第12話 私は気にならなかったから、別にいい
なんとかその日の授業が全て終了した。
終礼の後、身支度を整えつつ、それとなく窓際後方の水谷の席を見る。
帰りも水谷と一緒に帰ることになっているからだ。
さてどのタイミングで声を掛けようかと機を窺っていると、坊主頭の男が教室に入って来て、俺の隣を通った。山本だ。何となく嫌な予感がしていると、山本はそのままずんずん水谷の方へ向かう。
「水谷、一緒に帰らないか」
山本の声に、教室内の空気が文字通りざわりと揺れた。
あのさ……せめて音量はもうちょい下げてくれよ。
部活で普段から声出してるからなんだろうけど、シンプルに声がでかいんだよ。
「えっ? 山本って水谷と付き合ってんの?」
「そう言えば山本が水谷にアタックしてるって、去年聞いたことあったかも」
「山本ならまあ納得だな」
「でも、さっき相澤と付き合ってるみたいな感じじゃ……」
「じゃあ、まさか二股?」
「やばっ、修羅場じゃん」
皆の好き勝手に言い合う声が聞こえた。
多分、本人たちの耳にもばっちり届いてる。
それでも水谷はこの間と同じように、にべもない返答をするのだろう。
そう思って彼女を見ると――。
「……」
水谷は黙って山本を睨み付けるだけだった。
右肩に掛かった鞄の持ち手を、右手でギュッと握り締めている。
……もしかして、緊張してる?
いや、でもよくよく考えたら、それが普通だよな。
水谷は人の視線を浴びたり、噂されるのに慣れてるから大丈夫。
俺は勝手にそう思ってたけど……慣れてたって、精神的にプレッシャーがかかるのに変わりはないはず。特に今は、修羅場だの二股だのと言われている。
彼女の負担は計り知れないだろう。
もしかすると、今朝から平気そうに見えたのも……俺が頼りないから、そういう風に振る舞ってくれていたのかもしれない。俺に頼んでる側な以上、自分はぶれちゃいけないって。水谷ならそう考えてもおかしくはない。
気付くと、俺は足を一歩踏み出していた。
水谷の元へ向かい、空いていた彼女の左手を掴む。
目を丸くする水谷にすまない、と心の中で謝りつつ山本を見た。
山本は一瞬怪訝な顔をした後、眉をひそめる。
「お前、何して……って、そう言えばこの間も、お前に邪魔されたんだったな。水谷とどういう関係なんだ。そもそもお前、なんて名前だ」
「俺は相澤だ。水谷とは、その……つ、付き合ってる」
やばっ、また肝心なところで噛んだよ。
外野のざわつきが大きくなっている。
だせえなあいつ、とでも笑われてるのだろうか。
まあ、今はどうでもいい。なんかもう色々とヤケクソになってる気がする。
「……そうなのか、水谷」
信じられないという顔で、山本が水谷の方を見た。
水谷がこくりと頷く。
「そ、そうか。なら、邪魔して悪かったな……」
山本は呆然とした様子で、案外あっさりと引き下がってくれた。
ほんの少し、胸が痛んだ。
だって、やり方が明らかに間違っていたとはいえ、こいつの水谷に対する気持ちは本物で、俺の水谷に対する気持ちは偽物な訳で。
――今は山本に同情している暇はないぞ。
慌てて自分にそう言い聞かせると、水谷の手を掴んだまま教室を出る。
そのまま人の波をくぐり抜け、気付けばいつの間にか校舎を出ていた。
校門を出て生徒の数がまばらになったところで、水谷の手を離す。
そこで初めて、自分が手汗をかいていたことに気付いた。
「悪い、水谷。手汗酷かったよな、俺。えっと、ハンカチは――」
「いいよ」
「え?」
「私は気にならなかったから、別にいい」
「……ああ、そう」
隣を見ると、水谷は明後日の方向を向いていて表情が分からない。
ただ、声の調子から判断するに、気を遣って言ってくれているという感じではなさそうだ。取り出したハンカチは、仕方なく自分の手を拭くのに使う。
何となく空気が重い気がしたので、俺は冗談っぽく言った。
「しかし、明日以降俺は学校に行けなくなるかもな」
「なんで?」
「校内にいる水谷のファンに殺される」
「そしたら、今度は私が相澤を守るよ」
「……多分それ、余計に相手の殺意を駆り立てるだけだと思うけどな」
「……そうかも」
「やけに実感のこもった声だな」
「似たような経験があるから。私は守られる側だったけど」
「てことは、前に誰かと付き合ってり?」
探りを入れると、水谷がようやくこちらを向いた。
いつものクールな顔だ。
「知りたい?」
「いや、別に。話のついでに聞いただけ」
「……付き合ってたわけじゃないよ。人を好きになったこともない。ただ、私のことを好きな男子がいて。クラスで人気がある人だったから、私は他の女子にいじめられた。彼は私を庇ったけど、そのせいでいじめが余計に……って話」
「……なるほど」
そう言えば、前に里見の嫌がらせを「まだ大したことされてない」とも言ってたよな。あの言葉と今の彼女の発言から自ずと見えてくるものは……うん、これ以上深入りするのはやめとこう。
「……なあ、あれで良かったのかな?」
ハンカチをしまうと、俺は水谷に尋ねた。
「相澤が山本に同情する必要はないよ。どのみち私があいつを好きになることは絶対にないから」
「……そういうもん?」
「そういうもん」
女子がたまに言う、生理的に無理ってやつだろうか。
だとしたら、同じ男としては山本がちょっと気の毒な気もする。
仮に俺が、好きな子に生理的に無理だと思われたらと思うと……。
まあ、あいつのしつこさを考えると、自業自得な気もするが。
「それより、ごめん相澤。思ったより迷惑かけた」
姿勢を正した水谷が、こちらに頭を下げてきた。
2週間前にもこんなことあったような。でも、あの時は――。
「そういう時は、ありがとうの方が嬉しいかな」
「……そっか。じゃあ、ありがと」
顔を上げた水谷が、長い髪をさらりと耳にかけて微笑んだ。
俺は水谷から目を逸らした。
「て、ていうか、これでもう山本も諦めたかな?」
「どうだろう……私にはそうは思えない。あいつ、諦めが悪いから」
「だよなー……」
さっきの様子から判断すると、まあまあショックを受けてそうではある。
でも、あれで諦めてくれるほど物分かりの良いやつなら、そもそも俺が彼氏のふりをする必要もないだろう。
「だから相澤には、もうしばらく彼氏のふりをしてほしいんだけど……良い?」
「……おう」
そもそも付き合ってすぐに演技をやめると、側から見れば速攻で俺が振った、もしくは振られたように見えるだろう。多分それは、お互いにとって良くないはず。
しばらく歩くと、例の自販機の前に差し掛かった。
水谷が自販機を指差して言う。
「また何か奢ろうか」
こういう時は、気持ちよく奢らせた方が良いのかな。
この間から水谷と接していて、彼女は何となくそういうタイプな気がした。
「じゃあ、今日はポカリで」
「了解」
がたこん、と500mlペットボトルの落ちる音がする。
俺はポカリを取ると、その場で早速口を付けた。
「冷たっ」
「まだ4月だからね」
「……確かに」
スポーツドリンクを飲むには、ちょっと早い季節だったかもしれない。
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