3.陽キャの彼女の悩み事

「あーい、解散! あ、優希は後であたしんとこ来てねー」

「HRついでで呼び出すのそろそろやめてくんねぇかなぁ……」


 授業が終わった。そのついでに呼び出された。ちょいちょい私用で呼び出してくるんだよな、あの人。まあ誰も真面目くんが担任の先生に呼び出されていたところで気にもしないだろうから別にいいけど。

 なんて思っていたのだが、ひとりだけ。今朝話した神戸栞凪だけはこちらを見つめてきていた。

 職員室に行くと、楓さんはなにやら忙しそうにしていた。来いと言われたから来たものの、声をかけていいのか迷ってしまう。


「カエデせんせー呼ばないの?」

「っ!?」

「あ、ごめん」


 本気で驚いてしまった。背後から俺に声をかけてきたのは、件の神戸だった。今日はよく会うね。

 俺が迷っていたところを神戸は堂々と職員室に入って、楓さんを呼んできてしまった。


「あ、えっと……ありがとう」

「あー……う、うん。どういたしまして……ではないけど……」


 なんとも歯切れの悪い返事だったが、この程度で礼を言われるようなことではないということだろうか。俺からすればどんな些細なことでも助けてもらったことに変わりはないから、感謝の言葉を述べないという選択肢はなかったけど。

 楓さんに連れられて外に出た俺たちは、そのままなぜか楓さんが自販機で買ったレモンスカッシュを手渡された。職員室からも教室からもわりと離れたところにあるここの自販機はなかなか使われない。


「あざます。えっと、んで。なんすか」

「いやー、これほんとは燈にも聞いてから伝えたかったんだけどさぁ? まあLINKで確認とったから。折り入ってお願いがあるんだ」


 それはまた珍しいな。楓さんが俺にこうやって改まって頼み事をするなんてなかなかないことだった。


「へぇ。楓さんが? 俺に? お願い?」

「そそ。先に言っとく。これは強制じゃなくて、あくまでお願い。やりたくなかったらやらなくていいし、正直優希は嫌だろうなーと思いながら言う。でも、これ系の話で一番頼りになるのは、あたしの中では優希だった」

「そんなもったいぶらなくても、楓さんのお願いなら聞きますよ」

「うう、優希の優しさに心が癒されたよ……」


 なんてふざけているものの、わりと俺がやりたくないようなことを頼まれるのはわかった。少なくとも、他人と多少関わらないといけないことは確定だろう。

 でも、今まで楓さんにしてもらった恩に比べたらどんなお願いでも安いものになる。だから、俺が断れる理由なんてなかった。


「で、お願いって?」

「う、んとね。勉強、見てあげてほしい人がいるの。二人」

「……あー……」


 なるほど。それは確かに俺が嫌がるやつだ。勉強なんて大抵の人間は一定のラインまではやろうと思えばできる。生徒の俺に頼めるレベルということは、それほど高いラインの話をしているわけではないのだろう。わざわざ教えてもらったことをもう一度教える必要性がわからない。

 それに、なにより。そういうことを楓さんに言ってしまえる人は俺が苦手なタイプなのだろう。


「ご、ごめんせんせー! やっぱり自分で話す!」


 俺と楓さんが話していると、そこへ割って入ってきたのは神戸だった。なるほど、先程歯切れが悪かったのはこういうことか。

 神戸が言った「やっぱり自分で話す」という言葉から、その二人のうち一人は神戸なのだとすぐにわかった。だけど、神戸は俺の知る限りだと、少なくとも進級は問題ない程度の成績の記憶がある。他の陽キャたちに教えて全教科赤点の最悪を回避させているのは神戸だと騒いでいた。全教科じゃなくても赤点あったら一緒だろ、とは思うけど。


「あ、あのね明石くん。その、勉強。明石くん真面目ですっごく成績もいいから、教えてほしくて……」

「あー……一応、理由だけ聞かせてもらえる?」


 そんな神戸が俺にわざわざ勉強を教わりに来るなんて、ぱっと思い浮かぶ理由はなんらかの罰ゲームしかない。


「みんなに勉強教えるのに、わたしがわからないとこあったら駄目だなーって。だから、お願い。勉強教えてほしいんだ。もっと賢くなったら、みんなに頼ってもらえると思って」

「みんなに、ね」


 なるほど。その言葉が本当なら、神戸はほんとに純粋なんだ。

 あんな連中に頼るなんて概念があるとは思えない。これは俺の憶測に過ぎないけれど、あいつらは神戸を便利な奴だとしか思っている。もちろんそれだけでなく神戸のことを友人としても思っているのだろうが、神戸の世話になることを当たり前だと思っている。少なくとも、俺の目にはそう映ってしまう。


「これはあたしからの『お願い』だから聞いてあげなくてもいい。でも、この子の先生をやってあげて欲しいんだ。駄目、かな?」

「……いや、やりますよ。神戸の先生……と、もう一人も」


 楓さんのお願いを聞かない理由はない。それに、少しだけ神戸のことをかわいそうだなと思う気持ちもある。もちろん、ただの罰ゲームの可能性もまだまだ捨ててはいないけれど、俺がおもちゃにされるくらいは別に構わない。理由はわからないけど、本当に神戸が困っていたら嫌だな、と思った。

 それと。俺が逃げた、居場所を守るということをしようとしている神戸が少しだけ眩しく見えた。

 まだ理由があるとすれば、勉強を教えるとなれば燈も同じ場にいさせることができる。神戸なら燈とでも仲良くできると思っている。もう一人は完全に楓さんのお願いだからという理由になるが。


「えっ、えっ、えっ! えっ、ほんとに! ほんとにやってくれるの!?」

「神戸のやる気があるなら」

「ある! あるよ! えっ、やったぁうれしー! あ、そだユキせんせー、LINK!」

「優希先生やめて。LINKは……まあ」


 確かにあった方が便利だろう。だけど、今朝あんなことを言った手前少し躊躇ってしまう。もう話すことすらないと思ってたし。


「えとね、わたしユキせんせーと仲良くなりたいって、今は言えるよ」

「優希先生やめて。まあ、必要なら」

「えっ、えー……必要なら、じゃなくて。わたしがユキせんせーと仲良くなりたいから、欲しい!」

「えぇ……あとお願いだから先生やめて」


 こんな卑屈な野郎と仲良くしなくても、神戸は誰とでも仲良くできる。それに、こんな冴えない奴と一緒にいたら彼氏とかに怒られそうだ。いるのかどうかも知らないけど。

 でも、断るに断れない瞳でそんなことを言われてしまったら、さすがに俺も折れざるを得ない。


「は、い。これ、コード」

「えっ、えーっ! やっぱりやさしー! うん、うん! ありがと、ユキせんせーっ!」

「それだけやめて頼むから」


 楽しそうに笑うだけで、神戸は『ユキせんせー』と呼ぶのをやめようとはしなかった。

 テンションが高くなってしまった神戸は放っておいて、楓さんともう一人についての話をすることにした。


「もう一人の子は、不登校の一年生。女の子ね。あ、停学とかじゃなくて、普通に精神面で不登校」

「不登校かぁ……これまた厄介な」


 いや、うちにも学校に来れないから勉強教えてもらってる奴いるから一緒か。うちの妹は忙しすぎて来られないけど。

 ただ、まだ四月のこの時期に不登校ということは、筋金入りな気がする。それ中学のときから来てないタイプじゃない?


「でも、そういうことなら俺は無理じゃないすか?」

「なんでさ」

「俺、そういう人の気持ちをわかったつもりになっちゃう人なんで。そういうのが一番うざいでしょ」

「えっ、えっ。でもユキせんせーはそういう子のことわかってあげようって思うんだよね? それは嫌じゃなくない?」

「わかってあげようっていうか、自分の視点で見ると共感できるところをそのままその人の気持ちだと錯覚するというか……」


 というか、そういう『わかってあげよう』と思うのも良くはない気がする。自分を理解したつもりで話をされるのは、どこで話を変えればいいのかもわからないし、自分の思ってもいないようなことを言われ続けるのも不快だ。

 なにより俺と燈は、何度もかわいそうな兄妹という扱いをされてきた。両親がいない、かわいそうな捨て子。だけど俺は燈が、それから一人だけ大切な友人がいてくれたからそれでよかったし、楓さんにも何度も助けられた。俺は自分をかわいそうだと思ったことはない。結局他人のことなんてわかるはずがないことは自分が一番わかっている。

 またこんなことを言い出した俺に嫌な顔ひとつせず、楓さんは俺の耳に顔を寄せてきた。なにを勘違いしたのか神戸は顔を真っ赤にして顔を背けてしまったが、楓さんが小声で俺にものを伝えるときは大抵俺と燈のことだ。


「その子、中学のときにご両親が亡くなってて。その、とっても良いご両親だったって聞いてる」

「あー……」


 楓さんのお願いだ。断ろうとも思ってはいなかった。それでもやっぱりそういう面倒なタイプの人は請け負いたくないとも思っていた。

 けれど、それを聞いてしまうと弱い。


「わかりました。ただし、条件なんすけど。俺が力不足だって思ったら、遠慮とかなしで言ってください。その子のことも神戸のことも、傷つけたら駄目なんで」

「うん! そーいうのはあたしの仕事だし! いやーよかったー、優希が受けてくれて」

「ありがとー、ユキせんせー!」

「いいよ別に」


 優希先生はやめるつもりはないらしい。神戸は楽しそうに笑っていた。

 話はそれで終わりらしく、楓さんは鼻歌を歌いながら職員室に戻って行った。


「じゃあ、詳しいことはLINKで……」

「ま、待って!」

「なんだよ」


 ただでさえ少し帰ってくるのが遅くなってしまったから早く帰りたいのだ。これ以上帰るのが遅くなると燈が帰ってきてしまう。あの子は俺が帰っていないと当たり前のように夕飯を作ってしまう。


「お昼。嫌なこと言ってごめん」

「ん? 別に神戸が言ったわけじゃないし」

「それはそうだけど……ごめん。あと、助けてくれてありがとっ!」

「……別に」


 こんな素直な女の子の『先生』に自分がふさわしいなんてとても思えなかった。けれど、楓さんに頼まれたから。そして、神戸にやると言ってしまったから。せめて彼女があのグループから抜けなくていいように手助けくらいはしてやることはできるだろうか、なんて身の丈に合わないことを考えてみたりした。

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2024年11月30日 06:00
2024年11月30日 18:00
2024年12月1日 06:00

ひとりぼっちの少女たちと、ふたりぼっちの世界から 神凪 @Hohoemi

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