第43話 あんたのそういうとこ、ほんと嫌い

「……え、それだけ?」


 少し間を置いて、里見が尋ねた。

 どうやら拍子抜けしているようだ。


 気持ちは分かる。

 俺が里見の立場でも、多分同じことを思うだろう。


 水谷を横目で窺うと、きょとんとした顔で里見を見返していた。


「それだけって、結構でかいと思うけど。……それとも、1度泥棒猫って呼ばれてみないと分からない?」

「ご、ごめんなさい!」


 珍しくタジタジな様子で、里見がさっと頭を下げた。

 しばらくして顔を上げると、まさしく恐る恐るといった風な声音で言う。


「えーっと……花凛。これで、いい?」


 おいおい、いきなり名前呼びかよ。

 そういうところはやっぱり陽キャなんだな。


「良いよ」


 良いのかよ。

 なんかもう既に、俺より仲良くなってないか?


 まあ、何にせよ。

 水谷が里見を許すのであれば、話はこれで終わりかな。

 絆創膏ももらったから、ベンチに居座る理由はないし。


 そう思っていると、里見がぼそりと言った。


「……やかでいいから」

「え?」


 よく聞こえなかったのか、水谷が聞き返す。

 すると里見がさっと頬を朱に染め、音量調整を間違えたとしか思えないような大声で叫んだ。


「だから、私のことも彩華でいいって言ってんの!」

「…………」


 俺は今何を見せられているんだ。 

 さっきからずっと蚊帳の外なんだが。


「じゃあ、彩華」

「あんたには言ってない」 


 冗談のつもりで名前呼びしてみると、里見に一蹴された。

 なぜか水谷にまでゴミを見るような目で見られる始末。


 なんでだよ。

 俺が名前呼んだら、汚れる的なアレか?

 小学生じゃあるまいし、勘弁してくれよ。


「はい、すいません」


 とはいえ2対1じゃ分が悪いので、大人しく謝って引き下がる。

 なおも水谷からの視線を感じたが、数秒ほどで里見に移ってくれた。


「分かった。今度から、彩華って呼ぶ」


 水谷がこくりと頷いた。

「ありがと」と神妙な顔で頷き返した里見が「じゃ、また」と背中を向ける。

 さて、今度こそお開きの流れかな。


 ——あっ。


 今更と言えば、今更だけど。

 里見が浴衣姿で夏祭りに来たのって、もしかして……。


「そう言えば、山本が向こうの屋台にいたなー。確か焼きそば作ってたよなー」


 咄嗟に大声で俺は言った。

 里見のいる方向から「なっ!?」と声がする。

 次いで、ごほごほと咳き込むような音。


「あ、あたし、剛を探してるなんて一言も言ってないんだけど!?」


 里見がこちらを睨みつけてくる。

 その時初めて里見の存在に気付いたかのように、俺は彼女の方を向いた。


「なんだ、お前まだいたのか。もうどっか行ったと思って、水谷と話してたんだよ」


 里見が目を見開いた。

 一瞬黙りこくったかと思うと、ふっと微笑む。


「……あんたのそういうとこ、ほんと嫌い」


——あれ? 里見ってもしかして、かわいい……のか?


 浴衣姿がそう錯覚させたのだろうか。

 不覚にも里見の笑顔なんぞに、ドキッとしてしまう自分がいる。


「やっぱり彩華のこと、泥棒猫って呼ぼうかな」


 不意に水谷の声がした。

 俺は隣に目を移す。

 未だかつて見たことないほど、水谷がにっこりと笑っていた。


「ひいぃ!? ごめんなさいっ!」


 水谷の笑顔を見た里見が、恐れ慄いて風のようにぴゅっと去って行く。

 後に残されたのは、俺と浴衣姿の金髪美少女が一人。


「……何だったんだ、今の」


 里見の消えた方向を指差して水谷に尋ねる。

 水谷は里見に見せた満面の笑みそのままに、小首を傾げてみせた。


「相澤は分からない?」


 俺は少しの間考えを巡らせてから、一つの結論に辿り着く。


「さっぱり分からん」

「ふうん……そんな相澤に、一つだけ忠告」


 水谷が右手の人差し指を立てた。

 ほっそりとした白魚のようなその指に、蛍光灯に集まる蛾のように自然と俺の目が吸い寄せられる。


「私は相澤の優しいところ、結構好きだよ。ただし……誰にでも優しくするのは、やめた方がいいと思う」

「誰にでも優しくしてるつもりはないけどな。そもそも、俺は優しくないし」

「でもさっき、彩華が山本を探してるって察して、居場所を教えてあげてたよね」

「……んなこと言ったら、水谷こそあいつのをよく許したよ。しかも仲直りまでしちゃって。俺には到底無理な話だ」

「それは……相澤の前だし」

「……はあ?」


 意味が分からずそう聞き返すも、水谷はそれ以上答えてくれなかった。

 里見から貰った絆創膏を患部に貼ると、手に持っていた下駄を履く。すくっと立ち上がると、痛みがないのを確かめるように、その場でくるくる歩き回った。


「うん、これでもう大丈夫」

「……良かったな」

「……うん」


 喜びを噛み締めるように、水谷がゆっくり頷いた。

 ついこっちまで頬が緩むのを抑えきれない。


 と、その時。

 俺のポケットの中のスマホが、着信音を鳴らした。

 小倉からの電話だ。


 修二じゃなくて、小倉からとは珍しい。

 そんなことを考えつつ、通話アイコンをタップする。


「はい、もしもし」

「おー、相澤くん? そりゃ、相澤くんだよね。だって私、相澤くんに電話かけたんだもん!」

「……小倉。お前、酒でも飲んだのか?」


 俺の声に、目の前の水谷が何事かと訝しむような目を向けてきた。

 話の内容が気になるらしい。

 俺は通話をスピーカーモードに切り替え、スマホから聞こえる声に注意を戻す。


「まさか! 私が飲んだのはラムネだよ! ラームーネ!」

「ええ……」


 あまりのだる絡みっぷりに絶句していると、電波の向こうの声が変わった。

「悪い、秋斗」という低い声。修二だ。


「俺たち、ついさっき解放されたんだ。あのおっさん、マジでなんなんだよ。遠慮なくこき使いやがって」

「解放されたのはめでたいけど……小倉は一体、どうしたんだ?」

「ああ、菜月はな……端的に言えば、酔ってるんだ」

「……はっ?」


 え、何、マジでお酒飲んだの?

 流石にまずくないか、それは。


 俺の気持ちが電話越しにも伝わったのか、修二が慌てて言葉を重ねてくる。


「まあ最後まで話を聞けって。菜月も好きで飲んだわけじゃない。俺たちが山本たちを手伝った後……おっさんがご褒美って言ってくれたんだよ。ラムネの缶を」


 ……缶? 瓶じゃなくて?


「おい、まさか修二——」

「残念ながら、そのまさかだ。おっさんも気付いてなかったんだが、その缶はラムネじゃなくて、ラムネサワーだった」

「……ああ」


 何という悲劇。


 修二が明らかに落胆した声音で続ける。


「俺が気付いた頃には、もう遅かった。手伝いしてる間は鉄板のせいでやたら暑かったし、菜月も喉が渇いてたんだろう……それはもうごくごくと、豪快に飲みやがった」

「そ、そうか。それは大変だったな。小倉の体調は大丈夫か?」

「そっちは問題なさそうだ。度数も大したことないしな。ただ、聞いての通り様子がおかしい。てなわけで、俺はこれから菜月を送って帰る。秋斗たちは気にせず残って、祭りを楽しんでくれ」

「……だってさ。どうする」


 スマホを一度耳元から離し、水谷に尋ねた。

 水谷は「花火が見たい」とだけ言う。


 ……そうか。もう少しで花火の上がる時間か。


 俺は水谷に頷き返すと、通話に戻った。


「了解。俺たちはもう少し残ってくよ。……あのさ、修二」

「なんだよ」

「送り狼だけはやめとけよ」

「ばか。んなことするわけないだろ。……じゃあな、秋斗」

「ああ」


 そこで通話は切れた。


 ちなみに修二と話している間中ずっと、小倉の声も聞こえていた。

 何を言っているのかは意味不明だったが。


 小倉にもちゃんとかわいいところがあるんだな、とむしろ俺は安心した。

 もちろんルックスはかわいいんだけど、それとは別の意味で、な。


 ……頑張れよ、修二。

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