第31話 これで山本ももう懲りたかな

 通学路の途中にある、例の自販機の前。


「じゃあ、今回の勝利を祝って……乾杯」


 俺は水谷と、炭酸飲料の250ml缶を軽くぶつけ合った。

 水谷がふふっと笑いをこぼす。


「にしても、さっきの山本の顔。面白かったよね」

「まあ、な」


 俺は言葉を濁した。

 山本との勝負には勝ったと言えど、俺も水谷に負けた身だ。

 あいつを笑える立場じゃない。


 さて、教室で山本が、成績表を俺たちに披露してきた後。

 俺と水谷の成績を知った山本はわなわなと震えながら、


「そ、そうか。……分かった。なら約束通り、俺はお前たち3人の関係を応援してやる。水谷にも、今後は金輪際近づかない」


 と宣言した。すごく苦しそうな顔で。


――3人って、何の話だよ。


 最初は俺もそう思った。


 でも、よくよく考えたら、まだ里見との関係について誤解を解いてなかった。

 要するに山本の頭の中では、俺は水谷と里見どちらとも付き合っている悪いやつなわけだ。そりゃ苦しそうな顔にもなるよ。脳破壊が過ぎる。


 俺は慌てて誤解を解いた後、里見を山本に押し付けて水谷とその場を離れた。

 後は野となれ山となれ、だ。

 もうあの二人には、金輪際関わりたくない。

 面倒臭いことになることなど分かりきってるし。


 駅に着くと、水谷と並んでホームの椅子に座った。

 プルタブを引っ張り飲み口を開け、炭酸飲料をごくりと飲む。

 シュワシュワとした喉越しが心地良い。


「これで山本ももう懲りたかな」


 何気なく俺が尋ねると、水谷は「……どうかな」と目を伏せた。

 鞄のファスナーについたキーホルダーをいじっている。


 あれ? おかしいな。

 山本が懲りてくれたら、水谷としては嬉しいはずなのに。

 なんで寂しそうな顔をするのだろう。

 それとも水谷は、山本がまだ諦めてはくれないと踏んでいるのか?


 ……いや、もう一つあった。水谷が悲しむ理由。


 合っているかどうかは分からない。

 というか多分、外れている。

 合っているかもと思ってしまうのは、俺の願望でしかないはずだが――。


 山本が水谷に付き纏うのを諦める。

 それすなわち、俺と水谷のこの偽の関係を続ける原因が解消されたわけで。

 ここで俺か水谷が「じゃあ、今までお疲れ様」と言い出せば、今にも俺たちの繋がりは切れてしまう。


 でも……。


「…………」


 言い出せない。言い出したくない。


 なぜだろう。

 この関係を続けるのがおかしいと思ったから、今回俺は頑張ったはずなのに。

 試験の前に、水谷にはっきりとそう伝えたのに。

 いざ別れを告げる段になって、言葉が出てこない。


 隣の水谷の様子を窺ってみた。

 水谷は俺の方を決して見ようとはしない。

 何かを恐れるように、頑なに目を逸らし続けている。


 まさか水谷が、俺と同じことを考えているとは思わない。

 でも、もしかしたら。

 いや、そんなわけがない。

 でも、いや、でも……。


 ぐるぐると巡る思考を遮るように、電車がホームへやって来る。

 今の俺にとって、それはまさに救いに思えた。

 慌てて立ち上がると、「乗るか」と水谷に声を掛ける。


 うん、と水谷はしおらしく頷いた。

 後に続くように立ち上がると、電車に乗る際に手を差し出してくる。


「……何だよ」

「……落ちるのが、怖いから」

「今まで普通に乗ってただろ」

「今だけ何となく怖いの」

「……分かったよ、お姫様」


 水谷の手を握ると、彼女は「ありがと」と淡く微笑んだ。

 いつもより慎重に、車内に足を踏み入れる。

 自動ドアがプシューッと閉まり、電車がガタンゴトンと動き始めた。


 気のせいじゃなければ、の話だが。

 俺は水谷の信頼を、それなりに得ていると思う。

 こうして手を差し出してくるのも、知り合い程度ならあり得ない。


 でも、変に期待するのも怖い。

 それで痛い目を見たことがあるから。

 相手の好意は、少し低めに見積もっておくくらいの方がいい。


* * *


 夕食後、俺は部屋でベッドに寝転がっていた。

 いつもなら勉強するところだけど、今日はテストの結果が返ってきた直後だ。

 流石にやる気が湧かない。


 ……自然と脳裏に思い浮かぶのは、やはり水谷のことだ。


 別れを告げるのが正しいと、頭では分かってる。

 水谷との歪な関係を、これ以上続けるべきじゃない。

 でも、行動に移せない。


 LIMEで告げようかとも考えた。

 実際、文面はもう打ったのだ。

 後は送信ボタンを押してしまえば、全てが終わる。

 なのにそのボタンを、俺は押せない。


「ぐわぁあああぁー!」


 ずっと心の中がモヤモヤしているのが嫌で、俺は思わず叫んでいた。

 隣の部屋から、どすんという壁を蹴るような音が聞こえる。

 次いで「うるさい!」という舞の声。


「悪い!」と返事して、俺はベッドにうつ伏せになった。

 すぐに水谷の顔が頭に浮かぶ。

 やめてくれ。もうあいつのことなんて考えるなよ。


 ガチャリという、背後の扉が開く音がした。

 振り返ると、寝巻き姿の舞が眉を顰めている。


「何、急に叫んだりして。兄貴もしかして、狂った?」

「別に狂っちゃいないよ。悪かったな。心配かけて」

「ふーん……水谷さんって人となんかあったんだ?」

「……何もないよ」


 なんでこいつはこんなに鋭いんだ。

 流石に怖いぞ、血の繋がった妹とはいえ。


 俺の答えに、舞がにんまりと笑う。


「その反応を見ると当たりっぽいね。何、振られでもした?」

「……いや、振られたというか――」

「ま、まさか、兄貴から振ったの?」

「なわけないだろ。でも、何と言えばいいのか……」


 言葉を選んでいると、と舞が「変なの」と首を傾げた。

 しばらくして何か思いついたのか、手をぽんと叩く。


「じゃあ、振ったとか振られたとかじゃないけど、とにかく別れなきゃいけなくなった、みたいな?」

「……そういうこと、になるのかな」

「へえ、なんかフクザツだね。理由とか聞いても大丈夫?」

「理由? それは……」


 偽装カップルという今の状態を、俺は正しい状態じゃないと思っている。

 水谷に好きな人ができた場合、どう考えても足枷になるからだ。

 この間話した時、水谷も納得してくれたはず。


 ただ、これをそのまま舞に話す訳にはいかない。

 舞はこちらの事情など何も知らないから。


「価値観の違いってやつかな」


 適当にそれっぽい理由をでっち上げると、なぜか舞が狼狽えた。


「あ、あー。じゃあ、向こうはノンケだったってことか……」

「……何言ってんだよ、お前」

「いやー、なんでもない! でも、そっかー……ま、絶対次があるよ!」


 取り繕うように俺の肩を叩くと、舞は部屋を出て行った。

 何なんだ、あいつは。ノンケとか訳分からんこと言って。


 ……でも、気晴らしにはなったかな。


 俺はLIMEアプリを再び開くと、改めて自分の打った文面を確認する。


『これでもう、俺と付き合うふりをしなくてよくなったな。おめでとう。明日の朝からは、駅で俺を待たなくていいから』


 まあ、こんなところだろう。


 俺は目を瞑ると、送信ボタンを押した。

 メッセージが水谷に送られたのを確認すると、すぐさまアプリを閉じ、スマホの電源を落とす。ばたりとベッドに仰向けになった。


 なんだかこの数秒で、ものすごく精神的に疲れた気がする。

 ちょっと早いけど、もう寝ようかな。

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