12.たった一瞬の思い出

 父親のことと母親のことは軽くぼかしながら話すことにした。それでも神戸は苦虫を噛み潰したような顔をしていたし、星島さんは何も言わずにただ俯くだけだった。


「一応だけど、同情とかはやめてね」

「う、ん。わかってる」

「燈がいてくれたら十分だよ」


 その言葉を聞いた神戸は、まだいつもの調子ではなかったが笑ってくれた。

 ちょうど休めそうなところがあったので、軽くシートなんかを引きながら話すことにした。今日の予定を聞いた燈が三人分の昼食を準備してくれたことを話すと、星島さんの表情も若干和らいだ。


「燈は別に、アイドルがしたい子じゃなかったんだ。ただ歌うのが人よりちょっと上手くて、話すことが好きで。でも、いつだったか夏葉を誘ってアイドルを始めて。俺は燈にしてもらってばっかで」

「燈ちゃんが誘ったんですね」

「夏葉からはそう聞いてる」


 そういえば、燈がなぜアイドルを始めたのかは聞いたことがない気がする。夏葉に聞いても『燈に誘われたからやってる』とわりと素っ気ない返事をされた。二人ともアイドルへのこだわりとかはそれほどないのかもしれない。

 こだわりはなくても、ファンへの想いをしっかりと持っているのは知っている。ひとりひとりに返すことはできなくても、支えてくれた分は返したいと言っていた。


「今は『優希に迷惑かけらんないからもっと大きくなるよ』って。迷惑かけてんのは俺の方なんだけどなぁ」

「そんなことないと思う」

「ありがとう」

「本音だから。建前? とか、わたしができないのわかるよね」


 少し怒った様子の神戸だったが、星島さんが「でも、燈ちゃんはやっぱりすごいですね!」と話を切り替えてくれたので、揉めることはなかった。今のは俺が悪かったかもしれないが、話していることは事実だから神戸の言葉を素直に受け取ることはできなかった。


「神戸がそう言ってくれてるのはありがたいけど、事実俺は楓さんと燈に生かされてるから。今までも何回も情けないなって思って」


 アルバイト程度じゃとても返せない。何か俺にできることを探していた。勉強ができるくらいじゃ何もできないと思っていた。


「だから、今はちょっとだけ楽しいんだ」

「わたしたちに勉強を教えられるから、ですか?」

「そういうこと」

「えっ、えっ? どゆこと?」


 星島さんは苦笑を浮かべながら俺の方を見た。自分の口で言え、ということだろうか。


「何にもない俺でも……は、駄目だな。何にもないと思ってた俺も、神戸たちの力になれてるっていうのが嬉しいんだ」


 これは本音。人付き合いが嫌いだと遠ざけていたから、こうして何かをできるということが自分の思っていたよりも楽しく感じる。

 同時に、少しだけ自分を認めてやれる口実ができて、今は燈と話すときも少しだけ心が軽い。


「だから、神戸も星島さんも。俺なんかで良ければ頼ってくれたらいいから」

「……うんっ!」

「これからは先輩の迷惑とか、考えないようにします!」

「そうしてほしい」


 まだまだ人と話すのは好きじゃない。俺が変わったわけじゃない。ただ、神戸と星島さんは俺が話せる、というより話したいと思える人だ。

 だからこそ。この二人に教える立場でいるからには、俺も人と関わらないなんてわがままを言っている場合じゃないなと思った。


「話は終わり。星島さんのはこっち」

「あっ……すみません、意地汚かったですよね」

「全然」


 俺の話が終わった瞬間から、星島さんは燈の作った弁当を見ていた。推しの手料理、気になるよね。

 神戸も燈の弁当が気になるらしく、星島さんと同じように俺の手元の弁当を見ていた。


「す、すっごい! えっ、えーっ! みてみてせんせー、これすっごく美味しそう!」

「知ってる」

「あそっか、お兄ちゃんだもんね」

「いいなぁ……いただきます。わっ、美味しいぃ……」


 ほんとに表情豊かな子だな。美味しそうに卵焼きを頬張る星島さんを見ながら、俺と神戸も弁当の蓋を開けた。

 神戸と星島さんのバランスの取れた弁当に比べて、俺の弁当は卵焼き多めだった。というか、ほぼ卵焼き。


「先輩のお弁当、卵焼きたくさんですね」

「好きだからって言って燈が作るとよくこうなる」

「燈ちゃんって、ユキせんせーのこと大好きなんだねぇ」

「だといいけどなぁ」


 少なくとも、俺の事を一番理解してくれているのは燈だ。だから今日の夕飯は野菜多めになるだろうし、今日話したことを聞いてくるだろう。俺が二人と話したことを、誰かに話したいと思えてしまったから。それを汲み取ってしまえるのが燈なんだ。


「よかったら燈に弁当の感想送ってあげてほしい。ちょっとでいいから。多分喜ぶ」

「で、でも燈ちゃんに気軽にそんなこと送ってもいいんでしょうか……」

「星島さんが持ってるの、燈……ともしびって書く方の燈のLINK。そっちの燈はアイドルの友梨じゃなくて、いつでも友達からのメッセージを待ってる、ちょっと寂しい奴だよ」

「そう、でした……!」


 なんだかんだ言って、燈も決して友人が多いわけでは無い。LINKに登録されている友達も以前まではそう多くはなかった。それでも俺よりは多かったけど。

 だから、交換したもののなかなかメッセージが来ないことを少しだけ気にしてもいた。かといってまだ友梨のイメージが大きい神戸と星島さんに燈からメッセージを送るのは受け取り方を間違えられると、自分から送るのも躊躇っていた。


「じゃあさ、後で撮る写真燈ちゃんにも送ろ!」

「それは……えと、はい。わかりました」

「あっ、星島さんが嫌なら全然いいよっ!」

「すみません……あ、後でインフタにあげるやつなら全然送っても大丈夫です」

「わかった!」


 SNSにあげるのを許可しているくらいだから、自分の撮影した写真はどこに行っても構わないのだろう。本人が写っているのが問題なのかもしれない。

 弁当を食べて、また山を登ることにした。星島さんもそれほど疲れてはいないように見える。もちろん俺も疲れていない。神戸が優しめのコースを選んでくれたのだろう。


「あとちょっとだから、二人ともがんばってくれる?」

「はい。がんばります!」

「たまにはこういうのもいいなってちょっと思ってる」

「やったっ! わたしね、いつもは一人でこうやって登ってるんだ。上まで行ったらいい感じに疲れるし、人と話さなくていいから」


 少しだけわかる気がした。いつもの神戸を見ている星島さんは、少し驚いた顔をしていた。

 人と話すのはきっと好きなのだろう。だけど、神戸が話す相手はどうしてか、神戸と噛み合わない人が多いように見える。俺と神戸は違うから、実際のところはどう思っているのかわからないけれど。

 そもそも、合わないと思ったら俺はすぐに関係を切ってしまうから、仮に俺の想像通りだったとしても俺が神戸のように悩むことは無い。でも、神戸は人と関わることを選んで生きている。

 俺にはそれができなかったから、どうにも神戸と話していると惨めになる。


「ごめん、弱音吐いちった! 許してっ!」

「あ、あはは……神戸先輩も大変なんですね」

「えー? 星島さんの方が大変だよ」


 こうやって笑い続ける神戸の心を、いつか分かってあげたいと思った。

 しばらく歩くと、神戸は立ち止まった。


「……桜」

「遅咲きで、今が満開なんだって。お世話になってるユキせんせーに見せたくて。ほんとはカエデせんせーも誘ったんだけど、さすがに無理だった」

「まだ俺、結果とか出てないけど。連れてきて損するかもしれないぞ」

「たった二週間でこれだけしてもらってるのにテストやらかしたりしたらわたしのせいじゃん?」


 そう、二週間。まだ二週間だ。これから神戸が友人たちと上手くやれるまで、星島さんが学校に来れるようになるまでどれだけかかるか、まだ検討もつかない時間しか経っていない。

 それなのに、神戸は随分俺のことを信頼してくれている。俺はそれが怖かった。全部嘘で、ただ他の友人と俺のことを弄んでいるのではないかと、心の中ではそんなことを考えてしまうときがある。


「あ、写真! えっ、えーっ、どーしよ。こっちからの方がいいかな? えっ、先にわたしのインフタ用撮ってもいい? ていうかユキせんせーも一緒に入らない?」

「入らない」

「えー……せっかく一緒に来たのにぃ」

「SNSに顔あげるの嫌なんだ、ごめん」

「ううん、全然! 一緒に来てくれただけで嬉しいから」


 星島さんはいつの間にかカメラを構えていて、神戸はその先であれやこれやとポーズを考えている。何もわからないけど、とりあえず桜の下で笑ってたら映えるんじゃないのかな?

 星島さんはスマホとカメラを繋いでなにか編集作業のようなことをしている。しばらくして星島さんが撮影した写真が神戸の――シオリのSNSにアップされた。『今日は友達に撮ってもらったんだ』とナナホシのアカウントを紐付けて投稿された写真には、すぐに数十の反応がついた。


「明石先輩もこっちに」

「ああ、うん」


 星島さんは俺の隣に並んだ。神戸はその反対側に。えっ? 俺が真ん中?

 若干戸惑っていると、シャッターが切られた。神戸の顔はいつも通りだったけれど、俺は酷いものだった。


「ユキせんせーの顔すっごいね」

「うるさい」


 その隣にはしっかり顔を隠してしまっている星島さんがいたが、本人はそれでも恥ずかしそうだったので触れないことにしておいた。

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