第38話 てめえ、何でここにいやがる

 7月半ばの、終業式の日のことだ。


「おい、秋斗! 今度の日曜空いてるか!?」


 水谷と登校した後、教室でぼけっとしていた俺の元に、修二がやって来た。

 中間試験後の席替えで、教室前方の扉に一番近い席からは既に移っている。

 真ん中より少し窓側寄りの、可もなく不可もない場所だ。


 しかし今の質問、凄くデジャブを感じるな。


——そうか。舞が先々週くらいに、全く同じことを聞いてきたんだった。


 なぜみんな、先に何があるのかを言ってくれないのか。

 暇だからといって(以下略)。


「日曜? ……なんで?」

「流石は秋斗、暇なんだな! なら、夏祭りに行こうぜ! 4人で!」

「おい、空いてるなんてまだ一言も……って、4人?」


 盛大に煽られたような気もするが、今は気にすべきところではない。

 というより気にすると精神衛生上良くないので、別の箇所にフォーカスする。


 修二は当然といった顔で続けた。


「ああ、もちろん。祭りなんだから、女子がいた方が華やかだろ? ってなわけで久々のダブルデートな! 俺と秋斗と、菜月と水谷! 良いよな?」

「……俺は別に構わないけど。水谷はどうなんだろう」


 修二から目を逸らし、窓の外を見る。


 俺は卑怯だ。動物園の時とは違って、今回は自分でもちょっと……いや、かなり興味を引かれている。水谷の浴衣姿とか、見てみたいし。でも、自分から行きたいとは素直に言えないから、こんな風に気持ちを誤魔化して——。


「私も別にいいよ。相澤が良いなら」


 その時、水谷の顔が視界に割って入った。

 いつの間にかやって来ていた水谷が、微笑を浮かべて俺の目を見返す。

 こちらをからかいにきてる時の顔だな、というのは流石にもう分かる。


 逃げ場のなくなった俺は、再び修二の方を向いた。


「……小倉はどうなんだ」

「あんまり俺を舐めんなよ。菜月には真っ先に話通してるぜ!」


 修二が握り拳を振り上げる。

 まあ、そりゃそうか。付き合ってるんだもんな、あんたら。


「分かった。行くか」


 その言葉は、思いのほか力みなく出てきた。


* * *


 目当ての夏祭りは、学校近くの広々とした公園で行われる。

 俺は自宅の最寄駅で、水谷と待ち合わせることにした。

 その後電車で移動し、向こうで修二たちと会うという流れだ。


 夕刻。集合時間より少し早めに、俺は駅に来ていた。

 格好は普通に私服。小学生の頃ならともかく、最近は夏祭りというイベントにあまり縁が無かったから、浴衣や甚平は持っていない。


 最近はレンタルもできるんだっけか。

 まあ、そこまでして着たいわけじゃないし、そもそも俺の浴衣姿に需要はない。

 今日はこれでいいだろう。


 駅の支柱に寄りかかってスマホをいじっていると、不意に肩を叩かれる。

 繊細な指の感触。それだけで誰だか見当がつく。

 なのに顔を上げた時、俺は絶句せざるを得なかった。


「…………」


 目の前にいたのは、予想通り待ち合わせ相手の水谷。

 いくら美少女と言えど、毎朝顔を合わせていれば自然と見慣れてくるわけで、毎回こんな風に驚いたりはしない。してたら命が持たないし。


 でも、今回ばかりは、想定のはるか上を超えてきた。


「こんばんは、でいいのかな」

「…………」


 下からこちらを覗き込むようにして、少し照れくさそうに水谷が言う。

 情けないことに、相変わらず俺は言葉が出てこなかった。


 水谷は浴衣を着て来ていた。

 夜の闇のような紺色の生地に、紫陽花をあしらったものだ。

 帯は彼女の瞳に似たエメラルド色。

 真っ白な肌と艶やかな金髪が、いつもより浮き上がって見える。


「相澤、大丈夫?」

「あ、ああ、大丈夫」


 目の前で手を振られ、ようやく口が動いてくれた。


「じゃあ、行こうか」


 と口にして駅の方へ歩き始めても、水谷がついて来ない。

 不思議に思って振り返ると、水谷が無表情に近い顔でじっと見返してくる。

 碧い瞳には不満げな色が宿っていた。


 ……ああ、そういうことか。俺も察しが良くなったものだ。


「似合ってる、と思う」


 言うことは決まってるのに、動物園の時よりやけに言葉が出てこなかった。

 それでも水谷は納得してくれたのか、「ありがと」とほのかに微笑む。


 小走りで俺の隣へ来ると、今度こそ並んで改札口を抜ける。

 そう言えば、今日の彼女は下駄か。……ふむ。


 俺はいつもより、ゆっくり足を動かした。


* * *


 学校の最寄駅に着くと、改札口の外で待つ修二と小倉が目に入った。

 二人とも浴衣姿だ。


「やっほー……って、花凛ちゃん! 浴衣似合いすぎっ!!!」


 俺たちを見つけた小倉が大きく手を振ったかと思うと、すぐさま水谷に駆け寄って手を握る。相変わらずだな、小倉は。ある意味この場の3人の中で、1番の水谷ファンと言えるかもしれない。


「よっ、秋斗」


 小倉の隣にいた修二が、こちらへ寄って来た。

 俺の肩をがしっと掴み、


「なっ? 夏祭り来といて良かったろ?」


 とにやにやしながら耳打ちしてくる。


「……さあ、何のことだか」

「とぼけんなって、お前も男だろ? ……浴衣めっちゃ似合ってるじゃないか、水谷も菜月も。感謝しろよ? 誘った俺に」


 癪に障る話だが、確かに今日水谷の浴衣姿を見れたのはこいつのおかげだ。

 ここは感謝しておくべきか。


「ありがとな」


 そう口にすると、なぜか修二が狐につままれたかのように目をぱちぱちさせる。


「驚いた。今日はやけに素直だな」

「俺は元から素直だろ」

「……よく言うよ」


 修二は苦笑しつつ、肩を叩いて俺から離れた。




 4人でしばらく歩いていると、徐々に祭囃子の音が大きくなった。

 やがてお祭りの会場である公園に着く。

 太鼓や笛の音に乗って、夏祭り特有の熱気や匂いがむわっと伝わってくる。


「やっぱテンション上がるなー! これぞ夏祭りよ!」


 あちこちに並ぶ屋台を見回して、修二が言った。

 小倉が修二に続いて言う。


「お腹減ったー! とりあえずなんか食べよ!」

「おー、いいな。何食うか?」

「うーん……迷うなあ。たこ焼きも綿飴もリンゴ飴も、どれも美味しそうなんだよねー。花凛ちゃんは何食べたい?」

「私? 私は……」


 小倉に話を振られた水谷が、辺りを見回してからある一点に目を止めた。

 釣られて俺もそちらに目をやると、「やきそば」と書かれたのぼりが目に入る。


「焼きそば、かな」

「いいね! じゃ、焼きそばにしよっか! 相澤くんもそれで良い?」

「ああ、別にいいよ」


 正直なんでも良かったのでそう頷くと、「じゃ、決まりだね!」と小倉が笑う。

 焼きそばの屋台の前には列ができていたので、俺と修二で並ぶことにした。

 女子二人には、近くで待ってもらっている。


 修二と駄弁りながら列が進むのを待っていると、頭にタオルを巻いた男が注文表を片手に近寄ってきた。列が長い分、先に注文を取る形式なのだろう。しかし男は、「ご注文は……」と言いかけてなぜか黙りこくる。


 不思議に思って顔を上げ、俺も固まってしまった。

 その男には見覚えがあった。ガタイの良さといいタオルの奥の坊主頭といい、どう見てもあいつでしかない——。


「……てめえ、何でここにいやがる」


 注文を取ろうとしてペンを持った山本が、目の前で呆然と佇んでいた。

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