第27話 今度、私とデートしてよ

 水谷を家に上げた後。

「相澤は風邪でしょ。寝てて」と強い口調で言われ、俺はベッドにいる。

 水谷はどこへ行ったかと言うと、彼女も俺の部屋だ。

 つまり今は俺の部屋に、水谷と二人きりという状況。


 制服姿で、俺が差し出したクッションの上に、ぺたんと水谷が座っている。

 スカートから覗く彼女の白い足がいつになく扇情的に見えて、俺は慌てて目を逸らした。肝心の水谷はというと、持って来たビニール袋の中身を無言でごそごそやっている。


「これ、買ってきたよ」


 そう言って水谷がビニール袋から出したのは、リンゴと果物ナイフだった。

 次いで紙皿を出すと、その上にリンゴを置く。

 ナイフを持つと、難しい顔でリンゴを矯めつ眇めつし始めた。


「……もしかして、リンゴの皮を剥こうとしてるのか?」

「……そうだけど」


 水谷がリンゴから顔を上げた。


「ピアノに支障が出るから、包丁を使うのは止められてるって前に言ってただろ」

「……言ったかも。でも、いいよ。他にリンゴ剥ける人、今はこの場にいないし」

「いや、俺がいるんだけど」

「相澤は風邪でしょ」

「さっきまでずっと寝てたんだ。風邪はもう治った」

「……何、その手?」


 俺が差し出した手を、水谷が不倶戴天の敵のように睨みつける。


「何って、ナイフ貸してくれよ。後は俺がやるから」

「嫌。病人は大人しく寝てて」

「だから、風邪は治ったって――」

「そう言うからには、体温ちゃんと計ったんだよね」 


 水谷が半眼で、俺の脇に置かれた体温計を指差した。

 俺は水谷から目を逸らす。


「……起きてからは、まだ計ってないな」

「じゃ、計ってからだね。それまでは私が剥いてるから」

「……」


 俺は体温計を取ると、大人しく脇に挿して体温を計り始めた。

 その間、こっそり水谷の様子を窺う。

 スマホで検索して見つけたらしいリンゴの剥き方の動画を見ながら、リンゴのへたの部分に、水谷はナイフの刃を入れた。


 しかし、風邪にリンゴとはまた古典的な。

 誰かが入れ知恵したとは思えないし、自分で買ってきたのだろう。 


 水谷がリンゴの皮を黙々と剥き始めた。

 繊細な細い手とはかけ離れた、粗っぽい剥き方だ。

 リンゴが実まで削られている。大層な腕前だ。


「……あの、あんまりじっと見ないでくれる? なんか恥ずかしい」

「っ!? ああ、悪い」


 水谷の言葉で我に返った俺は、体温計に目を移した。

 液晶の画面にはアナログの数字が表示されていて、今は38度台前半を推移中。

 結局、38.3度でピピッと体温計が鳴った。


「その温度は、どう見ても風邪だよね」


 体温計の数字を見せると、水谷が勝ち誇ったような顔をした。

 そんなにリンゴの皮を剥きたかったのだろうか。解せぬ。


「……はいはい。じゃあ、リンゴは頼むわ」

「最初からそう言えばいいのに」 


 大人しく寝ることにすると、皮を剥きながら水谷が言った。

 さっさっ、というリンゴの皮を剥く音だけが、部屋に響く。


「……なあ、さっきの話だけど」


 ぽつりと尋ねると、水谷が「ん、何」と応じる。


「結局、怒ってるって何のことだ? やっぱり、日曜のアレか?」

「……違うよ。日曜のことも、怒ってないって言ったら嘘になるけど……相澤昨日、嘘ついたでしょ」

「……そうだっけ?」

「そうやって、またとぼける。……傘、本当は私に貸してくれたので最後だったんでしょ。だから今日、風邪を引いた」

「……」


 やはりバレていたか。

 折り畳み傘を出してきた辺りでもしかして、とは思っていたが。


 水谷のふっと息をつく音がした。

 俺が身を起こすと、水谷は皮を剥く手を止める。


「私は好きだよ、相澤のそういうところ。でも、相澤には自分をもっと大事にして欲しい。今日、いつもの駅に相澤が来なくて……私がどれだけ心配したか、分かってる?」

「……ごめん」

「ほんと、心配したんだよ。最初は事故にでもあったのかなって思って、LIMEしても全然反応無くて、学校着いたら風邪って先生が言ってて、なら、絶対、昨日のあれだって……」


 LIME、してくれてたのか。

 全然気付かなかった。

 まさかそんなに心配されてるとも、思ってなかった。


 ごめん、と俺は呟くように言った。

 その声がまるで聞こえてないかのように、水谷が続ける。


「でも、相澤より私の方がタチが悪い。私は相澤が私に優しくすることで、相澤本人が傷つくのが嫌なんだ。そのくせ相澤の優しさに頼ってもいて、相澤が他の人に優しくするのは、なんか嫌で……」

「……考え過ぎだよ、水谷は。優しすぎる」

「違うよ。むしろ相澤の方が優しすぎる。だって本当は、私なんて邪魔だと思ってるのに、そうやって上手く隠して――」

「ちょっと待った。……水谷が邪魔? 何の話をしてるんだ」


 慌てて話を止めると、水谷がきょとんとした顔でこちらを見る。


「だって相澤、里見のことが好きだったんでしょ。なら、私の彼氏のふりを続けるのは、邪魔にしかならないし」

「……あのなあ」


 昨日の時点で何か話が噛み合ってないとは思ってはいたが、そういうことか。


 でも、水谷は悪くないな。

 噂を間に受ければ、そう思うのも無理はない。


「水谷。ちょっと話が長くなるけど、聞いてくれるか?」


 恐る恐る頷く水谷に、俺は日曜のことを洗いざらい打ち明けた。

 俺の話を聞き終えて、水谷はぽかんと口を開けた。


「なんだ」

「なんだって、なんだよ」

「じゃあ、私邪魔じゃないんだ」

「当たり前だろ。邪魔だなんて思わないよ」

「……良かった」


 ほっとしたせいか、水谷の肩がすっと降りる。


「そっか。それで、風邪引いてるのに勉強なんてしてたんだ」

「……そんなこと、一言も言ってないぞ」

「机に思いっきり形跡が残ってるけど」


 水谷が勉強机の方を顎を指差したので、釣られてそちらを見た。

 開きっぱなしのノートや教科書が置いてある。

 水谷の襲来があまりに奇襲過ぎて、片付けるのを忘れてたみたいだ。


 心なしか得意げな顔で、水谷が続けた。


「私を騙すなら、もっと上手くやりなよ。この1ヶ月で、他の人よりははるかに知ったから、相澤のこと」

「……昨日は完璧に騙されてたくせに」

「あれは……傘が1本しかないのに、人に傘を貸すほど相澤が馬鹿だったとは、まさか思わないし」

「……馬鹿で悪かったな」

「うん、だからちゃんと反省してね。ああいうことは2度としないって」

「……おう」


 多分、水谷は俺のことを心配して言ってくれている。

 でも、俺にはそれがむず痒かった。

 人の心配をストレートに受け取れるほど、性根が真っ直ぐじゃないんだろう。


 頬をかきつつ、俺は続けた。


「まあ、とにかく……なんだ。大体のことは、やっぱり俺が悪いよ」


 水谷が柔らかく微笑む。


「そうかも」

「おい」


 冗談っぽくつっこむと、ふふっと水谷が笑ってくれる。


――かわいい。


 そう思ってしまい、俺は咄嗟に目を逸らした。


「ていうか、俺が彼氏の役を引き受ける代わりに、水谷がなんかお礼してくれるって約束のはずだったろ? 水谷に優しくしてるのは、貸しを付けておいて、最終的にえげつない頼みをするっていう俺の作戦だから」

「その作戦、私の前で喋っちゃったら意味ないよね」

「……細かいことはいいんだよ。とにかく俺が言いたいのはだな、お礼をもらう以上、彼氏の役を頼んだってので、今更水谷が引け目を感じる必要はないってこと」


 少し間を置いて、水谷が上目遣いに尋ねてきた。


「……つまり、今回のは全部相澤が悪いって言ってるの?」

「まあ、そうなるな」

「なら、当然お詫びもしてくれるんだよね」

「……できる範囲で、なら」


 何となく嫌な予感がしたので、慎重に答える。

 水谷は明るい声で言った。


「じゃあさ……今度、私とデートしてよ」

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