第3章
第18話 外したいなら、外していいよ
連休明けの朝というのは、ただでさえ辛い。
久々の学校、仕事、自宅警備、その他諸々。
誰だってそんな責務など放り投げ、家で心ゆくまで寝てたいものだ。
そこに悪いことが重なれば、泣きっ面に蜂状態なのは言うまでもない。
さて、いきなり何が言いたいのかと言うと……。
今まさに俺は、その「泣きっ面に蜂」な状況に遭遇している。
「へえ、水谷の弁当美味そうだな。水谷のお母さんが作ったのか?」
「……知らない」
「知らないってことはねえだろ。なあ、俺にそのウインナー分けて――」
「お前、なんでここにいんの?」
俺が山本に話しかけると、山本はこちらを一睨みした。
それから、何も言わずに水谷との会話に戻る。
「……俺にそのウインナー、一つ分けてくれよ。俺もこのブロッコリーやるから」
「……ブロッコリーは嫌い」
「あー、なるほどな。じゃあ、こっちの卵焼きと――」
「卵焼きも嫌い」
「……マジかよ、卵焼き嫌いなのかよ」
山本があんぐり口を開けた。
まあ、びっくりするのも分からないではない。
そもそも嘘だからな。
俺、この間水谷と卵焼きを交換したし。
って、だからそうじゃなくて。
「お前、なんでここにいんのって聞いてんだけど」
「……ああん? てめえこそなんでここにいんだよ」
山本が凄んできたので、俺は目を逸らした。
水谷がじとっとした目でこちらを見ているような気がするけど、別に山本にビビったわけじゃないぞ。ただ、壁のシミが突然気になっただけだ。
さて、ここは例の空き教室。
GW中に山本は復活したのか、今日は朝から何度も教室にやって来ては水谷に話しかけていた。いい加減鬱陶しくなってきたので、昼休みはこの空き教室に避難。しかし山本がここにまでついてきて、今に至るというわけだ。
……くそっ、何なんだ。
こいつ、GW前は完全に意気消沈してたのに。
あれから1週間以上経ったから、忘れちゃったのか?
「お前さ、ちゃんと覚えてるんだよな。俺と水谷が付き合ってるってことは」
「おう、もちろん覚えてるぞ。だからこうして、邪魔しに来てる。お前と水谷が付き合うなんて、絶対に裏があるはずだ」
「…‥」
水谷が不機嫌そうに山本を睨んでから、俺に何やらアイコンタクトを取った。
なんだろうと彼女の挙動を注意深く眺めていると、唐突に弁当を片付け始める。
なるほど、そういうことね。
すぐに俺も弁当箱を片付けると、水谷が立ち上がった。
「バイバイ山本。私たちは別の場所でお昼食べるから」
「マジで? 俺もついて行っていいか?」
「ダメ。……相澤、行こ」
「お、おう」
水谷の背中について空き教室を出る。
背後で山本が慌てて弁当箱を片付ける、かちゃかちゃという音がした。
俺は水谷と顔を見合わせる。
「走ろっか」
「だな」
ダッシュで廊下の奥の階段へ向かうと、背後でガラッとドアの開く音。
慌てて角を曲がり、階段を登りかけたところで、
「っ!?!?!?」
急に水谷に手を引かれたかと思うと、階段脇の窪んだスペースに俺たちはすっぽり収まった。電車で隣に座る時とは違い、全身が水谷に触れる感触。ふわりと花のような匂いがして、なんだかクラクラする。
息をひそめていると、俺たちのすぐ目の前を、ダッシュで山本が通り過ぎた。
やつはそのまま階段を登って行く。
俺たちが教室に向かったとでも思ってくれたのだろうか。
水谷と再び顔を見合わせた。
どちらからともなく、笑いが溢れ出す。
「ふふっ」
「はははっ」
ひとしきり笑った後、俺たちは窪みを出た。
向かう先は、もちろんあの空き教室。
灯台下暗しってやつだ。
まさか山本も、俺たちが元の場所に戻っているとは思うまい。
「ごめんね、相澤。また迷惑かけた」
ようやく笑いが収まったのか、目尻の涙を拭って水谷が言う。
「それは別に良いんだけど……手」
「……何?」
「何、じゃなくて手。もう、繋ぐ必要ないんじゃないか」
俺は水谷との間の、繋がれたままの手を見た。
相変わらず、氷のように冷たい手だ。
水谷は目を逸らすと、繋がれた手を揺すった。
「外したいなら、外していいよ」
「……外したいとまでは言ってないだろ」
「じゃあ、外したくないってこと?」
「そうとも言ってない。どっちでも良い」
「なら、私と同じだね。私もどっちでも良い。だから相澤次第」
「……なんかずるくないか?」
「なんで? 相澤の好きにしていいよって言ってるんだけど」
「……やっぱずるいだろ、それ」
俺が呟くと、水谷がくすりと笑う。
からかわれてるな、これは。
空き教室に戻り、弁当を食べるのを再開した。
脳みそは自然と、山本のことを考え始める。
一応言っておくが、断じて恋ではない。
単にあいつへの対策を練るだけだ。
しかし、割とマジでどう対処すればいいんだろう。
先生に言うとか?
でも、クラス担任の狩野ちゃんは当てにならないしな。
かと言って他の先生がわざわざ助けてくれるかと言うと……山本って、この学校じゃ特権階級みたいな立ち位置なんだよな。小倉もそんなようなこと言ってたし、つまりは見て見ぬ振りされる可能性が高いわけだ。
……あれ? もしかしてこれ、詰みじゃないか?
「相澤、何か難しいこと考えてる?」
自然と眉根が寄っていたのだろうか。
気付くと、水谷が心配そうな顔でこちらを見ていた。
なんでもないと首を振ると、水谷が言う。
「そっか。……じゃあ、おかず交換しよ」
「……接続詞の使い方がおかしくないか?」
「細かいことはいいの。相澤はどれが食べたい?」
「……ウインナーで」
「了解。私はそっちのブロッコリーもらっていい?」
「嫌いなんじゃなかったのか?」
「さっきまではね。今は好き」
「……なるほど」
都合の良い好き嫌いだ。
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