4.あまり遅くはならないでね
どうしてもお礼がしたいとしつこい神戸に付きまとわれて、家の近くまで着いてこられたので缶コーヒーで手を打つことにした。それでも神戸は不満そうだったが。
そのせいで結局家に着いたのはいつもより遅い時間になった。玄関の鍵を開けようとすると空回り、家の鍵はもう開いていた。
「ただい……」
「お兄ちゃん!? よ、よかったぁ、今日バイトもないはずなのにめちゃくちゃ遅いから焦った! おかえり!」
「大袈裟。ただいま」
玄関を開けるなり飛びついてきたかわいい妹を受け止めて、そのまま軽く頭を撫でる。
「いやぁ、うん。ごめん帰ってくるなり飛びついて。心配だったんだよ」
「いいよ。心配してくれてるの伝わったし」
燈はなんでもないように笑ったが、綺麗な茶髪がくしゃくしゃになっている。ちらっとリビングを見ると、ソファーの上にブランケットが無造作に放り投げられていた。もう色褪せてしまったが、俺と燈が楓さんに買ってもらった大きなブランケットで、小さい頃は二人でよく包まっていた。
「今日はお兄ちゃんの好きなハンバーグだよ」
「今日は俺が作ろうと思ってたのに……ちくしょう」
「ふっふっふっ、わたしより早く帰ってこないとわたしに料理を振る舞えるとは思わないことだね!」
だから早く帰ってきたかったのに。まあ、今日は燈の方が早く家に着いてしまったのだから仕方ない。明日は燈の好物のオムライスだ、絶対作る。
手洗いうがいを済ませてすぐに食卓へ。燈はにこにこしながら俺が来るのを待っていた。
「じゃあ、いただきます」
「いただきまーす」
和風ソースのかかったハンバーグ。俺と燈の味の好みはわりと近いので、こういった味付けのものが好きなのは燈も同じだ。
「それで? お兄ちゃんが帰ってくるの遅いなんてなんかあったの? 楓さんとなんか話したりしてた?」
「あー、まあそんな感じ。クラスメイトの勉強見ることになって」
「なっ……お兄ちゃんが他人と関わるだと!? 一体なぜ……んやまあ、楓さん絡みか」
「ん。まあね」
燈の反応は大袈裟とも言い難いもので、俺が他人と関わろうとすることは中学卒業以来ほとんどもなかった。そんな俺が、他人とコミュニケーションを取らなければいけないことをするとなれば、驚かれてもおかしくはない。
それも教える相手が勢いのすごい陽キャだと知ったら、燈はどんな反応をするのだろうか。
「あ、そうか。じゃあお兄ちゃんに無駄な時間取らせるのも申し訳ないし、わたしも学校に行ける日はお勉強会に行かせてもらおうかな? あ、でもクラスメイトってことは先輩かぁ」
「ん、あー、まだ全然どういう教え方したらいいのかもわからないからそういうのもわからん。でも、その子は多分他人がいても気にしないし、俺が勉強するわけじゃないから神戸……あ、教える子ね。その子が問題解いてる間に燈に教える感じならいける。あとその子だけじゃない、一個下の子もいるよ」
「ちょいちょい。範囲が違うってのもあるけど、わたし、アイドルだが? 厄介なことになったらどうすんのさ。やっと同級生は対応できるようになったのに」
「あ、女の子。そういうのは……まあないとは言いきれないけど。そういうの否定するつもりも……燈?」
「おにおおおにいおにちゃんがおんなのこと!?」
ひどく驚かれた。うん、そこまでいくと傷つくんだけど。どう考えても普通にコミュニケーション取るだけなんだよなぁ。
そんなことを考えながら燈が頭を抱えてじたばたしている様を見つめていると、スマホが振動した。通知を見ると『明日からよろしく!』『わかんないところ教えてあげるってことだけどどこがわかってるのかちょっと不安ー』『毎週どこかで時間作ってもらう形でもいいかな?』『ユキせんせーが授業の復習みたいな感じで進めてほしい!』と連投されていた。神戸だ。
とりあえずどういうやり方で進めていくかは明日の放課後にでも話し合って決めようかと思っていたら、すぐにもう一度通知が来た。今度は通話だ。どうしよう、無視したい。
これからしばらくの付き合いになるしなぁ、と思い画面をスワイプして着信に応答する。食事中は燈とだけ話していたいので、さっさと話を終えてしまおう。
『もしもし!』
「あー、もしもし」
『えとね、わたしちょっと火曜と木曜ははい……えと、用事あって! だから、それ以外の日に補習? みたいな感じで教えて欲しいんだけど』
「あー、うん。神戸がそれでいいなら。でも、友達と遊んだりする日もあるだろ」
『あ、そだった。うーんどーしよー……』
「基本はそっち優先でいいから。事前にわかってるなら教えてくれ。当日決まったとかだったら、LINK飛ばして。無言で、はちょっと困る」
まあ神戸のことだから何かしらは送ってくるだろうけど。
神戸と普通に話す俺を見て燈は首を傾げて混乱していた。別に俺、他人と話せないって言ったことないと思うんだけど。話すのは嫌いだけどね。
「あー、あと」
『ん? なぁに?』
「たまに妹連れていくかも。ちょっと勉強追いつかないときあるから。どうせならまとめて見たい」
『うん! いーよ! てゆーかわたしがお願いしてる側だから、そゆのは基本的にユキせんせーの好きにしていーよ!』
「助かる」
よくまあこんなにも話したことの無い俺のことを信頼して話ができるな、と思う。俺の方は中学の頃から目立っていた神戸のことは一方的に知っているが、神戸は俺が同じ中学にいたことすら知らないだろう。
でも、これだけ素直で明るい子なら、やっぱり燈とも仲良くできると思ってしまう。神戸を利用しているようで少しだけ申し訳なく思ってしまうが。
『えーっと、とりあえず明後日! 明後日、勉強会しよーね!』
「ん、わかった」
素っ気ない返事だったが、神戸は『ありがとー!』と元気な声を残して通話を終えた。
そういえば、もう一人の不登校の子はどうすればいいのだろう。神戸が火、木が駄目ならその日だけ見る形になるのだろうか。いや、授業に出ている神戸よりも不登校のその人を優先した方がいいか。
「ほえー……ほんとに、やる気を感じるね」
「ん、そうか?」
「うんうん、めちゃくちゃやる気感じた。なんだいお兄ちゃん、その女の子のこと気に入ってるのかい?」
「そういうのじゃないよ。ただ、なんとなく。神戸は俺と似てるなって。いや向こうは俺なんかと一緒にされるのは不快だろうけど」
「お兄ちゃんと? 結構ちゃんと話してたように見えたけど?」
「違う違う。性格とかじゃなくて、なんて言うんだろ。生きづらそうなところ? みたいなのが」
中学生に少しこじらせてからは、俺は楓さんと燈以外を徹底的に信用しないようにした。対して、燈は俺と違って使える『信用と信頼』を全て使った。今考えれば、その方が合理的だし、家族のためを考えればそうするべきだ。だけど、俺は信じることができなかった。
そうやって排他的に生きてきた結果がこれだ。結局のところ、俺は燈との居場所だけを守ろうとしていた。いや、今もそれは変わらない。神戸はグループの中で自分の居場所を守ろうとしている。そういうところが似ているなと、少しだけ思った。もちろん、いろんなことから逃げた俺に比べれば、神戸は俺なんかよりもずっとすごいけど。
「そっかそっか。あ、それでその、神戸さん? はわたしはその場にいてもいいって?」
「うん。俺に教えてもらう立場だから、俺の好きにしてくれってさ」
「そっかそっかそっか。いい人だね」
あの調子なら、不登校の一年生さえ良ければ全員まとめて見ることができそうだ。まあ、精神的問題で学校に来れない子が神戸と波長が合うかは微妙なところだが。
「いやぁ、でもそんなことになってたとは驚きだよ」
「ごめんな、帰ってくるの遅れて」
「ううん、いいのです。お兄ちゃんもたまにはわたしのことを忘れてもいいのだよ」
「それはない」
「知ってた」
くすりと笑う燈は、何かを言い淀んでいる。ドラマに出るような女優になっても、兄に笑顔で感情を隠せると思ってはいけない。
「言いなさい」
「……あまり遅くはならないでね。遅くなるなら、連絡してね」
かわいらしい本音を告白した燈は、恥ずかしそうに目を伏せてしまった。
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