第30話 相澤……頑張ってね

 ついに中間テスト初日を迎えた。

 

 水谷と登校する途中、やはり周囲からの視線を感じる。

 噂は晴れてないのだろう。

 でも、今そんなものに構っている余裕はない。


 校舎に着くと、下駄箱で山本と遭遇した。

 やつは俺をひと睨みした後、何も言わずに先を行く。

 どうやら向こうも、それなりに本気で準備していそうだ。


「相澤……頑張ってね」


 山本の大きな背中を眺めていると、水谷が言った。

 隣を見ると、真剣な表情に幾分憂いが差している。


 俺は多分、硬い顔をしてたと思う。

 それを和らげるように、無理矢理笑みを浮かべてみせた。

 頬の筋肉が、少しだけほぐれたような気がする。


「まあ、やるだけのことはやってみる」


* * *


 徹底的に準備したおかげで、試験はどの教科も過去最高の手応えだった。

 一緒に勉強してたからか、修二たちも俺と似たような感じだったらしい。


「今回みたいな集まり、期末でもやってくれた方が助かるな」


 と修二はぼやいていた。

 確かに肝心の俺より、修二が質問する場面の方が多かった気がする。


 テストが終わってから1週間が経ち、月曜6時間目のホームルーム。


「こ、これから中間試験の成績表を返却します! 出席番号順に名前を呼ぶので、呼ばれた人から前に取りに来てください」


 教卓に立つ狩野ちゃんの声に、教室中から「え~!」と不満げな声が上がった。

 とは言えこんなのはお決まりの反応で、特に意味はない。

 返却されたテスト結果にああだこうだ言い合うのを、なんだかんだでみんな楽しみにしているはずだ。


「まずは……相澤くん」


 緊張する間もなく、俺の名が呼ばれた。

 相澤なんて苗字を持っているくらいだから、最初に呼ばれるのは慣れている。

 はいと返事をすると、俺は教卓の前に向かった。


「相澤くん、頑張りましたね」


 成績表を渡すその時、狩野ちゃんが俺の目を見て言った。

 これは……確定演出か?

 まさかと思いつつ、「ありがとうございます」と答えて席に戻る。


 席に着くと、俺は成績表を裏返しのまま机に置いた。

 透けて見えるのが怖いので、薄目にして深呼吸する。


 とにかく、大事なのは順位だ。

 総合1位なら勝利確定。

 2位以下なら向こうの結果待ちになるが……できれば1位であって欲しい。


 なんとなく周囲をキョロキョロしてから、さっと紙を表にした。


 成績表には、中央に大きく棒グラフが描かれていた。

 平均点の棒グラフが緑色、俺の成績の棒グラフが青色だ。

 どの教科も20点以上青の方が高い。


 でも、今そんなのはどうでもいい。

 順位は、順位は……あった!


「2位か……」


 ……微妙だ。


 もちろん、普通ならめちゃくちゃ喜ぶべき順位だ。

 高校に入ってから2位なんて取れたことないし。

 ただ、今回は話が違う。猛烈に嫌な予感しかしない。


 負けたくはない。

 でも、これで誰か一人には負けてることが確定してしまった。

 その誰かが山本じゃないのを、俺は祈るしかないわけだ。


「くそっ……」


 自分なりに、全てを尽くして戦ったはずだ。

 なのに、もっとやれたんじゃないかという後悔が脳裏をよぎる。


 トイレの時間でも、睡眠時間でもなんでもいい。

 何かをほんの少し削って勉強に当てていれば、俺はこの順位を一つ上げられたかもしれないのにって。


* * *


 ロングホームルームが終わり、終礼の後。


「相澤、どうだった」


 鞄を肩に掛けて教室を出ようとすると、温度の低い声が後ろからした。

 振り返ると、水谷の整った顔が間近にある。

 

 正直、今は一番彼女と顔を合わせたくなかった。

 勝負に負けてしまったのかもしれないのだ。

 自分が情けなくて、水谷の目を見るのが辛い。


 ……でも、ここで目を逸らしちゃダメだよな。


「悪い、水谷。2位だった」

 

 彼女の碧い瞳を見て、俺は言った。

 すると水谷が、ほっとしたように息をつく。


「良かった、これで勝ったね。すごいよ、相澤は」

「……いや、ちゃんと話聞いてたか? 俺、2位って言ったんだけど。つまり、上にまだ一人いるわけで――」

「ああ、そっか。相澤にはまだ私の順位言ってたなかったよね」


 水谷は鞄から自分の成績表を取り出すと、「ほら、これ」と渡してきた。

 受け取ったその紙を見る。

 中央の青い棒グラフがやけに高い。

 なんなら俺より高いかもしれない。って――。


「1位!?」

「あんまり大声出さないで。他の人に知られたくないから」

「あ、ああ、ごめん」


 水谷に謝りつつ、周囲を確認する。

 終礼後の喧騒に紛れ、他の生徒には聞こえてなかったらしい。

 一安心しつつ、改めて水谷の順位を確認する。

 確かに1/263という数字が、そこには刻まれていた。


「めちゃくちゃ成績いいじゃん、水谷……」

「多分、勉強会のおかげだと思う。いつもはこんなに成績良くないから」


 俺の視線に何か勘違いしたのだろう。

 まるで悪いことをした子どものように、ばつの悪そうな顔をしている。


 ……ん? ちょっと待てよ。


「水谷が1位ってことは……」

「相澤が山本に勝ったのは確定だね。おめでとう、相澤」


 俺の言葉の跡を引き継ぐように、水谷が言った。

 水谷は微笑みを浮かべている。


 ああ、そっか。俺、勝ったのか。

 もちろん嬉しいけど……なんか釈然としないのは俺だけ?

 こういう結末は、全く予想してなかったんだが。


「おい、相澤。約束は忘れてないだろうな」


 その時、低い声がした。

 声のした方を見ると、教室に来た山本が自信ありげな顔でこちらを見ている。


 俺と山本の対峙に、クラスメートの注目が集まるのが分かる。

 まさか修羅場か、とワクワクしているのだろう。

 今の自分のクラス内での評判くらい、流石にもう把握している。


 ちらと里見の方を見ると、鞄を肩に掛けこそこそ教室を出ようとしていた。

 気持ちは分かるが、そんなこと許さないぞ。

 じっと里見を睨み付けると、はあとため息をついてこちらに来る。


 俺は改めて山本に向き直った。


「ああ、もちろん忘れてないぞ」

「ははっ、そうかそうか。案外潔いやつだな。……さて、俺は慈悲深いから、お前の順位は聞かないでやる。俺の順位は……3位だ!」


 山本が成績表をバンと俺たちに見せつけてきた。

 周囲から上がるおおっ、という歓声をよそに、俺は水谷と目を合わせた。

 水谷がくすりと笑う。

 俺はなぜだか、山本に申し訳ない気持ちになった。

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