第4話 悪いけど、ちょっと無理

「私の彼氏のふり、してくれない?」


 水谷がそう口にした時、まず俺は何かの罠じゃないかと疑った。


 当たり前だろう。校内一の美少女が、冴えない男子高校生に彼氏役を頼むなんてシチュエーション、漫画やアニメの中だけだ。現実で、しかも自分の身に起こるのは、どう考えても何かがおかしい。絶対に理由があるはずだ。


 しかし、水谷の顔はどこまでも真剣そのものだった。

 ここまでの会話から察するに、彼女は人を騙したりするタイプにも思えない。

 つまり水谷は、本気でこんな頼みを俺にしているらしい。


 ……ん、ちょっと待てよ。


 よく考えたら、水谷が彼氏役を頼む理由に、俺は心当たりがあるじゃないか。

 なぜ俺を選ぶのかは、あいにく分からないままだけど。


「あの坊主のやつか?」


 俺の言葉に、水谷は目を見開いた。

 それからすっと目を伏せる。


「相澤は察しがいいね」

「まあ、他に思い当たることもないし」

「……それもそっか」


 水谷が諦めたように息をついた。

 俺は向かい側の窓の外に目を移す。

 視界の左から右へ、びゅんびゅん住宅街が流れてゆく。


「あいつ、水谷のストーカーか何かか?」

「ストーカーって言うとちょっと大袈裟かも……でも、しつこいんだ山本は。ああやって一緒に帰ろうとするのはよくある。何度も断ってるんだけど」

「……まあ、今日見ただけでもしつこそうな感じはしたな」


 自分に自信があり過ぎるってのも問題だよな。

 あの坊主頭――どうやら山本という名前らしい――は、あれほど拒絶されていても、水谷に嫌われてるとは思ってないようだし。


 水谷は頷いた。


「うん。だから相澤が彼氏の役をしてくれれば、あいつも流石に諦めるかなって思ったんだけど……どう? お礼はするつもり」

「どうって言われてもな……」


 水谷が困っているのは分かる。

 でも、教室で手を挙げた時や、階段で彼女に声をかけた時とは状況が違う。

 あれはその場で助ければ終わりだったけど、こっちは恐らく時間がかかる。

 少なくとも山本が水谷を諦めるまでは、彼氏のふりをしなきゃいけないわけで。


 そもそも水谷の立場なら、男は選び放題なはず。

 別に俺である必要はない。

 彼女が彼氏役を頼んだら、クラスの男子の大半は引き受けるだろう。


「一応聞くけど、なんで俺なんだ?」

「それは……ごめん、言えない」


 水谷はすっと目を逸らした。

 なんか後ろめたいことでもあるのかな。


「……でも、とにかく相澤以外にこんなこと頼める人は、いないと私は思ってる。今日も私のこと、助けてくれたし」

「別に助けたわけじゃないけどな」

「またミルクティ奢ってあげようか?」

「……お前は俺を糖尿病にしたいのか?」


 水谷が口に手を当て、ふふっと笑う。

 向かいで俺たちのやり取りを見ていた乗客の何人かが、今ので成仏した。


 ……まあ、水谷には悪いけど。俺の中で、答えは既に決まっている。


「悪い、ちょっと無理。水谷の頼みは、俺には荷が重いよ」


 ここで俺が引き受けたところで、水谷を幻滅させるだけ。

 彼女がどういう理由で俺に期待しているのかは結局分からずじまいだったが、俺が「相澤以外にいない」と思われるような人間じゃないのは確かだ。


「……そうだよね」


 水谷は俯きがちに呟いた。

 それからすっと顔を上げ、淡い微笑みを浮かべる。


「ごめん、変なこと言って。今の話、忘れていいよ」

「……ああ」

「……本当に、相澤が気に病む必要ないから。こんなことを頼んだ私が、図々しいだけだし」


 こちらの気持ちを見透かしたかのように、水谷が念を押す。


「分かってるよ」


* * *


 中2の頃のことだ。

 当時の俺は楽しい学校生活を送ろうと張り切っていて、自分ではいわゆる「陽キャ」グループに属しているつもりだった。


 確か、とある日の放課後だったと思う。

 先生に呼ばれて職員室で話をした後、俺は教室に向かった。

 そこでは普段俺と一緒に帰っている連中が、待ってくれているはずだった。


「秋斗ってさー……」


 教室に入ろうと扉を開けようとして、俺の名前が聞こえてきた。

 そのまま躊躇せず開ければ良かったのだろう。

 でも、ふと魔が差した。

 彼らが陰で俺をどう言ってるのか興味が湧き、扉を開けずに聞き耳を立てた。


 3人の声が、はっきり聞こえた。


「あいつはなんかパッとしないよな。悪いやつじゃないんだけど」

「分かる。ノリが良くないっつーか何つーか……」

「まあ、おもしろいやつって感じじゃないよな。気が利くし、いつも宿題写させてくれるから助かるけど」

「おい、それじゃまるで、俺たちがあいつの宿題目当てで付き合ってるみたいじゃねーか!」

「あーあ、言っちゃった。俺はそこまでは言ってないからな」

「うわー、お前最低じゃん」

「え、そういう流れ? 勘弁してくれよ」


 アハハと笑い合う3人の声が、徐々に遠のいてゆくように感じた。


 分かってる。あいつらに悪意はない。

 ちょっとした話題つなぎで、俺のことを腐してみただけだ。

 ここで俺が扉をバーンと開いて、


「お前ら、聞いてたぞ。今度から宿題写させてやらないからな」


 と明るい声で冗談っぽく言えば、あいつらが俺に笑いながら謝って終わる。

 多分、それだけの話なんだ。


 でも、そうと頭では分かっていても、身体が動かなかった。

 不良品のロボットみたいに、力が上手く入らない。


 ……多分、今振り返ってみると。


 悪意がないからこそ、俺の受けたダメージは大きかったのだろう。

「ノリが悪い」とか、「なんかパッとしない」という言葉が、彼らの率直な評価だと分かってしまって。

 

 まあ、あいつらも嫌になったけど、同じくらい自分が嫌になったよ。

 陽キャだとか陰キャだとか、そういうクラス内での立ち回りばかりに気を使って、俺は自分と全然合わない連中に媚び売ってたのかって。


 それで勝手に仲良くなったつもりで、見返りとしてあいつらが俺を対等に扱ってくれるのを期待して。そうすれば俺も、クラスで「イケてる」部類に入れるんじゃないかって。打算的なことを考えてた自分の浅さに、気付かされてしまった。


 ださいよな。

 身の程知らずだし、人の目ばかり気にして何やってんだって話だ。

 つまらない人間だな、と心の底から思う。


 結局俺はあの日、教室の扉を開けれなかった。

 あいつらは何だかんだで職員室に呼ばれた俺を待ってくれていたわけで、事実だけ見れば、俺が約束を反故にして一人で帰ったことになる。

 罪悪感やムカつきや悲しみが混ざり合い、ごちゃついた気持ちのまま俺は寝た。


 翌日登校すると、3人は俺が勝手に一人で帰ったのをなじってきた。

 俺はへらへら謝ってやり過ごしたような気がする。

 とにかく、前までと同じように、彼らと関われなくなったのだけは確かだった。

 何かが決定的に変わってしまったんだ。


 3人との関わりを減らし、徐々に一人で行動することが多くなった。

 人との関わりを減らすと、確かに心の底から楽しいと思える瞬間は減った。

 でも、ストレスも明らかに減った。凪いだ海みたいなものだ。

 意外とこれも悪くないなと思うようになって、今に至っている。


* * *


 ……だから水谷の頼みを断ったのも、正解のはずなんだ。


 なのになぜ俺は、まだ彼女のことを気にしているのだろう。

 今は夕食後の勉強中で、目の前の数学の問題に集中しなきゃならないのに。


 シャーペンを放り投げ、椅子の背もたれに深く寄りかかった。

 染み一つない、真っ白な自室の天井を見上げる。

 どうも頭が、上手く回らない。


 水谷の顔が、脳裏に浮かぶ。

 教室で頬杖をついていた時の、退屈そうな顔。

 山本の誘いをすげなく断った時の冷たい目。

 俺の冗談に笑ってくれた時の、手を当てて口元を隠す仕草。

 頼みごとをしてきた時の、あの真剣な碧い瞳。


「……やっぱり、今日は駄目みたいだな」


 俺はノートを閉じた。

 明日の準備をしようと教科書類を鞄に詰めている途中、鞄の中のミルクティの存在に気付く。そう言えばこんなもの、水谷から貰ってたな。


――ああ、そうか。


 俺は彼女が律儀なのを知ってしまったから、こんなに気になってるんだ。

 ああやってお礼をするような子がわざわざ頼むくらいだから……って。

 自分で言うのも何だけど、ちょろいな俺。


 やっぱり、人とはあまり関わり過ぎるもんじゃないな。

 少しでも関わると、そこに情が湧いてくる。

 情が湧いたら、傷付く可能性が増えるだけなのに。


 ……まあいいや。


 水谷も忘れていいって言ってたし、ひとまず忘れたってことにしよう。

 それで、明日からいつも通りの日々に戻るだけ。

 学級委員のちょっと面倒な仕事が、そこに加わるくらいだ。


 ペットボトルの蓋を開け、口を付けた。

 淡い茶色の液体を喉に通す。

 久しぶりに飲んだミルクティは、やけに甘い味がした。

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