第7話 あたしだって、分かってる

 放課後、学校を出た俺は駅へ向かっていた。

 足早にいつもの帰宅ルートを歩いていると、ふと正面に、パーマのかかったミディアムヘアの茶髪の少女が視界に入る。

 見覚えのあるその後ろ姿は、里見彩華のものだ。


 追い抜くのは何となく気まずかったので、俺は歩くスピードを緩めた。

 慎重に足を進めていると、川の土手へ続く階段に差し掛かる。

 しばらく土手の上を歩けば駅へ着く。

 階段を登ろうとして、頭上から降ってきた声に俺は立ち止まった。


「あっ、剛!」


 前を歩いていた里見の声だ。

 水谷に意地悪してた時とは違う、華やいだ感じ。

 

 というかごめん、剛って誰?

 不思議に思いつつ階下で見守っていると、低い声が返ってくる。

 次いで、背の高い坊主頭の男が視界に入った。


「……なんだ、彩華か」


 剛って、山本のことだったのかよ。

 でも、お互い名前呼びってことは、結構深い関係なのな。


 山本はロードワークの最中だったのか、練習着姿で首にタオルを掛けている。

 一方、進むに進めない俺は、身をひそめることにした。


「お前、聞いたぞ。この間水谷と、廊下でぶつかったんだって?」


 里見の明るい声とは違い、山本の声には相手を責めるような響きがあった。

 初めは嬉しそうだった里見の方まで、見る見るうちに機嫌が悪くなる。


「……ぶつかったけど、それ剛に関係ある?」

「当たり前だ。あいつはじきに俺の彼女になるわけだからな」

「……あのさ、妄想も大概にしなよ。剛、あの子に全然相手にされてないじゃん」

「……妄想だと? お前、俺のこと馬鹿にしてんのか?」

「別に馬鹿にしてるわけじゃないけど……現実見ろって言ってんの」

「じゃあ逆に聞くけどな、あいつにふさわしい男が、この学校で俺をおいて他にいるか?」

「……そうじゃなくて、あの子が剛にふさわしくないんだって」


 里見が弱々しい声で言った。

 下にいた俺には聞こえてたが、当の山本の耳には届いてなかったらしい。


「ん、今何か言ったか?」

「っ!? 何も言ってない!」

「……? なら、なんでお前はそんなにきれてるんだよ」


 おいおい、すげーベタなやりとりだな。

 人生で初めて見たぞ、そういうの。

 難聴系主人公って、現代に生息してたんだな。


 結局、二人はすれ違ったままだった。

 去り際に山本が里見の方を振り向いて、


「とにかく、お前は水谷にちゃんと謝っておけよ」


 と念を押してから、駅とは反対側の方向へ走り去って行った。

 ぽつんと残された里見の方は、せつなげな目で山本の背中を追う。

 まるで青春の1ページ……では終わらず、里見はその場で一人愚痴り始めた。


「剛ってほんと最近、水谷、水谷って、あの子のことばっかり。マジでムカつくんだけど……大体、あの泥棒猫も泥棒猫よ。剛をもっとしっかり拒否すれば良いのに、変に期待を持たせるから」


 泥棒猫って、今どきそんな言い方するか?

 それに、もっとしっかり拒否すればって、酷い言いがかりだな。

 水谷はかなりはっきり意思表示してたように見えたが。

 あれで脈がないと気付かないのは、多分山本くらいだと思うぞ。


 ただまあ、今のやり取りで色々分かったこともある。


 里見は多分、山本のことが好きなんだろう。

 だから水谷に嫉妬して、あいつに嫌がらせをしてる。

 単に水谷が男子にモテるから、ではなかったみたいだ。


 しかしこの二人、今のやりとりを聞いてると割と似た者同士だよな。


 どっちも相手のことは客観的に見えてるから、割とまともな意見が言える。

 なのに、どっちも自分のこととなると途端に馬鹿になるから、そのまともな意見をお互いに全く受け入れられない。


 ……あれ? でも、よく考えると少し引っかかることがあるな。


 昨日水谷は、なんでしらを切ったのだろう。

 里見の水谷への嫌がらせの理由がたった今の二人の会話にあるならば、素直に明かせばいいだけなのに。明かしたところで、水谷に不利益はないはずだ。


 単に水谷が、何か勘違いしてるだけか?

 それともまさか、全部分かった上で――。


 気付くと俺は、階段の先へ歩み出していた。

 足音に気付いた里見が、ばっとこちらを振り向く。

 一部始終を聞かれてたと思ったのだろう、里見の顔は驚愕の色に染まっていた。


「あ、あんた……なんて名前だっけ?」


 俺は思わずずっこけかけた。


「……相澤だよ」

「そうだった、相澤だ! どっかで顔見たことあると思ってたんだ。……で、あんたまさか、今までの話全部聞いてたの?」

「ああ、聞いてたよ」


 正直に答えると、里見の目が蛇のように細まる。


「……趣味悪。人の会話を盗み聞きして、自分でキモいと思わないわけ?」

「俺だって別に、盗み聞きしようと思ってたわけじゃないよ。たまたま二人の話し声が聞こえただけだ」

「そんなのただの言い訳じゃん。あり得ないんですけど、マジで」


 里見は吐き捨てるように言うと、つかつかとこちらに歩み寄って来た。

 俺の目の前まで近寄ると、鋭い目でこちらの顔を見上げる。


「今の話、他のやつには絶対言わないでよ。言ったら……コロス」


 ……なんだコイツ。


 さっき山本を諭そうとしてた時はちょっとまともに見えたけど、こんなのほぼ輩じゃないか。しかも、自分は水谷にわざとぶつかっておいて、だ。あんまり他人に怒るタイプじゃないとは思ってたけど、流石に腹が立つな。


「……ならお前も、水谷に嫌がらせするのはやめろよ。そしたら考えてやる」

「はあ? 嫌がらせって何のこと? あの子に嫌がらせした覚えないんだけど」

「何言ってんだよ。この間学級委員に水谷を推薦したこととか、水谷にわざとぶつかったこととか……」

「あんたこそ何言ってんの。推薦したのは水谷サンが学級委員にふさわしいと心の底から思っただけ。ぶつかったのもわざとじゃないから。それとも、どっちも証拠とかあんの?」

「それは……」


 確かに、証拠はない。

 それを認めるのが悔しくて俯く俺に、里見は畳み掛けてきた。


「証拠もないのに、言いがかりつけないでくれる? ……あーあ、ほんとこんなやつにさっきの話聞かれたとか、最悪だわー。てか、あんたもあの泥棒猫目当てなんだね。あいつは絶対やめた方がいいよ。ああいう女に限って、どうせヤリマ――」

「もういい、分かった」

「……はあ? 分かったって、何が」


 流石に最後まで黙って聞いていられなかった。

 里見の言葉を遮ると、訝しげな顔をするやつに宣言する。


「お前が山本のこと好きなのを、今から本人に言ってやる」


 里見が一瞬固まった。

 その隙に横を通ろうとすると、我に返った彼女が慌てて俺の肩を掴んでくる。


「はああああっ!? あんた何言ってんの!? やめてよ、そんなことするの! 今告白しても、振られるに決まってるでしょっ!」

「おう、さっさと振られろよ。里見が振られた方が、俺はすっきりするから。大体、水谷に意地悪するより、この方がよほど生産的だと思うぞ」

「……そんなこと分かってるよ、あたしだって」

「……え?」


 肩を掴む手の力が、急に弱まった。

 思わず振り返ると、弱々しい姿の里見が目に映る。情緒不安定かよ。


「あたしだって、分かってる。自分が馬鹿なことしてるのは。でも、無理なんだもん。どう頑張っても、あの子には勝てない。メイクとか色々頑張ったのに、剛は私のこと見てくれないし」

「……だからって、嫌がらせしちゃ駄目だろ。そのせいで余計に山本の評価を下げてるじゃないか。さっきのも見てたけどさ」

「でも、どうしていいか分からないし……」


 里見が俯きがちに言う。


 あのなあ、頼むからそんなしおらしい態度取らないでくれ。

 こっちは里見に怒ってたはずなのに、感情の持って行き場に困るじゃないか。


 俺はため息をつくと、里見の手を振り払った。

 改めて彼女に向き直る。


「とにかく、嫌がらせはもうやめろ。やめたら俺も、里見の気持ちを勝手に山本に伝えたりしないから。それでいいな?」

「……うん、分かった。だから、あんたも秘密守ってよ」

「はいはい」

 

 涙目になりながら上目遣いで言う里見に、俺は頷きを返した。


 ……さて、こいつをどこまで信用していいものやら。


 当分の間は流石に約束を守ってくれるとしても、ひと月先は分からない。

 けろりと忘れて水谷への嫌がらせを再開したとしても、全く驚きはない。


 もし、水谷の状況を変えたいなら。

 俺はそれまでに、何らかのアクションを起こすべきなのだろう。

 そしてその答えを、俺は既に見つけていた。

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