第28話 相澤の胸、あったかいね
「じゃあさ……今度、私とデートしてよ」
「……は?」
ぽかんとする俺に、水谷が早口で付け加える。
「だって、この間私、菜月たちに『相澤とは何度もデートしてる』って言っちゃったから。一度くらいちゃんと経験しておかないと」
「あ、ああ、そういうこと……」
理屈は納得できるけど……それって、いいのか?
この間のダブルデートとは、また訳が違うよな。
ちらりと水谷の顔色を伺うと、彼女はからかうような笑みを浮かべていた。
でも、目は笑っていない。
「まさか、ダメとは言わないよね。日曜に里見と二人で出かけてるのに」
「いえ、ダメじゃないです」
「よろしい」
水谷は満足げに頷くと、リンゴの皮剥きを再開した。
しばらくして、何気なく言う。
「でも、相澤らしくないよね。そんな勝負を受けるなんて」
来たな、と俺は思った。
この話は、どこかで彼女にしなければならないと思ってたんだ。
身体ごと水谷に向けると、何か改まった話をすると感じたのだろう。
水谷がすっと背筋を伸ばした。
俺はその言葉を、ついに口にした。
「俺がずっと、水谷の彼氏やってるわけにもいかないだろ。水谷にも好きな人ができるかもしれないし」
「それは……ないと思うけど」
「でも、絶対にないとは言い切れない。そもそも、この関係をずっと続けるのは健全じゃない。なら、どこかで区切りをつけるべきだ」
「……」
「今回の勝負で山本に勝てば、あいつは水谷に近づかないと約束した。約束を山本が守ってくれるのであれば、俺がいなくても水谷はもう大丈夫なはず。だから、勝負を受けた」
「……そうかもね。相澤の言ってることは、正しいと思う」
水谷は一瞬俯いてから顔を上げた。
凪いだ水面のような目をしている。
「でも、そもそも勝負には勝てそうなの」
「いや、それが……あいつ、勉強は結構できるみたいなんだ。俺も勝負を受けてから知ったんだけど」
「……まずいね。どうしよっか」
「普通に勉強するしかないんじゃないか」
「普通に勉強して、勝てるの?」
「……勝てるかどうかじゃない、勝つんだ」
少年漫画の主人公みたいなことを言ってみると、水谷が半眼でこちらを見る。
「つまり、自信がないんだよね」
「……そういうことです」
水谷はため息をつくと、しばらく無言でリンゴの皮剥きを続けた。
それからようやく口を開く。
「いいよ、私も協力するから」
「えっ……でも、いいのか?」
「だって、相澤が勝てば山本はもう私に近づかないんでしょ。逆に山本が勝ったらって考えると、そりゃ、私は相澤に協力しなきゃまずいよね」
「……まあ、理屈ではそうだな」
そこで話は一度途切れた。
水谷のリンゴの皮剥きが、終わりに差し掛かったからだ。
彼女の手つきは、相変わらず見てて危なっかしい。
しかも皮だけでなく、実もごっそり削っている。
そのせいで、だいぶぶきっちょな形に仕上がりつつあった。
「出来た」
ベッドに横になって少し経つと、水谷がそう言って紙皿を枕元に差し出した。
見ると、一口サイズに切られたリンゴが、皿にこんもりと乗っている。
「相澤、自分で食べられる?」
その質問はどういう意味だ。
仮に俺が「食べられない」と答えたとして、まさか「あーん」してくれるわけじゃないだろうな。それはそれですごく興味をそそられるが……。
「大丈夫、食べられるから」
結局俺は、正直に答えた。
べ、別にチキったわけじゃないぞ。本当だからな。
「じゃあ、頑張って」
水谷から紙皿とフォークを受け取った。
フォークは家のものだ。
リビングへ取りに行こうとしたら水谷に止められ、彼女が持ってきてくれた。
フォークをリンゴの欠片に突き刺した。
やけに水谷からの視線を感じる。
「……なんだよ」
「……別に」
水谷は目を逸らしたものの、ちらちらとこっちを見ている。
……まあ、気にするほどのことじゃないか。
一つ口の中に入れ、しゃくしゃくと食べる。
リンゴの酸味と甘みが口の中に広がり、口の中がリフレッシュされた。
「美味い」
「……良かった。失敗してたら、どうしようかと思った」
俺の言葉に、水谷がほっと胸を撫でおろした。
失敗ってなんだよ。これ、生のリンゴなんだけど。
何個かリンゴを食べてから、俺は皿を水谷に渡した。
皿を受け取った水谷が、自分の脇に置く。
「……さて、そろそろ時間じゃないか?」
「……何が?」
時計を見ながら言うと、水谷がこてんと首を傾げた。
こいつ、絶対わざとやってるだろ。
「水谷が家に帰らなくて良いのかってこと」
「そうやって私を早く帰して、相澤は勉強を再開するつもりなんでしょ。まだ38度も熱があるのに」
「……しないよ。したら馬鹿だろ」
「でも、相澤はその馬鹿だから」
「……」
言い返す言葉が見つからず、仕方なく黙っていると――。
「あ、そうだ。いい作戦を思いついた」
「っ!?」
不意に水谷が、俺の胸に頭を乗せてきた。
彼女の豪奢な金髪が、ふぁさりと広がる。
「あのー、水谷さん? 俺、風邪引いてるんだけど。胸の上で寝るのは、やめておいた方が……」
「いいよ別に。相澤の風邪なら、感染っても。それに……こうしておけば、相澤は起きれないでしょ?」
水谷が俺の方を向いて微笑んだ。
彼女の匂いや温度が接している部分から、全て伝わってくる。
自分の中の空っぽの場所が、急激に満たされていくような感じ。
「起きようと思えば、起きれるけどな」
「へえ。じゃあ、やってみなよ」
挑発的な笑みを、水谷が浮かべる。
しかし、お構いなく水谷をどかすほどの度胸は俺にない。
結局、目を逸らすことしかできなかった。
壁の染みを見つめ、湧き上がる様々な誘惑に耐える。
すると、水谷がぽつりと呟いた。
「相澤の胸、あったかいね」
「……そりゃ良かった」
やめてくれ。
これ以上そういうことを言われると、期待してしまうんだよ。
演技じゃなくて、本気なんじゃないかって。心のどこかで。
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