分事実なんだろう。


 ただ、そんな俺たちにでも、できることはあるはずだ。

 少なくとも水谷はそう思っている。

 なら、俺が信じてやらないで、誰が信じるんだ……って。


 でも、後にあんなことが起きるだなんて……。

 この時の俺には、予想もつかなかった。

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